脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『箱根神社〜信仰の歴史と文化』

【悲報】東京オリンピックの国内ワイロ報道で、マスコミ各社が電通の関わりを意図的に消していた事が判明! どこまでも恥知らず! : オレ的ゲーム速報@刃
はい、犯人確定。また貴様らか。


 新年度に入って早一か月半。そろそろエンジンかけんと本格的にまずいな。


箱根神社―信仰の歴史と文化

箱根神社―信仰の歴史と文化

斯くこそありしか往時の武士

箱根神社
 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根に鎮座。旧国幣小社。祭神は瓊瓊杵尊*1・木花咲哉姫尊*2彦火火出見尊*3。もとは箱根三所権現と称した。
 『筥根山縁起幷序』(1191)によると、箱根山は古代から山岳信仰の中心地で、山頂の駒ヶ岳には神仙宮が開かれ、山岳修行僧の信仰を集めていた。箱根三所権現は、それら修行僧の一人万巻(満願)*4によって勧請、建立されたと伝える。縁起によると、(中略)757鹿島を出て箱根に来往した万巻は、この山で山神を感得し、ここに霊廟をつくった。箱根権現は鎌倉時代になると源頼朝*5をはじめ歴代の将軍や幕府要人の崇敬を受け、発展した。1180.10.16頼朝は箱根権現へ早川荘を寄進した。また関東の鎮護神として崇めた伊豆・箱根両権現に参詣するいわゆる二所詣も、'81.8.11北条政子*6安産祈禱の奉幣使巡遣以後しばしば行われた。1228.10.18火災により社頭・僧坊の大半を焼失したが、幕命により再建が進められ、'28.12再造営が完成した。鎌倉時代以降も関東の支配者たちの崇敬はあつく、関東公方足利持氏*7北条早雲*8・同氏綱*9などにより手厚い保護が加えられた。1590豊臣秀吉*10の小田原攻めで堂宇は烏有に帰するが、'94.2徳川家康*11から二百石の朱印を与えられ、再建された。1663同社の御手洗池とされていた芦ノ湖の山裾を掘貫き、深良村*12へ引水する計画が浅草の商人友野与右衛門*13らによって実施され、難工事の末、'70.12完成した(箱根用水)。1868神仏分離により、別当寺金剛王院東福寺は廃寺となり、この時より箱根神社と称するようになった。例祭は8月1日。(『国史大辞典』より引用)

 うちの理事長兼会長が帰依してるらしく、毎年恒例の新年会で参拝する箱根神社点数稼ぎ愛社精神を高める為に、ちょっと勉強してみようと購入した一冊。運営母体の宗教法人謹製だけあって、現箱根神社、元箱根権現のことを神話時代から現代の風俗まで細大漏らさず紹介されていますので、教科書としては最良かと。まあ、「自伝」なので客観性も糞もないマンセー調なのはケンチャナヨ。半同人誌なので、平易な文章なのに頭に入んなくて目が滑る、学術書とはまた違った難解さがあります。更に、文章にも構成にも色気はありませんので、ガイドブックにするのはちょっと難しいかな。取り上げられている題材は曾我兄弟の仇討とか後北条氏の勢力拡大とか、面白いネタが多いので、過度の期待をせずに箱根神社の歴史の公式見解をフムフムと頷いて聞きましょう。

斯くこそありけれ近時の壮士

 日本人は宗教心が薄いとはよく言われますが、何がどっこい。西洋的な経典戒律ありきの宗教ではない素朴なアミニズムを包含する「原始宗教」まで考慮すれば、これほど信心深い民族も少ないんじゃないかと思います。小難しい聖典や唯一絶対の神に頼らなくても「お天道さまが見てる」の一言で道徳は確立できるというのが、毛唐どもには理解できないだけで。「日本教」の敬虔な信者としてもっと胸を張りましょう。

わが故郷心のうた旅情歌・瀧廉太郎.岡野貞一名曲集/荒城の月.花.箱根八里.春の小川

わが故郷心のうた旅情歌・瀧廉太郎.岡野貞一名曲集/荒城の月.花.箱根八里.春の小川

帰ってきた今日の一行知識

八岐大蛇の首は9本
首と首の間の股が8つって意味の名前なんですね。絵師の方はご注意を。

*1:天忍穂耳尊、母栲幡千千姫命天孫降臨により中つ国を支配。日向の高千穂に宮都を営んだ。

*2:瓊瓊杵尊夫人。父大山津見神。子に海幸彦・山幸彦・火須勢理命

*3:火遠理命。父瓊瓊杵尊、母木花咲耶姫。別名:山幸彦。兄海幸彦に借りた釣り針を亡くしたのを咎められたのに逆切れし、海神からもらった潮盈珠・潮乾珠を使い海幸彦を服属させた。

*4:父智仁。万巻の経典を読み、修験道に通じ、鹿島神宮寺や箱根三所権現などを創建した。

*5:鎌倉初代将軍。右近衛大将。父義朝、母由良御前。平治の乱での敗北により伊豆に配流。以仁王の令旨に呼応し挙兵。富士川の戦いでの勝利などにより関東に独立勢力を確立。壇ノ浦の戦い平氏を滅ぼすと鎌倉幕府を開闢。奥州合戦奥州藤原氏を滅亡させると、ほぼ日本の統一に成功した。

*6:安養院。源頼朝夫人。従二位。父時政。子に頼家・実朝・大姫・三幡。夫頼朝の死後、実家北条氏の覇権を守らんと子の頼家・実朝はおろか父時政までも粛清し、弟義時と共に摂家将軍藤原頼経を擁立し、幕府の実権を握り、承久の変鎮圧などの功を挙げた。

*7:第4代鎌倉公方。左兵衛督。父満兼、母一色氏。上杉禅秀の乱により一時失脚するも、幕府の援助により復権。その後、鎌倉公方の権力強化を図って策動したのを将軍義教に憎まれ永享の乱に発展し敗死。

*8:盛時。相模の戦国大名。父伊勢盛定、母伊勢貞国女、養父伊勢貞道。奉公衆として幕府に出仕。今川氏親外戚として今川家の家督争いに介入。東海道に地盤を得、堀越公方家の内紛に乗じて南関東に進出、伊豆・相模両国を領するに至った。

*9:相模の戦国大名左京大夫。父早雲、母小笠原政清女。家督継承後居城を小田原に遷し、名門北条氏を名乗る。上杉氏や里見氏を破り、武蔵・下総を制圧し、南関東の覇権を握る。以降は西の今川氏との抗争や息を吹き返した扇谷上杉氏の叛乱に悩まされながら病死。

*10:関白。太政大臣。父木下弥右衛門、母大政所、養父竹阿弥→近衛前久。信長に見出され墨俣築城や美濃衆調略・小谷城攻略などで頭角を顕し、織田四天王の一人として累進。本能寺の変後、山崎の戦い清洲会議賤ヶ岳の戦い・小牧長久手の戦いなどを経て信長後継の座を確保。関白に就任し天下人として全国統一に成功。次いで唐入りを目指し文禄慶長の役を起こすも志半ばに病死。

*11:徳川初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。旧名:元信→元康。桶狭間の戦いを機に今川家より独立。織田信長との清州同盟を背景に今川義元亡き後の東海道に一大勢力を築く。本能寺の変後、羽柴秀吉と織田政権の後継を争うも、小牧・長久手の戦いにより臣従。豊臣政権では五大老の筆頭として重きを成す。秀吉死後、関ヶ原の戦いで三成を破り徳川幕府を開闢。その後、大坂の役で豊臣氏を滅ぼし江戸250 年の太平の基礎を築いた。

*12:静岡県裾野市

*13:重之。箱根権現や小田原藩・沼津代官所などに請願し、箱根用水を完成させるも、水利権トラブルにより石もておわれた。