脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

故山想ひて

[三題噺]川元と加藤清正上杉景勝定勝父子について

カオスちゃんねる : 実際割とマジで若い頃にある程度のニート期間があった方がその後の人生グンと捗るよなw
完全な身贔屓になりますが、挫折と怠惰からの再起動を経験している人間はやっぱりどこか強靱です。


 祝『スーパーロボット大戦V』発売!で堪能しまくってんのはいいんですが、加齢とともに思わぬ弊害が二つ。長時間のゲームが翌日ド派手な頭痛を引き起こすのは昔からなんですが、大胸筋の筋肉痛ってどんだけ運動不足なんだ俺。


競馬進捗・・・H29収支-9870


SRWV進捗

流れるる雲の如く時代は動く

川元

2007-10-14

川元
 「川本」と同じ意味の名字。西日本の名字で、鹿児島県に多い。(『全国名字大辞典』より引用)

加藤清正+無双+杉田

2009-08-26

加藤清正
 身長:186cm。武器:片鎌槍。
 秀吉*1子飼いの将である若武者。智勇兼備の勇将であり、透徹したリアリスト。一人称は「俺」。武器は史実通りの得物である片鎌槍だが、「鎌」の部分に力点を置いたデザインになっている。このため、鎌部分で敵を引き寄せたり、特殊技では空気を切り裂き敵を吸い寄せるなど、「刈る」「裂く」に特化したアクションが特徴。クールな皮肉屋で時として無礼な振る舞いも見られるが、秀吉やねね*2、正則*3、三成*4を家族のように想い、自分達で築き上げた家のことになると熱くまっすぐな面を見せる。秀吉亡き後の豊臣家を守ることを模索するが、そのために互いに意固地である三成や、情を解さず天下の泰平を第一とする黒田官兵衛*5とは激しく衝突することとなる。ただし石田三成に対しては、反発しながらも互いに深い信頼関係が結ばれている。史実では大坂の陣の前に亡くなっているが『3』では大坂の陣において豊臣方として参戦する。前田利家*6のシナリオでは柴田軍から裏切った彼をすぐには信用出来なかったが、次第に理解し、尊敬していく。ねねのことをかなり慕っており、重度のマザコンだと思われる節がある。それを裏付ける証拠として『OROCHI2』に於ける福島正則との会話の中で、女性を選ぶ際にまず最初に見る部分を即答で「忍術」と答え、清正本人は否定しているものの女性をねね基準で判断する節がある。『3』で利家に対して「貴様」呼ばわりし物議を醸したが、それ以降の作品では、武人として尊敬していると告げたり、利家の見舞に来るなど彼を慕う描写が大幅に描かれ、大きく軌道修正された。『OROCHI2』では「築城の名手」という史実に基づき、「壊れない城を作る」事について呂蒙*7と議論する場面が見られる。(wikipediaより引用)
cv.杉田智和

無双シリーズ
 コーエーテクモゲームス*8が開発しているアクションゲームのシリーズである。開発チームは一部作品を除きオメガフォース
 シリーズ第1作は『三國無双』だが、事実上の初代作はその続編の『真・三國無双』であり、この作品のゲームシステムが以降の作品に引き継がれている。また、『真・三國無双』シリーズのキャラクターを使った麻雀ゲームソフト、『雀・三國無双』もシリーズに含まれる。また、三國シリーズが好評だったことから戦国無双シリーズ、ガンダム無双シリーズなども発売され、無双シリーズの幅は広がっている。各会社のゲームにまで影響を与えた。発売元はほとんどがコーエーテクモゲームスであるが、『ガンダム無双』および『ワンピース 海賊無双』はバンダイナムコゲームスから発売されている。1対1の対戦型格闘ゲームである『三國無双』以外は、複数の敵と戦う三人称視点の3Dアクションゲームであり、多くの敵をなぎ倒していく爽快感が最大の売りとなっている。プレイヤーは一人の武将となり自軍の勝利を目指すなど、それぞれのステージで数百人規模の軍隊同士の戦いが繰り広げられる。難易度調整の幅が広く、アクションゲームとしては操作方法が比較的簡単なためユーザー層を問わず楽しむことができる。敵兵との戦闘では、敵兵を攻撃し体力を0にすると撃破したことになる。逆に敵からの攻撃を受けると体力が減り、0になるとゲームオーバーとなる。『真・三國無双』、『戦国無双』間ではキャラが互いにゲスト出演しており、後の二作品を融合させた『無双OROCHI』が発売された。本シリーズは独自の設定が使われることがあるが、例えば『真・三國無双』の場合には歴史書三国志』および小説『三国志演義』の設定と混同するファンも多い。本シリーズでは「猛将伝」「Empires」とつく拡張パックを別売りする販売方法が行われている。ただし、Empiresは無双シリーズのキャラクターを使って『三國志』、『信長の野望』のような国盗りをするシミュレーション要素を取り入れたゲームであり、厳密には拡張パックとは言いがたい。またこれ等以外にも、追加要素が加えられた他機種への移植作品につく「Special」など、様々な名称がつく作品も多く登場している。詳しくはパワーアップキットの項目を参照のこと。(wikipediaより引用)

杉田智和
 昭和五十五(1980)年〜。日本の男性声優、ナレーター、作家。埼玉県出身。アトミックモンキー所属。代表作に『METAL GEAR SOLID PEACE WALKER』(カズヒラ=ミラー)、『ジョジョの奇妙な冒険』(ジョセフ=ジョースター)、『涼宮ハルヒの憂鬱』(キョン)、『銀魂』(坂田銀時)などがある。
 高校在学中に、日本ナレーション演技研究所主催の声優スプリングスクールにて、ミューラス&アニメージュ賞を受賞し、ミューラスアクターズスクール*9に入所すると同時に、芸能事務所「ミューラス」に所属。17歳の時、CSで放映されていた『仮面ライダー』のプレゼント告知ナレーションで声優デビューを果たす。
予備校生時代の1999『魔装機神サイバスター』でアニメ作品の初レギュラーを獲得後、大学卒業まで学業と並行して声優活動を継続していた。2001ミューラスが解散した後、フリーの期間を経て現在の事務所であるアトミックモンキーに所属。'02『ちょびっツ』の本須和秀樹役で初主演。'06.4から放送を開始した『銀魂』の坂田銀時役や『涼宮ハルヒの憂鬱』のキョン役で両作の主役を演じ、知名度を大幅に上げた。'09第3回声優アワード助演男優賞を受賞した。'13.10『Newtype×マチ★アソビ アニメアワード2013』にて男性声優賞を受賞し、『翠星のガルガンティア』で演じたチェインバーもマスコットキャラクター賞を同じく受賞している。
wikipediaより引用)

戦国無双3(通常版) - Wii

戦国無双3(通常版) - Wii

  • 発売日: 2009/12/03
  • メディア: Video Game

定勝+景勝

2009-08-26

上杉定勝
 慶長九(1604)〜正保二(1645)年。出羽米沢藩三十万石上杉家第二代当主。
 1604.5米沢において誕生。母四辻氏*10は定勝出産後に没す。'06江戸に上り、'10.12将軍秀忠*11桜田の景勝邸に臨んだとき、千徳の名を下さる。'23.5父景勝の遺領を相続。'24.1.21将軍の取計らいによって鍋島信濃守勝茂*12の娘*13と婚す。この頃幕府の指令をうけて領内のキリシタン取締りを強化し、'28.12.18甘粕右衛門信綱*14らを処刑した。'34.10信徒16人を捕えて処刑するなど、キリシタン弾圧が相次いで行われ、'39.5吉利支丹横目を郷村に配置した。'38六尺五寸一歩の三百歩一反制をもって領内の総検地を実施して貢租制度を整備し、一万八千石余の出目高は藩に与えられ、家臣の知行を一ツ一分引足す。奉行以下郡代・代官等の藩政・郷村支配体制を整え、とくに直江兼続*15以来の直江支配体制を解いて、藩主直属の体制を整備した。法号大上院権大僧都隆心法印。(『三百藩藩主人名事典』より引用)

上杉景勝
 弘治元(1555)〜元和九(1623)年。安土桃山・江戸前期の武将。長尾政景*16の次男、母は長尾為景*17の娘*18上杉謙信*19の養嗣子。越後国魚沼郡上田庄出身。旧名:顕景、通称:喜平次。弾正少弼
 父の死後、叔父の上杉謙信の養嗣子となる。1578謙信の死後、北条氏康*20の子で同じく謙信の養子となった景虎*21と相続を争い(御館の乱)、'79武田勝頼*22の援助を受けて景虎を滅ぼし、謙信の遺領を継いで越後・佐渡越中能登を支配。'83秀吉と誼を通じ、以後秀吉に仕えて重用される。'86従四位下近衛少将弾正少弼、'88正四位下参議となり、秀吉から豊臣氏及び羽柴の称号を許される。'90小田原攻撃、'92朝鮮の役に従軍、'94従三位中納言となる。'97五大老に列し、'98会津120万石を与えられる。その後、徳川家康*23打倒を図り、1600石田三成に呼応して挙兵したが敗れ、その為'01会津領を没収されて、出羽国米沢30万石に転封。'14-'15大坂の陣では徳川方に属した。1922贈正三位。戒名は覚上院宗心。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

米沢藩 (シリーズ藩物語)

米沢藩 (シリーズ藩物語)

  • 作者:小野 榮
  • 発売日: 2006/02/01
  • メディア: 単行本

帰って来た今日の一行知識

前田慶次上杉景勝の前では借りてきた猫のようだった
流石に冗談の通じない直接の主君の前では傾いてたら、命がいくつあっても足りませんわな。

*1:関白。太政大臣。本姓:豊臣。父木下弥右衛門、母大政所、養父竹阿弥→近衛前久。信長に見出され墨俣築城や美濃衆調略・小谷城攻略などで頭角を顕し、織田四天王の一人として累進。本能寺の変後、山崎の戦い清洲会議賤ヶ岳の戦い・小牧長久手の戦いなどを経て信長後継の座を確保。関白に就任し天下人として全国統一に成功。次いで唐入りを目指し文禄慶長の役を起こすも志半ばに病死。

*2:高台院豊臣秀吉正室。父杉原定利、母朝日殿。秀吉の愛妻として彼の覇業を支えるも、側室淀殿との確執が豊臣家の崩壊を招いた。

*3:高野井藩初代藩主。参議。父福島正信、母松雲院。数少ない秀吉の一門衆として寵遇を受け、賤ヶ岳の七本槍の筆頭に数えられるほどの武勲を挙げ累進。秀吉死後は三成ら文治派との対立から関ヶ原の戦いでは東軍に属し広島五〇万石を領するも、豊臣恩顧の汚名は拭い難く広島城無断改修を口実に改易。

*4:近江佐和山の大名。治部少輔。父石田正継、母瑞岳院、旧名:三也。その聡明俊敏を秀吉に愛され小姓として台頭。豊臣政権では五奉行の一人として全国統一事業に奉職、太閤検地などを主導した。秀吉死後専横を極めた徳川家康に対抗せんとするも関ヶ原の戦いに敗死。

*5:孝高。豊前の大名。勘解由次官。父小寺職隆、母明石宗和女。旧名:祐隆→孝隆、号:如水。小寺政職の家臣から秀吉幕下に転じ参謀として活躍、竹中半兵衛と共に両兵衛と並び称された。豊臣政権下ではその謀才と野心を憎まれ逼塞。関ヶ原の戦いでは九州で第三勢力を樹立せんと策動するも早期決着により頓挫。

*6:加賀の大名。権大納言。父利昌、母長齢院。槍の又左と讃えられる武勇を信長に愛され累進。柴田勝家の与力として活躍するも賤ヶ岳の戦いで秀吉に帰順。その功により五大老に就任。豊臣政権の長老格として秀吉死後も家康と角逐するも政権護持の志半ばに病死。

*7:漢昌太守。汝南郡富陂の人。字は子明。黄祖征伐や赤壁の戦いで功を挙げ累進。当初は蛮勇を以て知られるも長じて勉学に努め、「呉下の阿蒙に非ず」の故事を残す。以後は謀将として濡須口の戦いでの曹操軍撃退や荊州攻略での関羽撃破など赫々たる武勲を挙げた。

*8:コーエー

*9:現在の日本ナレーション演技研究所ヴォーカル・ダンス部門

*10:桂岩院。上杉景勝継室。父公遠、母杉原氏。

*11:徳川第2代将軍。太政大臣。父家康、母西郷局。信康の横死により早くから家康の後継者に擬される。将軍就任後も、家康存命中は大御所政治により実権を持てなかったが、家康死後は本多正純の粛清などにより権力を確立。武家諸法度の制定やキリスト教禁教の強化により幕府の礎を強化した。

*12:肥前佐賀藩初代藩主。侍従。父鍋島直茂、母陽泰院、養父江上家種。父直茂に従い慶長の役などで頭角を顕す。龍造寺政家没後主家より佐賀藩主の座を簒奪、鍋島騒動と呼ばれる混乱を引き起こした。島原の乱での暴走を咎められ蟄居引退。

*13:市姫。

*14:父景継。洗礼名:ルイス。米沢藩の宿老として活躍するも棄教を拒み北山原で殉教。

*15:重光。出羽米沢藩家老。山城守。父樋口兼豊、母藤。景勝の側近として累進し、名門直江家の後を継ぎ、直江支配と呼ばれる一種のトロイカ体制を樹立。秀吉に寵愛され、陪臣ながらも豊臣政権でも重きをなした。秀吉死後は直江状により会津征伐を招き関ヶ原の戦いの端緒となった。

*16:越後坂戸城々主。父房長。晴景派として当初は景虎と激しく対立するものち臣従。上田衆を率い上杉家の筆頭家老として活躍するも、宇佐美定満と共に水遊び中に事故死。謀殺説もあり。

*17:越後守護代信濃守。父能景、母法住院。守護の上杉定能を廃しその弟定美を擁立。関東管領上杉顕定の介入により逐われるも長森原の戦いに勝利し復権。定能をも廃し越後に戦国大名として君臨した。

*18:仙桃院。諱は綾。母青岩院。子に義景、上杉景勝、清円院、畠山義春室。

*19:輝虎。第27代関東管領弾正少弼。父長尾為景、母青岩院、養父長尾晴景上杉憲政。旧名:景虎→政虎。兄晴景に替わり国人連に擁立され家督相続。越後を統一し後北条や武田との抗争を繰り広げた。後北条氏に逐われた上杉憲政を保護し関東管領の地位と山内上杉氏名跡を継承し、関東の後北条氏越中一向一揆との両面作戦に没頭。相越和睦と北陸制圧により畿内への道が拓け、第二次信長包囲網に参加するも志半ばに病死。

*20:相模の戦国大名左京大夫。父氏綱、母養珠院。河越合戦などの勝利により古河公方及び両上杉家を逐い関東に覇を唱え、その後、甲相駿三国同盟を結び関東管領となった上杉謙信の侵攻に対抗した。

*21:母遠山康光妹、養父北条幻庵上杉謙信。甲越和睦の人質として上杉謙信の養子となる。謙信死後義兄弟の景勝と後継者の座を御館の乱で争うも敗死。

*22:信濃守護。大膳大夫。父信玄、母諏訪御料人。信濃の名族諏訪氏の後継者として育つも、信玄の急死により武田家の家督承継。しかし人心収攬に失敗し長篠の戦いに大敗多くの重臣を失い家運は衰退に向かう。宿敵上杉家との同盟などでそれに抗うも武田征伐に抗しえず敗死滅亡。

*23:徳川初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。旧名:元信→元康。桶狭間の戦いを機に今川家より独立。織田信長との清州同盟を背景に今川義元亡き後の東海道に一大勢力を築く。本能寺の変後、羽柴秀吉と織田政権の後継を争うも、小牧・長久手の戦いにより臣従。豊臣政権では五大老の筆頭として重きを成す。秀吉死後、関ヶ原の戦いで三成を破り徳川幕府を開闢。その後、大坂の役で豊臣氏を滅ぼし江戸250年の太平の基礎を築いた。