脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『北条氏綱~勝って甲の緒をしめよ』

痛いニュース(ノ∀`) : 早稲田大まで行ったのに 34歳で月収12万円の後悔 貯金もゼロで「自分は何をやってたんだ」 - ライブドアブログ
教職も取らない地上も受けない文学部なんて、世棄て人一直線の進路選んどいて何を今更。


 仕事の合間に時間が出来たので最近行けてなかった大型書店に生活物資の買い出しに。という訳でジュンク堂柏モディ店に行って、そこで最近話題の『トランスジェンダーになりたい女たち』を検索したんですが、まさかのフィルタリングでブロック*1。立地上大層お世話になってるお店なんであんま悪口は言いたくないんですが、そういうところだぞと

追いかけていたはずがいつの間にか後ろからぞろぞろと雁首を狙ってる

北条氏綱
 文明十八(1486)~天文十(1541)年。室町後期・戦国時代の武将。伊勢新九郎長氏*2北条早雲)の子。幼名:千代丸、通称:新九郎。
 父早雲の遺志を継ぎ、山内・扇谷両上杉氏に対抗し、後北条氏の領国を拡大させる。1521古河公方足利高基*3の子晴氏*4に娘を嫁して連携、'24太田資高*5の内応を得て高輪原に扇谷朝興*6と戦い江戸城を奪取、'37朝興の子朝定*7河越城松山城を獲得して武蔵国の制圧を完成した。ついで、'38小弓公方足利義明*8と里見義堯*9の連合軍を下総国国府台に撃破、下総西部を勢力下に収めた。(『コンサイス日本人名辞典 改訂新版』より引用)


 ミネルヴァ書房には前回大層痛い目に遭わされたので、お口直しに外れのない「ミネルヴァ日本評伝選」から北条氏綱をチョイス。作者が黒田基樹先生って時点で盤石の安心感があります。内容は豊富な史料を駆使した硬骨で骨太な議論を展開しながらも、知的エンタメとしても成立する神業。ミネルヴァのこのシリーズはこの塩梅が上手くてホント大好きです。ホントどうして同じ出版社からあんな特級呪物が。
 で内容はレジェンド伊勢宗瑞と信長の野望でもお馴染み北条氏康との間に挟まれ今一影の薄い氏綱の業績を丹念に紹介してくれる力作。古河公方小弓公方の争いに両上杉が絡んでの関東の主導権争いを泳ぎ切り南関東の覇権を確立するに至るサーガは血沸き肉踊ります。更に周辺勢力の今川氏輝武田信虎だ里見実堯だのビッグネームも絡んで拍手喝采。葛西だ蕨だ国府台だの馴染みのある地名がバンバン出てくるのも東葛地方民には大歓喜。という訳で、戦国時代好きなら絶対に読むべき一冊です。

己の望みと使命感のジレンマ

 三英傑だけが戦国時代じゃない。戦国時代を人口に膾炙させるのに信長の野望の功績は偉大過ぎるのですがその反動で、信長以前の16世紀前半がかなり軽視されているのが悲しい限り。室町幕府や朝廷の影響力がのこりつつも国人勢力が勃興していくカオスな情勢は最高なんですけどね。さあ、みんなももっとプレ信長の時代を楽しみましょう。


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*1:半月前は普通に検索出来てた+サジェストには結構早く出て来るのコンボを考えると、相当数の人間が検索した上で「入荷をリクエスト」しまくった所為で、思想強めの上層部か担当者がぶちぎれてブロックって感じですかね。ひどい話だ

*2:盛時。伊豆の戦国大名左京大夫。父盛定、母伊勢貞国女。足利義尚の奉公衆として活躍。甥の龍王丸の後見人として今川氏の家督争いに介入し、氏親として擁立。今川家の客将となり興国寺城を得る。明応の政変により即位した義遐の命により堀越公方足利茶々丸を討ち伊豆に独立勢力を構える。以降伊豆相模を平定し関東に一大勢力を確立した。

*3:第3代古河公方。父政氏。旧名:高氏。永正の乱にて宇都宮成綱に擁立され父と古河公方の座を争う。縄釣の戦いで古河公方の地位を確立するも、嫡男の晴氏と関東享禄の内乱で角逐した。

*4:第4代古河公方。左兵衛督。父足利高基、母瑞雲院。関東享禄の内乱を経て父から古河公方の座を奪取。第一次国府台の戦いで小弓公方を滅ぼすなど勢力を伸長させるも、河越夜戦での大敗により失脚引退。

*5:扇谷上杉氏被官。父資康。主家の山内上杉家への接近に反発し離反し、江戸城を手土産に後北条氏に臣従。

*6:武蔵の戦国大名修理大夫。父上杉朝寧、養父上杉朝良。養父の遺志を継ぎ山内上杉家と角逐していたが、和睦し後北条氏と対立。太田資高の裏切りで本拠江戸城を失陥するなど苦戦するも、北条氏綱との抗争に明け暮れた。

*7:武蔵松山城主。修理大夫。父上杉朝興。父の死により家督を相続するも北条氏綱の攻撃により本拠河越城を失陥。山内上杉・武田・今川各氏を糾合し北条包囲網を形成し後北条氏と角逐するも、河越城の戦いで敗北戦死。

*8:下総小弓城主。右兵衛佐。父政氏。永正の乱の混乱に乗じ、真里谷信清に擁立され小弓公方を自称。北条氏綱と連携し古河公方足利高基と関東の実権を争うも、真里谷氏の家督継承問題を期に北条氏と訣別。第一次国府台の戦いで敗北戦死。

*9:上総の戦国大名。刑部少輔。父実堯、母佐久間盛氏女。天文の内訌により里見氏の家督を継承。後北条氏と二度に亙る国府台の戦いや 三浦三崎の戦い・三船山合戦などで一進一退の攻防を繰り返しつつも房総半島全域を支配下におさめた。