脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

改変歴史SFとカオスの蝶と広岡知男について

【速報】岸田、ついに覚醒かwwwwwwwwwwwww : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ
平時の腰の座らない不器用さと有事の肚の決まった豪胆さのギャップは実に広島人。いいぞもっとやれ。


 メルカリで長い間塩漬けになってたデカぶつが昨日ようやく売れたと欣喜雀躍してたら、「リビングのドア通らないことが分かったからキャンセル❤」って言われた。・・・泣いていいかしらん。

鮮やかコントラスト「終わり」と「誕生」

改変歴史SF

歴史改変SF
 思弁小説(あるいはサイエンス・フィクション)と歴史小説サブジャンルであり、実際の歴史とは異なる歴史の経過を経た世界を描くものである。いわゆる「クレオパトラ*1の鼻が低かったら歴史が変わっていた」というような歴史上の「もし」に答を与えるフィクションである。多くの作品は実際の史実に基づき、その上で我々の歴史とは異なる発展をした社会や政治や産業の状況を描くことを特徴とする。一般にフィクションは現実ではないという意味ではどの小説にも「歴史改変」的要素があるが、サブジャンルとしての歴史改変SFは、我々の歴史と異なる経過をたどる原因になった歴史上の分岐点が存在することを特徴とする。
 1950年代以降、この種の小説はSF的小道具と結びつき、時空を移動することで世界間を行き来したり、超能力で別の世界があることに気づく、あるいは単に時間旅行したために歴史が分岐してしまうといった設定が多くなっていった。これらは密接に絡み合い、それぞれを完全に別個に議論することは不可能である。
 英語では、alternate history の他に alternative history という呼称もある。フランス語では、歴史改変を uchronie と呼ぶ。これは、ユートピア(ありえない場所)などと同じ u- とギリシア語で時間を表す chronos を組み合わせて造られた単語である。したがって、uchronie とは「ありえない時」を意味する。他にも "allohistory"(他の歴史)という呼び方もある。(wikipediaより修整引用)


 「もしあの時○○だったら歴史はどう変わるのか」を思考実験するのが醍醐味の「歴史IFもの」とは違って、「歴史の前提条件を変えることによって現代社会を変容させて『異世界』を舞台にする」のが改変歴史SFって認識で合ってるんでしょうか。自他ともに認める設定厨なんで、なんで「こんな世界になった?」にきちんと説明と理屈をつけようとしてくれてるこのジャンルは中々に好物です。まあ、歴史的推移は舞台装置になってるだけのことの方がもちろん遥かに多いですが。そんな改変歴史SFですが、『ifの世界線』が最高に面白いアンソロジーとして君臨しておりますので是非ご一読を。収録作家名だけでご飯丼一杯食べられます。

カオスの蝶

カオスの蝶 (混沌胡蝶)
 西暦1999年7月11日脱稿。初出:《科幻大王》二〇〇二年一月号
 カオス理論の初期値鋭敏性を利用し、文字どおり「ブラジルで一頭の蝶をはばたかせることによって、テキサスで竜巻を引き起こす」ようなことを目指す極秘プロジェクトが描かれる。著者*2が本篇を書き上げる直前、コソボ紛争末期の1999.3.24-6.10北大西洋条約機構(NATO)により、首都ベオグラードをはじめ、コソボモンテネグロなど、ユーゴスラビア各地に激しい空爆が加えられていた。こうした現在進行形の社会的な問題を積極的に小説に取り入れる姿勢は、本書収録の「栄光と夢」や「円円のシャボン玉」にも共通している。本邦初訳。(『円~劉慈欣短篇集』「訳者あとがき」より引用)


 劉慈欣御大によるバタフライエフェクトコソボ空爆をテーマにした短篇。テーマ選定から察せる通り脱稿は前世紀末なんで最初期の作品群の一つになるのかなあ。初読時の感想はこちら。秀逸なお遣いミッション達成系のドタバタコメディーだなあって読んだ記憶があるんですが、今回改めて結末知って読むと、全編に悲壮感が横溢してて全く違った印象を受けました。毎度のことではありますが、いい作品は再読時に別の顔を見せてくれるからいいですね。

広岡知男

広岡知男
 明治四十(1907)~平成十四(2002)年。日本のアマチュア野球選手、新聞社経営者。朝日新聞社社長、日本学生野球協会会長、全日本アマチュア野球連盟会長。
 大阪市北区綿屋町に父真知と母ぬいの一人っ子として生まれる。大阪府立市岡中学校、第五高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科卒業。学生時代は野球選手として活躍。市岡中時代に第1回選抜中等学校野球大会、第10回全国中等学校優勝野球大会に三番遊撃手として出場し、帝大時代には1931年の東京六大学野球秋季リーグ戦で首位打者となるなど名選手として知られた。
 1932.4朝日新聞社に入社して大阪本社経済部員、'36.8東京本社経済部員、'42.7論説委員となる。敗戦後、共産党の影響を強く受けていた全日本産業労働組合会議*3が労働攻勢を強め、傘下の「新聞単一」*4が、1946.9翌10月の新聞ゼネストを決議すると、ゼネスト反対の中心人物として新聞単一朝日支部東京分会をゼネスト反対にまとめ上げ、ゼネストを頓挫させて執行部を総辞職に追い込み、広岡が東京分会長となり*5、労組幹部として頭角を現す。この後、森恭三*6委員長-広岡知男東京分会長ラインにより朝日新聞社労働組合は労使共闘路線を採り、産別会議を脱退して、政治闘争から経済闘争を重視する企業内組合の道を歩んだ。そして'48.5大阪本社経済部長、'50.7東京本社経済部長、'54.3東京本社編集局次長と歴任し、'54.12代表取締役の東京本社編集局長信夫韓一郎*7が専務取締役に昇進する際、信夫によって後任の編集局長に起用され、'56.12取締役となったが、社主の村山家と合わず、'60.12西部本社担当へ左遷された。しかし'63.12表面化した朝日新聞社の内紛「村山事件」で'64.1村山長挙*8社長が辞任すると代表取締役に就任、次いで'64.3東京本社編集局長に復帰。全日空相談役となっていた元常務取締役で朝日新聞社顧問の美土路昌一*9が'64.11社長になると専務取締役となって、労組幹部時代の相棒である森恭三論説主幹らと組んで実権を握り、朝日新聞社の経営から大株主の村山家を排除する路線を推進した。'67.7社長就任。'71.5緒方竹虎*10主筆解任以来28年間空席となっていた主筆職を復活させて兼務し、朝日新聞社史上初の社長兼主筆となった。'77.12-'80.3会長。また'75-'79日本新聞協会会長も務めた。
 また、朝日新聞系のテレビ局でありながら他系列であった九州朝日放送*11や名古屋放送*12朝日放送*13を、日本教育テレビ*14系列に移籍させるなど、現在のテレビ朝日系列(ANN)の形成にも大きく関わっている。
 社長、会長在任中は、就任直後から朝日新聞の中国報道が文化大革命を好意的に評価する論調に変わり社長時代に2度訪中するなど親中国共産党路線を推し進めたが、折からの中ソ対立が朝日新聞社内にも波及して親ソ連派の反発を買った。社長兼主筆から会長となったのは、親ソ連派の秦正流*15専務取締役と比較的ソ連派とみられていた渡辺誠毅*16副社長による一種のクーデターで、さらに「反広岡」で手を組んだ村山社主家と渡辺社長、秦専務らよって朝日を追われた。
 朝日新聞社退社後は'84-2000日本学生野球協会会長、1991-'99全日本アマチュア野球連盟会長を務めるなどアマチュア野球の発展に貢献した。'94特別表彰として野球殿堂入り。2002.1.5前立腺癌のため94歳で逝去。(wikipediaより修整引用)


 大の親中派で社長時代に文化大革命礼賛記事を乱発して「サヨク」の朝日の印象を決定づけたお方。『朝日新聞血風録』で稲垣武に親の仇のごとくにぼろっかすに叩かれてたのが非常に印象的です。その記者人生は労働組合の穏健派として労使協調方針を主導してその実務能力を評価されるも、社主とはそりが合わず左遷。村山事件で村山長挙が失脚すると主流派に復帰し、社長就任するも、今度は自分がクーデターを起こされて失脚追放と中々な波乱万丈。政争好きな自分としては深掘りしたくはあるんですが、登場人物がどれも左翼かぶれだわ、第四の権力を濫用する権威主義者だわとミリも感情移入できなさそうなのでパス。ホント左翼の人って内紛粛清大好きだよなあ。

とある途上にて「キミ」は誰?

 カオスの蝶で描かれるバタフライ効果が発動して、改変歴史SFの世界に迷い込んでたら、広岡知男が願ったような日本が中国の忠実な属国となり、米ソと角逐する第三極になっていた世界線もあったのでしょうか。とりあえずそんな悪夢の様な世界線に迷い込まずに済んでいる幸運に感謝です。とは言え、中共でなく国民党が順当に大陸の覇権も奪えていたら、その世界線でもなんだか結構面白そうなんだよなあ。日本はリーダーではなく教室の隅っこで変な事ばっかりしてるオタクこそが似合います。


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*1: Κλεοπάτρα Ζ' Φιλοπάτωρ。プトレマイオス朝エジプト第15代ファラオ。父プトレマイオス12世、母クレオパトラ5世。子にプトレマイオス15世(ユリウス=カエサル)、アレクサンドロスヘリオスクレオパトラ=セレネ・プトレマイオス=フィラデルフォス(マルクスアントニウス)。父の死に伴い弟のプトレマイオス13世と共に共同統治者として即位するも、プトレマイオス13世に疎まれ追放。逃亡先のシリアでカエサルと出会いその寵愛と庇護を受け、エジプトに凱旋し復位。カエサル死後、カエサルとの子であるプトレマイオス15世を擁立し、新たなる後援者としてマルクスアントニウスに情を通ずるも、アクティウムの海戦での敗北によりカエサルの後継者の座はオクタウィアヌスの手に渡り、ローマ帝国に攻められ敗死滅亡。

*2:劉慈欣。代表作:『三体』・『超新星紀元』・『白亜紀往事』他。

*3:産別会議。議長・聴濤克巳朝日新聞論説委員

*4:日本新聞通信放送労働組合の略称。聴濤克巳委員長

*5:朝日支部長に森恭三

*6:朝日新聞社論説主幹。戦前から共産主義に傾倒し、戦後は朝日新聞社労働組合委員長を務める。代表作:『記者遍路』・『ヨーロッパ通信』・『私の朝日新聞社史』(著作)他。

*7:父淳平。朝日新聞社内で非主流派として逼塞していたが、社長を擁する緒方竹虎と村山社主との争いの結果中間派として東京本社編集局長のまま代表取締役就任。笠信太郎永井大三とともにトロイカ体制での経営を行うも、村山社主との軋轢から辞任。村山事件の遠因となった。

*8:第15・17代朝日新聞社社長。父岡部長職、養父村山龍平。村山龍平の婿養子として朝日新聞社社主の座を継承。主筆緒方竹虎との角逐の果てに実権を握るも、敗戦により公職追放。追放解除後、信夫韓一郎を擁立し「復辟」するも、信夫らが独自路線を取るとパージし自ら社長就任。その強引な人事は村山事件を招き失脚退陣。

*9:全日本空輸初代社長。緒方竹虎らと共に戦前の朝日新聞の隆盛を支えるも、村山長挙との対立により失脚。日本ヘリコプター輸送を設立し、合併により全日空初代代表となる。村山事件後古巣の朝日新聞社の社長となり、事態収拾に尽力した。

*10:第4次吉田内閣内閣官房長官正三位勲一等旭日大綬章。父道平。朝日新聞記者として頭角を顕し、主筆として朝日新聞社の実権を握るも中野正剛事件やゾルゲ事件により失脚。政界入りし、小磯国昭の下で繆斌工作に尽力するも失敗、敗戦に伴い公職追放。追放解除後は吉田茂に重用され累進。吉田失脚後は自由党総裁を引き継ぎ保守合同を推進し、自民党を誕生させ初代総裁に擬されるも志半ばに病死。

*11:KBC。フジテレビ系列

*12:NBN。日本テレビ系列

*13:ABC。TBS系列

*14:NET。現在のテレビ朝日

*15:父諦観、母いく。朝日新聞社記者として頭角を顕し累進。親ソ派の筆頭として親中派の広岡知男らと激しく対立。村山社主家らと提携し、広岡の追放を実現した。

*16:朝日新聞社第20代社長。父毅雄、母冨。朝日新聞社に入社し、病弱の為記者としての活躍には乏しいものの、内政畑で累進。親ソ派の秦正流と村山社主家に擁立され、親中・反社主派の広岡知男を逐って代表就任。現代に続く理想空想主義的な朝日の社風を確立するも、毒ガス誤報事件で失脚退陣。その温厚篤実な性格から人望は厚く、社外でも日本新聞協会会長や横綱審議委員会委員長などの要職を歴任した。