脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

燃える赤ヘル僕らのカープ

[三題噺]カープと革年改元豊臣秀長について

真夏の就活に汗だくスーツ 原因は「人事ブログ」だった : SIerブログ
スーツは嫌だけど、事務職は譲りたくないって人は医療業界がお勧め。トップのDr連がスーツが嫌いってか着慣れてない人が殆どな所為で、結構な確率で服装にルーズです。


 この糞暑い時期に職場のエアコンの故障。しかも事務室だけ!東電さんは何処まで嫌がらせをすれば気が済むのでしょうか。


SRWZⅡ破界篇進捗

  • 3周目第45話「リトル・クィーン」バジュラ(ビショップ級)と交戦中。トップエース:クロウ=ブルースト@ブラスタ。

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熱と力を盛りあげて天を揺るがす応援歌

カープ

緋色の空 - 脱積読宣言
ヒラリヒラリと舞い遊ぶように - 脱積読宣言
ワクガイpt2 - 脱積読宣言
ヒカリ - 脱積読宣言
水の様に優しく 花の様に劇しく - 脱積読宣言

広島東洋カープ
 日本のプロ野球球団でセントラル・リーグの球団のひとつ。
 広島県を保護地域とし、同県広島市南区にあるマツダスタジアム広島市民球場)を専用球場(本拠地)としている。また、二軍*1の本拠地は山口県岩国市にある広島東洋カープ由宇練習場である。親会社を持たない市民球団として結成されたという、ほかの球団と比較して特異の歴史を有する*2。現在は松田家による同族経営となっている*3。市民が直接株式を保有するという意味での市民球団ではないが、特定の企業に依存しないという意味では今なお市民球団のイメージを有する。メディアなどで一文字の略称を用いる場合、漢字では「広」、アルファベットでは「C」で表記される。紙上見出しでは「コイ」の略称も見られる。最も近年の日本シリーズ制覇は1984年、リーグ優勝は1991年、 Aクラス入りは1997年(3位)であり、現在日本プロ野球12球団で最も日本一及びリーグ優勝及びAクラス入りから遠ざかっているチームである。また、消滅した近鉄を含めたNPB13球団の中で唯一21世紀に入ってから一度もAクラスに入っていない。(wikipediaより引用)

カープの美学

カープの美学

革年改元

ワクガイpt2 - 脱積読宣言

改年
 改まった年。新年。(『広辞苑 第五版』より引用)

改元
 元号を改めること。改号。(『広辞苑 第五版』より引用)

改元の頃

改元の頃

豊臣秀吉+公儀の宰相

千ノナイフガ胸ヲ刺ス - 脱積読宣言

豊臣秀吉
 天文五(1536)*4〜慶長三('98)年。豊臣秀吉政権の主権者、関白。織田信秀*5足軽木下弥右衛門*6の長男。尾張国愛知郡中村出身。幼名:日吉丸、通称:藤吉郎。
 1550家出して今川家の臣松下之綱*7に仕え、'53織田信長*8の草履取となり次第に重用される。'66墨股城築城に功を立て、'70頃武将の地位を得、羽柴姓を称する。信長の朝倉・浅井戦に活躍し、'73近江の浅井氏滅亡後その旧領を与えられ、'76長浜に築城する。'77中国平定の主将となり、播磨・備前・美作・因幡の毛利氏属城を攻略する。'82備中高松城を包囲中に本能寺の変が起こり、直ちに毛利氏と和睦して兵を返し、山崎の戦い明智光秀*9を滅亡させる。清洲会議織田信忠*10の子三法師(秀信)*11織田家家督に推し、織田(神戸)信孝*12柴田勝家*13と対立。'82従五位下近衛権少将。'83賤ヶ岳の戦いで勝家を破り、次いで信孝を滅ぼし北陸を平定し、'83従四位下参議。'84尾張国小牧・長久手に織田(北畠)信雄*14徳川家康*15と戦ったが、のち和睦する。'85紀伊の根来・雑賀衆を討ち、また四国の長宗我部元親*16を屈服させる。'85内大臣、次いで藤原姓を称し従一位関白となる。'85大坂城が完成。五奉行を置き公武を統轄する体制を作る。'85豊臣姓勅許。'86太政大臣。'87九州征討軍を出し薩摩島津氏を征し、'90後北条氏を滅亡させ、奥州を平定して全国を統一する。'90関白を辞して養子秀次*17に譲り、太閤となる。'87以後朝鮮・明国征服を策し'92朝鮮へ出兵(文禄の役)したが、李舜臣*18率いる朝鮮の水軍の活躍や民衆の抵抗にあい戦局は不利となり講和を図ったが不調、'97再度派兵(慶長の役)する。'98実子秀頼*19の将来を案じつつ苦悩の裡に没した。信長の事業を継承発展させ、大名の減封・転封を強行して専制権力の確立に成功。また都市豪商との提携・貨幣統一・兵農分離太閤検地・石高制などの施行によって幕藩体制の基礎を作った。その豪奢遊楽の気質が桃山芸術を開花させた。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

公儀
1、公のこと。表向き。
2、政府
 ア、朝廷。公家。朝家。 
 イ、幕府。将軍家。
3、役所。
4、世間。世間の作法。
5、遊女の務め。
(『広辞苑 第五版』より引用)

羽柴秀長
 天文十(1541)〜天正十九('91)年。安土・桃山時代の武将。織田信秀同朋衆竹阿弥*20の子、母は天瑞院*21豊臣秀吉の異父弟。幼名:小吉。旧名:小一郎→長秀。
 秀吉に従い、1577以降中国征討に参陣して戦功を立てる。'82本能寺の変後東上する秀吉に従い、山崎の戦い明智光秀軍と戦う。'82従五位下美濃守に叙任される。播磨・但馬両国を領し姫路に居住。賤ヶ岳の戦い・小牧の戦い・紀州攻略にも従い、所領を紀伊・和泉に移される。'85四国征討には秀吉の名代として出陣し、長宗我部元親を降し、その功によって所領に大和を加えられて100万石を領し、大和国郡山城を居城とする。'86従三位参議、次いで正三位。'87九州征討にも先鋒として参陣し、日向国根白城に島津軍を破り、従二位権大納言に進んだ。病没。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

豊臣秀長 (学研M文庫)

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ここが男の見せどころいつでも若くたくましく

燃える赤ヘル僕らのカープ

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帰ってきた今日の一行知識

日本の元号に使われたことのある漢字は僅か72種
「永」が登場頻度トップの29回。次いで天元治応和文長安・・・と続きます。なお使われていた年数順だと永天和文正平元治延寛の順。因みに5回以上使われている「常連」漢字は31種、10回以上は21種となります。

*1:ウエスタン・リーグ所属

*2:マツダカープ筆頭株主ではあるが、会社としての球団への経営参加はしていない

*3:松田家の所有する株式を全て合わせるとマツダの所有比率を上回る

*4:天文六(1537)年とも

*5:那古屋城々主。三河守。父信定、母含笑院殿。「尾張の虎」の異名を取る武勇で尾張国内で勢力を伸張。隣国の今川氏との抗争の最中に病死。

*6:昌吉。織田信秀足軽組頭として活躍するも戦傷により帰農。出自や生業には異説が多い。

*7:遠江久野藩初代藩主。石見守。父長則。頭陀城主として今川氏に臣従。今川氏滅亡後は一時徳川家康に仕えるも、過去の縁から秀吉に召し出された。

*8:山城の戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。「尾張の大うつけ」と揶揄される幼年期を過ごすも、弟信行との家督争いに勝利し、同族を駆逐し尾張統一を成し遂げた。桶狭間の戦いで虎口を逃れて以降は、美濃併呑・将軍義昭擁立など快進撃を続け近畿一円に勢力を伸張。二度に亙る信長包囲網も打ち破り天下布武を目前に迫るも本能寺の変にて横死。

*9:惟任。亀山城々主。日向守。父明智光綱、母お牧の方、養父明智光安。最初朝倉氏に仕え、義昭と信長の会盟を斡旋。その功により信長に仕えた。比叡山焼討や京都経営で活躍し織田四天王の筆頭として累進するも、本能寺の変で謀反。信長弑逆には成功するも秀吉の中国大返しなどにより政権奪取には失敗し、山崎の戦いで敗死。

*10:岐阜城々主。左近衛中将。父信長、母生駒氏。旧名:信重。武田氏攻略戦に功あり、信長の後継の座を確固たるものとするも、本能寺の変で横死。

*11:岐阜の大名。権中納言。父信忠、母徳寿院。本能寺の変後、清洲会議で秀吉に擁立され織田家々督を継承するも、豊臣政権の成立成熟に伴い勢力は漸減。関が原の変で西軍に属した為、高野山に追放。

*12:岐阜城々主。侍従。父織田信長、母坂氏、養父神戸具盛。伊勢中部の豪族神戸氏を継ぎ、近畿各地の戦いに従軍。四国征討では大将となったが渡海前に本能寺の変に遭遇。中国大返しを成功させた秀吉などの近畿の諸勢力を糾合し復仇を果たすも、清洲会議では家督継承に失敗。柴田勝家と提携し秀吉に対抗するも、賤ヶ岳の戦いで勝家を喪い賜死。

*13:北ノ庄城々主。修理亮。父勝義。当初は信行派として信長と対立するも後臣従。「瓶割り柴田」の異名をとる武勇で織田四天王の一角として活躍。本能寺の変後、織田政権運営の主導権を秀吉と争うも賤ヶ岳の戦いで敗死。

*14:大和宇陀松山藩初代藩主。内大臣。父織田信長、母生駒吉乃、養父北畠具房。旧名:具豊→信意。伊勢の名族北畠氏の名跡を継ぐも、生来の暗愚から信長には冷遇される。本能寺の変後、家康と提携により秀吉に挑戦し小牧・長久手の戦いを有利に進めるも家康に独断で降服。

*15:徳川初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。織田・今川両氏の人質として幼年期を過ごす。桶狭間今川義元が横死後は独立し三河を回復。織田信長武田信玄との同盟により遠江に進出。武田征伐及び本能寺の変後の混乱に乗じ旧武田領を吸収し、秀吉と並ぶ一大勢力となるも、小牧・長久手の戦いで臣従、関東移封となる。秀吉死後、関が原で三成との後継争いに勝利し、徳川幕府を開闢。大坂の役で豊臣氏を滅ぼし、政権を磐石なものとした。

*16:土佐の大名。侍従。父国親、母斎藤祥鳳。姫和子と揶揄される柔弱な幼少期を過ごすも、長じては鬼和子、更には土佐の出来人と称えられる英雄となる。本能寺の変の混乱に乗じて四国統一に成功するも四国攻めを招き、秀吉に降服臣従、土佐一国を安堵された。

*17:豊臣。関白。左大臣。父三好吉房、母日秀、養父宮部継潤→三好康長→豊臣秀吉。旧名:信吉。数少ない一門衆との一人として秀吉に寵愛され、雑賀攻めや四国攻めでも武功を挙げ豊臣政権内で重きを為した。子の無い秀吉の養子となり関白職を継承するも、実子秀頼の誕生により疎まれ謀反の嫌疑をかけられ失脚賜死。

*18:이순신。李氏朝鮮三道水軍統制使。字は汝諧。漢陽乾川洞の人。父貞。文禄の役で水軍を率い活躍するも讒言により失脚。慶長の役勃発に伴い復権し、再度日本水軍を苦しめるも露梁海戦で戦死。

*19:豊臣。摂津の大名。右大臣。父秀吉、母淀殿。父秀吉より豊臣政権を継承するも、関が原の戦いにより実権は徳川家康に奪われる。以降も大坂に二重公儀体制と呼ばれる特殊な政権を護持するも、大坂の役により滅亡。

*20:昌盛。父水野為春。前妻と死別後なかと再婚。連れ子の藤吉郎と折り合いが悪かった為、藤吉郎は出奔した。

*21:なか。父関兼員。夫に木下弥右衛門→竹阿弥、子に豊臣秀吉豊臣秀長・日秀・朝日姫。通称:「大政所」。