脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『戦争の日本史13〜信長の天下布武への道』

すらるど 海外「アニメのOPって新たな決意と共に空を見上げ過ぎじゃね?」:海外の反応
世の中にはバカ一だからこその様式美ってもんがあるんです。


 気が付けば退院から早半月。職場と下宿の往復以外になんもしてない気がします。ああ、御茶ノ水に帰りたいなあ。

SRWOGⅡ進捗

  • 2周目第60話「ラスト・クライ」AI1と交戦中。トップエース:マサキ=アンドー@サイバスター

信長の天下布武への道 (戦争の日本史)

信長の天下布武への道 (戦争の日本史)

誰より遠くへ飛んで見せるよすべての明日を貫いて

織田信長
 天文三(1534)〜天正十('82)年。戦国・織豊期の大名。
 『信長公記』によれば若い頃異風・不作法・粗暴が目立ち、大うつけと言われた。宣教師のルイス=フロイス*1は戦術に老練で決断を秘し、仏教や迷信を信じず、名誉心に富むと評した。父信秀*2の死により家督継承。1559尾張平定、'60今川義元*3桶狭間で討ち、徳川家康*4と同盟を結んで西進を目指した。'67斎藤氏を滅し岐阜に本拠を移すと「天下布武」の朱印を用いて武力統一を標榜。'68足利義昭*5を擁して上洛し畿内に進んだが、浅井・朝倉・本願寺武田信玄*6らの反信長包囲網が形成され危機に陥る。'73信玄の死、義昭追放、浅井・朝倉攻めで危機を脱し、伊勢長島・越前の一向一揆を殲滅し、'80本願寺を屈服させて石山合戦に終止符を打った。'82武田氏を滅ぼし、毛利攻めに出陣の途中、本能寺で明智光秀*7に攻められ自刃。信長の検地や楽市楽座などは戦国大名に共通のものであるが、宗教勢力の弾圧、一揆解体、安土築城などに近世権力に直接連なる特質が見られ、信長政権を豊臣政権に近いとみるか、戦国大名と同質と見るか意見が分かれる。(『岩波日本史辞典』)

 家督継承から本能寺での横死までの30年間に亘る信長の激闘の歴史を活写。普通は桶狭間や長篠止まり、気の利いたものでもせいぜい姉川が加わる程度の信長の戦史を、周辺の政治状況や織田政権の構造も交えつつかなり丁寧に解説してくれているので、信長研究の入門には最適ではないでしょうか。重要性とは裏腹に無視されがちな、尾張統一期や三好三人衆らとの近畿争奪戦などに紙幅が割かれてるのも◎。信長の野望世代には感涙の一冊でしょう。いくらロートルと笑われようとも戦国サーガの聖典は無双やBASARAではなく信長の野望だ。

全速力で未来も現在も駆け抜けろ

 一介の尾張守護代の奉行から天下布武の覇道を駆け抜け、その大業目前に横死した英雄信長。中世を終わらせ近世への扉を開いた彼こそ、日本史最大の偉人と私は信じます。彼の時代の如き閉塞感と制度疲労に悩まされる現代日本にも彼のような英雄が必要とされているのでないでしょうか。アンシャンレジームの打破を謳う安倍総理、今度こそはヘタレないでください。その覚悟の試金石たるは八月十五日。何を為すべきかは言わずもがなですよね。

The Biggest Dreamer

The Biggest Dreamer

帰ってきた今日の一行知識

信長が在陣した最長の戦役は志賀の陣の三か月
戦は巧遅より拙速を尊ぶの鑑のようなお方ですね。確かに言われてみれば信長に持久戦のイメージってないや。

*1:Luis Frois。イエズス会宣教師。司祭。カトリック布教の命を受け来日。信長に寵愛され、織豊期のキリシタン文化の隆盛の礎となった。代表作:『日本史』。

*2:尾張戦国大名。弾正忠。父信定、母含笑院。本家の分裂に乗じ勢力を伸張、斎藤・今川両氏とも角逐し、尾張の虎の雷名を轟かせた。

*3:駿河守護。治部大輔。父氏親、母寿桂尼花倉の乱に勝利し家督継承。小豆坂の戦いに勝利し三河を勢力下におさめ、東海道の覇者として君臨。甲相遠三国同盟を締結し後顧の憂いを失くし上洛を企図するも桶狭間の戦いで戦死。

*4:徳川初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。旧名:元信→元康。桶狭間の戦いを機に今川家より独立。織田信長との清州同盟を背景に今川義元亡き後の東海道に一大勢力を築く。本能寺の変後、羽柴秀吉と織田政権の後継を争うも、小牧・長久手の戦いにより臣従。豊臣政権では五大老の筆頭として重きを成す。秀吉死後、関ヶ原の戦いで三成を破り徳川幕府を開闢。その後、大坂の役で豊臣氏を滅ぼし江戸250年の太平の基礎を築いた。

*5:室町第15代将軍。権大納言。父義輝、母慶寿院、養父近衛尚通。旧名:義秋。織田信長に擁立され将軍就任するも、傀儡の座に満足せず、二度に亘り信長包囲網を形成するも破綻。毛利氏の庇護下に鞆に亡命政権を樹立するも時勢には抗えず、豊臣政権に臣従。

*6:晴信。甲斐・信濃守護。大膳大夫。父信虎、母大井の方。父信虎を追放し家督を継承。信濃駿河に勢力を伸張し甲斐の虎の雷名を轟かせた。内政にも手腕を発揮し名君の誉れも高かったが、信長包囲網の一角としての西上作戦の途上に陣没。

*7:惟任。近江坂本城主。日向守。父明智光綱、母お牧の方、養父明智光安足利義昭を紹介した縁で織田家に仕官。京都経営や比叡山焼討などに功あり、織田四天王の筆頭格として累進。本能寺の変によりクーデターに成功するも、山崎の戦いに敗れ三日天下に終わった。