脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『黄金太閤~夢を演じた天下びと』

http://hamusoku.com/archives/10095088.html
あいちトリエンナーレの津田といい、極楽の加藤といい、ここ最近虚勢の化けの皮がはがれる連中多いですね。みんな身の程も知らずにわざわざ虎の尾を踏みにいくからだ


 祝本棚完全完成!といいつつも全く容量足りず結構な量が床に直置きになってたり。「書斎」って作るの難しいんですね。


競馬成績・・・2019収支-38040

  • 関屋記念・・・本命ソーグリッタリング+140
  • エルムS・・・本命リアンヴェリテ-1200
  • 博多S・・・本命アロハリリー+30

プライドなど投げ打ってDead or Alive

豊臣秀吉
 天文六(1537)~慶長三('98)年。織豊期の天下を統一した武将。尾張国愛智郡中村生まれ。百姓弥右衛門*1の子。母はなか(天瑞院)*2
 尾張を出、松下之綱*3に仕えた後、織田信長*4に仕える。はじめ木下藤吉郎。信長入京後は京都の民政にあたり、1573北近江の長浜城主となる。この頃から羽柴姓を用い、'77.10からは中国攻めに従事。'82.6本能寺の変に接し毛利輝元*5と急ぎ和睦して、山崎の戦で明智光秀*6を倒す。'83.4柴田勝家*7を賤ヶ岳の戦で破って信長の後継者の地位を固め、大坂城を本拠とした。'84小牧・長久手の戦をへて徳川家康*8を臣従させ、'85関白、'86太政大臣となり、豊臣姓を受けた。四国・九州に続き、'90関東・奥羽を服属させ、全国統一を完成。'92からは「征明」を意図して朝鮮に出兵(文禄・慶長の役)したが、朝鮮水軍の抵抗などに苦戦するなか、'98.8死去。秀吉は、ほぼ全国に行った太閤検地と刀狩によって兵農分離を完成させ、近世社会の基礎を築いた。また九州攻めの後、バテレン追放令を出しキリスト教の布教を禁じたが、ポルトガルとの貿易は継続したので徹底しなかった。(『日本史人物辞典』より引用)

 
 豊臣秀吉は天性のプロデューサーで政権の正統性や権勢の演出に余念がなかったって切り口からの結構斬新な秀吉論。信長の葬儀から自身の死までのいわゆる桃山時代を、特に文禄・慶長の役の意義をメインテーマに、謳うがごとくの流麗な筆致で見事に物語に仕立て上げます。各章に引っ付いてくる戯曲風の酔っ払ったようなアバンタイトルはいかがなもんかと思いましたが。正直それ見た瞬間投げ捨てかけたぞっと。そんな痛々しい構成はさておけば、非常に読みやすい文章で結構骨太な議論が展開されており実に自分好みのけれんみ。特に「ビッグプロジェクトだった唐入りが頓挫したのを、秀吉と小西行長が共謀してうまく演出で糊塗して和睦に持ち込もうと奔走しているのに、空気の読めない加藤清正が大暴れで妨害した上、タイミング悪く慶長伏見地震が起きて秀吉が威信をかけて構築してきた数々のモニュメントが崩壊し、秀吉は退くに退けなくなって再出兵に至る」ってストーリーは個人的に朝鮮出兵の様々な疑問点や違和感がすべて氷解する見事なもの。新書だと思って舐めていましたが、凡百の分厚いハードカバー百冊読むより有意義な読書体験でした。皆さんもぜひご一読ください。極上のアハ体験が味わえますよ。

勝つまで立ち上がれ上がれ恐れずに前へ

 今も昔も自己プロデュースって大事なんだなあ、と。あの秀吉ですら、自身の正統性と求心力を担保するためにここまでのことをやってたんだから、我々凡俗も、「ありのままの自分を見て」なんて逃げ口上は捨てて、自身の演出に努めなけりゃいけませんね。そのためにも、まずはユニクロ行こっと。

黄金魂

黄金魂

  • 発売日: 2018/06/13
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黄金魂

帰ってきた今日の一行知識

鼻そぎの蛮行で集められた鼻は甲斐善光寺阿弥陀如来への供物

方広寺に動座願った際の歓迎の儀式で使われたんだとか。過激なパフォーマンスで求心力を維持するタイプの国家元首は大変ですよねぇ、文在寅大統領。

*1:父弥助。織田家足軽として活躍していたが戦傷により帰農。

*2:弥右衛門→竹阿弥夫人。従一位。父関兼貞。子に瑞龍院日秀・豊臣秀吉豊臣秀長・朝日姫。

*3:遠江久野藩初代藩主。石見守。父長則。頭陀城々主として今川氏に仕えていたが、主家滅亡後徳川家を経て、依然召し抱えていた縁で秀吉の家臣となった。豊臣政権の発展とともに所領を増やし最終的には遠江久野に2万6000石を得た。

*4:近江の戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。斎藤道三との同盟などを背景に尾張統一に成功。桶狭間の戦い今川義元を退けると美濃攻略に成功。前将軍の弟義昭を擁して上洛し天下布武の覇道を歩み始める。三度の包囲網を乗り越え天下統一目前まで近づくも本能寺の変により横死。

*5:安芸の大名。権中納言。父隆元、母尾崎局。祖父元就の死去により家督継承。吉川元春小早川隆景の両川の輔弼により中国地方をほぼ制圧。織田信長の西進により抗争を開始、本能寺の変後逸早く秀吉に帰順し、五大老の一人として豊臣政権で重きをなす。秀吉死後西軍の大将に擁立され関ヶ原の戦いでの敗北により周防長門以外の領国を失い隠居。

*6:惟任。近江坂本城主。日向守。父明智光綱、母お牧の方、養父明智光安正室濃姫と遠縁だったのを縁に義昭を信長に紹介したのを期に信長に仕官。京都経営や対幕府外交などで大功を挙げ累進。「錦光秀」とあだ名される華麗な活躍で信長四天王の筆頭にすら数えられるほど重用されるも本能寺の変により離反。一時は畿内を制圧するも山崎の戦いにより敗死、三日天下に終わった。

*7:越前北ノ庄城主。修理亮。父勝義。当初は信行家老として信長と敵対するも稲生の戦いでの敗戦を期に信長に臣従。以降は織田政権の宿老となり、「かかれ柴田」「瓶割柴田」などの勇名と共に織田四天王の一人として活躍。本能寺の変後の清須会議の結果お市の方を娶り織田信孝を擁立し秀吉と角逐するも賤ヶ岳の戦いで敗死。

*8:江戸幕府初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。旧名:元信→元康。最初織田家後に今川家の人質として成長。桶狭間の戦いを期に独立し、織田信長と清州同盟を締結し三河遠江を領した。本能寺の変後、小牧・長久手の戦いで秀吉に臣従し関東移封。五大老の筆頭として豊臣政権で重きをなした。秀吉死後は関ヶ原の戦いに勝利し江戸幕府を開闢。その後大坂の役で豊臣氏を滅亡させ全国統一に成功した。