脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『人物叢書 淀君』

埼玉県の公営プールでの水着撮影会が一律禁止に 「18歳未満がいる」との指摘受け:哲学ニュースnwk
軍靴の音が聞こえる・・・。この類の性産業に対する軋轢の根源は、吉見義明先生の『従軍慰安婦』での至言「その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはないからである。たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ」がすべてを表していると思います。こんな奴らと話が通じるはずがない。


 暇に任せてしばらくご無沙汰してた各方面に調子に乗って連絡とアポとりまくった後で思い出した「6月後半くらいから動かし始めましょう」で止まってる大きめのプロジェクト二つの存在。さあ私は無事誕生日を迎えることができるのでしょうか。

親の仇の情けに生きる女哀しや露の花

淀殿
 永禄十(1567)~元和元(1615)年。織豊・江戸前期、豊臣秀吉*1の側室。近江生まれ。浅井長政*2の長女、母は織田信長*3の妹小谷の方*4。茶々ともいう。
 1573浅井氏滅亡の際、母と妹二人(常高院*5崇源院*6)と共に信長の尾張清洲城に入る。信長の死後、'82柴田勝家*7に再嫁した母に従い越前北庄に移ったが、'83柴田氏の滅亡にあい、妹たちと共に秀吉に庇護される。やがて秀吉の寵を受け側室となり、'89山城淀城に移り、淀の女房と呼ばれ、棄丸*8(鶴松、三歳で夭逝)を生む。小田原征伐文禄の役には秀吉の陣所に随伴、'93大坂城で拾丸*9豊臣秀頼)を生み、'94伏見城が成ると西丸に住み、その権勢は正室北政所*10高台院)を凌ぐほどであった。秀吉の没後、慶長元年(一五九六)*11秀頼を擁して大坂城に移ったが、大坂の両陣で徳川家康*12と交戦、1615大坂落城により、秀頼と共に自刃した。なお淀君は江戸時代にできた呼称。(『新潮日本人名事典』より引用)


 淀君こと淀殿人物叢書。幼少期より崇拝する桑田忠親先生の筆になるだけあって期待に胸を膨らませて読みましたが、内容は正直ありきたりで常識の範疇を一切出ないもの・・・って言おうとして、冷静になって後書き読み直してみたところ、初出は昭和三十三(1958)年。そら古びもするわと。つーかむしろこれを元にすべての淀殿像が構築されてる可能性すらありますね。逆に100年弱の研究を経て大きくイメージ変わってないってどれだけ強固な議論を構築してたんだと感心。という訳で、古典中の古典の名作をたまには読んでみるのもいいよねって回でした。

紅葉みたいなその手のひらに取らせますともこの国を

 小学校高学年の頃の自分のバイブルは桑田忠親先生の廣済堂文庫の歴史エッセイシリーズでした。親父に連れてかれた古本市のワゴンセールで手に入れた『日本史おもしろ読本』とかをむさぼるように読んだのが間違いなく今の自分の礎になってます。・・・ってここまで書いて思いましたが、小学校高学年でそれってそら友達出来んわと。


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*1:関白。従一位。父木下弥右衛門、母天瑞院、継父竹阿弥、養父近衛前久。名字:羽柴、通称:藤吉郎。継父との折り合いの悪さから実家を出奔し織田家に仕官。その鋭才を信長に愛され、墨俣一夜城や美濃衆の攻略などで頭角を顕し累進。長浜城主として中国地方攻略に従事し、織田四天王の一角に数えられるにいたった。本能寺の変山崎の戦いで復仇を果たし、賤ケ岳・小牧・長久手の各戦を経て信長政権後継の座を確固たるものとし、関白に就任し豊臣政権を樹立。全国統一に成功すると唐入りを掲げ文禄・慶長の役を起こすも志半ばに病死。

*2:北近江の戦国大名備前守。父久政、母小野殿。旧名:賢政。 反六角氏の家臣団に擁立され父久政を追放し家督継承、野良田の戦いに勝利し六角氏より独立。織田信長と同盟し、北近江での覇権を確固たるものとするも、信長の朝倉攻めに際し離反。以降は信長包囲網の一角として角逐するも、小谷城の戦いで敗死滅亡。

*3:近江の戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。尾張の大うつけと呼ばれる少年時代を過ごし、家督継承後も弟の信行と抗争を繰り広げる。稲生の戦いで勝利し、家中を固めると尾張統一に成功し、西上する今川義元桶狭間の戦いで撃破し一大勢力となる。その後美濃を統一し本拠を岐阜に移すと足利義昭を擁し上洛。傀儡の座に飽き足らぬ義昭と訣別し信長包囲網を布かれるも、その勢力は漸増し、安土にて信長政権を成立させる。天下布武まであと一息に迫るも、その急進的な改革を憎まれ本能寺の変にて横死。

*4:市。柴田勝家正室。父織田信秀、母土田御前。旧夫:浅井長政。子に淀殿常高院崇源院浅井長政)。

*5:初。京極高次正室。父浅井長政、母お市の方

*6:江。徳川秀忠正室従一位。父浅井長政、母お市の方。旧夫:佐治一成豊臣秀勝。子に天真院(豊臣秀勝)、天樹院・天徳院・天崇院・興安院・家光・忠長・東福門院徳川秀忠)。

*7:越前北ノ庄城主。修理亮。父勝義。織田家の家老として当初は信行派として信長と角逐するも、稲生の戦い後臣従。その後は信長の宿老として「瓶割り柴田」の雷名を轟かせ、織田四天王の一として北陸方面軍団長を担当。本能寺の変後、信孝と結び織田家の守護者として秀吉と角逐するも、賤ケ岳の戦いにより敗死。

*8:豊臣秀吉、母淀殿。秀吉に生まれた待望の男子として将来を嘱望されるも夭折。

*9:摂津大坂の大名。右大臣。父豊臣秀吉、母淀殿。太閤秀吉より天下人の座を継承するも、関ヶ原の戦いにより豊臣政権は崩壊。大坂の地で徳川にまつろわぬ独自勢力を維持するも大坂の役により敗死滅亡。

*10:寧。豊臣秀吉正室従一位。父杉原定利、母朝日殿、養父浅野長勝。

*11:原文ママ

*12:江戸幕府初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母伝通院。旧名:元信→元康。当初織田家のち今川家の人質として育ち、桶狭間の戦いを契機に独立。織田信長との清州同盟を背景に東海道に一大勢力を築く。本能寺の変後は織田政権の後継の座を秀吉と争うも、小牧長久手の戦いを経て臣従、五大老の筆頭として豊臣政権で重きを成す。秀吉死後は豊臣政権の後継の座を石田三成と争い関ヶ原の戦いの勝利により徳川幕府を開闢。大坂の役で豊臣秀頼を滅ぼし全国統一政権を完成させた。