脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

Ζ・刻を越えてと川島辰彦の批判と島の左近と佐和山の城について

http://gasoku.livedoor.biz/archives/51857986.html
むごい。けど、気持ちはよく分かる。正直あの大人の理想の「愛される子供」を完璧に演じきる不自然な姿には時々反吐が出そうになります。


 最近ふと気づいたのですが、私単一の部署で連続勤務した経験が長くて1年程度。最長が医事課勤務の13ヶ月*1で、次いで現在の在宅介護事業の管理業務*2と派遣業の経理(常勤バイト)*3の10ヶ月に有料老人ホーム管理業務の8ヶ月半*4と地方議員候補秘書の7ヶ月半(うち約一ヶ月休職)*5と続きます。我ながら便利遣いされてるなーと改めて。私にゃ多分一生職人的熟練ってのは無理です。


魔装機神Ⅱ進捗

  • 第32話「南部聯合の反撃」南部シュトデニアス聯合軍と交戦中。トップエース:マサキ=アンドー@サイバスター

愛は多分誰かのためにそっと捧げられた永遠い祈りなのね

Ζ・刻を越えて

Z・刻を越えて - 脱積読宣言

Ζ・刻を越えて 原題:BETTER DAYS ARE COMING
唄:鮎川麻弥*6、原作詞・作曲:ニール=セダカ*7、日本語作詞:井荻麟*8、編曲:渡辺博也*9
テレビ朝日系アニメ『機動戦士Ζガンダム』前期オープニング主題歌、PlayStationゲーム『機動戦士Ζガンダム』オープニング主題歌。
初出:『機動戦士Ζガンダム』(1985.2.21)
収録盤:『機動戦士Ζガンダム』、『機動戦士Ζガンダム BGM集 VOL.1』、『キャンディ・ゲーム』、『GUNDUM -SINGLES HISTORY- 3』、『Ζ・刻をこえて/星空のBelieve水の星へ愛をこめて/銀色ドレス』、『GUNDAM 30th ANNIVERSARY GUNDAM SONGS 145』
歌詞はこちら

 皆大好きΖガンダムの1st主題歌ですが、Ζの名を連呼する古き良きアニソン風味の歌詞とニール=セダカのオサレな曲調がミスマッチ過ぎるのが祟ってか、2ndOPの「水の星へ愛をこめて」に完全に『機動戦士Ζガンダム』の主題歌の座を奪われたかわいそうな子。根っからのスーパーロボットノリの富野監督が、周りのリアル路線への期待とのギャップに苦しんで迷走している姿とオーバーラップする一曲です。しかし、作詞家井荻麟としてみると、ターンAといいこれといいキングゲイナーといい、富野監督の根っこはスーパーなお方だというのがよく分かります。

川島辰彦+批判

亡国覚醒カタルシス - 脱積読宣言

川嶋辰彦
 昭和十五(1940)年〜。日本の経済学者。学習院大学名誉教授。Ph.D.in Regional Science(ペンシルベニア大学、1971年)。研究の専門は、空間経済学、統計学計量経済学。主要な研究テーマは、都市化、最適交通混雑税、地域発展政策と環境保全政策などである。所属学会は国際地域学会、応用地域学会、日本交通学会。
 文仁親王妃紀子*10の実父。 学習院馬術部大学部長であり、明仁親王*11一家とは部の会合で何度か顔を合わせ、面識があった。日泰間の学生交流やボランティア活動にも力を入れており、講演活動や学校の総合学習などの講師などの活動も盛んに行っている。礼宮*12と長女紀子の婚約内定の報道がなされた際、社内の表記基準に従い標準字体の「川島」と報道した媒体も存在したが、宮内庁関係者などからの強い要望もあり、異体字を使用した戸籍名の「川嶋」に表記を改めた。(wikipediaより引用)

批判
1、批評し判定すること。ひばん。
2、人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などを評価すること。否定的な内容のものをいう場合が多い。哲学では、特に認識能力の吟味を意味することがある。
(『広辞苑 第五版』より引用)

 第二皇位継承者の岳父と言えば、外戚の座も十分狙える、世の羨望と嫉視を満身に受けるべき立場のはずですが、川嶋辰彦氏に限って言えば、その人徳からかあまり表立った批判を聞いた記憶がありません。強いて言えば、紀子さま入内決定報道の際に、一切テレビを見せないという川嶋家の教育方針が褒め殺し気味の下種な当てこすりされた位でしょうか。改めて、氏の人格識見の確かなるが偲ばれます。まあ単に、向こう正面の皇太子ご一家がこれでもかって位にネタを大盤振る舞いしてくれているので、人畜無害な学者先生にまで手が回ってないだけな気もしますが。

治部少に過ぎたるものの二つあり

STORMBRINGER - 脱積読宣言

石田三成
 永禄三(1560)〜慶長五(1600)年。安土・桃山時代の武将。石田正継*13の子。近江国坂田郡石田村出身。初名:三也。通称:佐吉。
 豊臣秀吉*14の家臣で五奉行の一人。幼少の時から秀吉に仕え、その聡明俊敏を秀吉に愛された。秀吉の中国出兵・山崎の戦いに従い、賤ヶ岳の戦いにも戦功をたて次第に重用され、1585秀吉が関白に任ぜられると、その諸大夫12人のうちに選ばれ、治部少輔に任ぜられ、次いで奉行となる。以後、秀吉の全国統一事業の中心にあり、堺奉行を兼ねるなどして豊臣政権の中央官僚的役割を果たす。九州征伐・小田原の役にも参加、次いで文禄・慶長の役では渡海して軍需品の輸送、占領政策の面で才能を発揮した。内政でも五奉行の一人として浅野長政*15長束正家*16らと共に太閤検地を始めとする統一事業の立案・遂行に当たった。この間、'95近江国佐和山城主となり19万4千石を領す。秀吉の死後、徳川家康*17に対抗し、毛利輝元*18宇喜多秀家*19らの西国大名と結んで豊臣秀頼*20を盛り立てたが、1600関ヶ原の戦いに敗れ、捕えられて斬られた。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

 稀代の憎まれっ子石田の三成君にも人に自慢のできる物が二つありました。一つは五層の天守閣の聳える見事な近世城郭佐和山城。もう一つは古今無双の武将島左近。標題の通り「治部少に過ぎたるものの二つあり島の左近と佐和山の城」と戯れ歌にも歌われるほどに世間の羨望を一身に集める程の名城と名将でしたが、中央集権政権の官僚が天職の三成さんには正直宝の持ち腐れ。精根込めて築城した佐和山城にはほとんど戻れず城代の父正継に預けっぱなしのまま関ヶ原の合戦後、小早川秀秋に攻められ落城。後を継いだ井伊氏によって首都機能を彦根に奪われ破却。島左近五奉行の筆頭にして戦争下手で有名で兵站等の後方支援の天才たる石田三成の下では縦横の軍略を巡らす機会も碌に与えられず、関ヶ原の戦い黒田長政隊と壮絶な死闘の果てに戦死。と共に非常に哀れな最期を迎えています。案外「過ぎたるもの」の評価は当たってたのかもしれませんね。

島左近×石田三成 (ぶんか社文庫)

島左近×石田三成 (ぶんか社文庫)

時間という金色のさざ波は宇宙の唇に生まれた吐息ね

 三成が「治部少に過ぎたるものの二つあり」と歌われ、小和田恒氏が川嶋辰彦氏を引き合いに出されて妃殿下の父としての態度を批判される。世の中に嫉妬の種は尽きません。ファーストガンダム原理主義者にぼろ糞けなされてたΖガンダムの主題歌のΖ・刻を越えてなんかもその典型でしょう。とはいえ、Ζガンダムなどは今となっては不朽の名作の名をほしいままにしており、三成も最近は再評価の動きが著しいのを見ると、無粋なやっかみも時の流れによる淘汰には敵わないのかもしれませんね。数百年後の歴史家には小和田と川嶋どちらの外戚が亡国の徒と罵られているのでしょうか。楽しみでもあり、想像したくもないことでもあり、ちょっと複雑です。

帰ってきた今日の一行知識

柿は東洋医学では代表的な鎮咳去痰剤
三成が処刑直前に水を乞うて、代わりに柿を進められて「柿は痰の毒になるから食べない」と拒絶したという故事はなんだったんでしょう。美談のふりして無知を嗤うエピソードのつもりで作成したら、皮肉となるべき知識が失われて普通に美談になっちゃったってところが正解でしょうか。あてこすりってのは意外と難しいもんですね。

*1:2008.8.1〜2009.8.31

*2:2011.4.1〜

*3:2007.6.21〜2008.4.30

*4:2009.12.1〜2010.8.15

*5:2010.8.16〜2011.3.31

*6:代表作:「愛はロマネスク」、「夢色チェイサー」、「愛しいあなたはここにいる」他。

*7:Neil Sedaka。代表作:「悲しき慕情」、「愛ある限り」、「雨に微笑みを」(歌手)他

*8:富野由悠季。旧名:富野喜幸。代表作:『機動戦士ガンダム』、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』(監督)他。

*9:代表作:『ビー・バップ・ハイスクール』、『思えば遠くに来たもんだ』、『ゆっくり歩け、空を見ろ』(音楽)他。

*10:母和代。子に眞子内親王佳子内親王悠仁親王

*11:第125代天皇。父昭和天皇、母香淳皇后。カリスマに満ちた先帝とは別路線の親しまれる天皇像を目指して公務に精励中。

*12:秋篠宮文仁親王山階鳥類研究所総裁。父今上天皇、母(正田)美智子皇后皇位継承順第二位の皇子として父兄を輔弼。老齢の父や家庭に問題を抱える兄らに代わり最近頓に存在感を増している。

*13:佐和山城々代。隠岐守。父為広。子の三成の累進に伴い、自身も近江三万石の領主となる。三成の親族衆筆頭として彼を支えるも、関ヶ原の戦い後に留守を守っていた佐和山城を攻められ敗死。

*14:関白。太政大臣。父木下弥右衛門、母朝日姫、養父竹阿弥→近衛前久。信長に寵愛され、織田四天王の一人として累進。本能寺の変後、山崎の戦い賤ヶ岳の戦い小牧・長久手の戦いを経て、信長後継の座を確立し、豊臣政権を樹立、天下統一に成功した。側近の秀長・千利休を失ってからは耄碌が目立つようになり、朝鮮出兵や秀次事件などで政権の求心力を動揺させ、幼き秀頼の将来を憂いつつ病死。

*15:常陸真壁藩初代藩主。侍従。父安井重継、母浅野長詮女、養父浅野長勝。旧名:長吉。義妹のねねが嫁いだ縁で早くから秀吉に仕え、秀長に次ぐ親族衆のNo.2として家中で重きをなした。豊臣政権成立後は五奉行の筆頭として活躍するも文禄の役に端を発する三成との不和から尾張派・近江派の対立を招き、関ヶ原の合戦の遠因となった。

*16:水口岡山城々主。侍従。父水口盛里。当初丹羽長秀に仕えていたが、丹羽氏の没落に伴い秀吉に理財の才を見出され、五奉行の一人として検地奉行などをつとめた。関ヶ原の戦いでは数少ない三成の盟友の一人として西軍に参加するも敗死。

*17:徳川初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。今川家の青年武将として頭角を顕すも、桶狭間の戦いを期に独立、信長と清洲同盟を結び今川武田両家と相対した。本能寺の変後は信長後継の座を秀吉と争うも、小牧・長久手の戦いを経て臣従。五大老の筆頭として豊臣政権でも重きを成した。秀吉死後、関ヶ原の戦い・大坂の役により対抗勢力を駆逐し、江戸幕府250年の泰平の基礎を築いた。

*18:長州藩初代藩主。権中納言。父隆元、母尾崎局。祖父元就の築いた広大な版図を両川の輔弼により維持。本能寺の変後早くから秀吉に恭順し、五大老の一人として豊臣政権で重きを成す。秀吉死後三成らに担がれ西軍の総大将として関ヶ原で家康と対決するも敗北。防長二カ国に押し込められた。

*19:備前の大名。権中納言。父宇喜多直家、母円融院、養父豊臣秀吉。その英才を秀吉に愛され、豊臣政権で累進し五大老の一角にまで成り上がり、朝鮮出兵などで活躍した。秀吉死後、関ヶ原の戦いで報恩の為奮戦するも敗北。八丈島に配流され失意のまま没した。

*20:摂津の大名。関白。父秀吉、母淀殿。父秀吉より関白位と天下を譲られるも、関ヶ原の戦いにより徳川家康に実権を奪われた。以後も大坂を中心に二重公儀体制を維持するも、大坂の役により敗北滅亡。