脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『失脚から銃殺まで~ブハーリン』

研究機関「学生時代にぼっちだった人は陰謀論者になる可能性が高い」:キニ速
それ以上いけない(´;ω;`)


 今年も手賀沼花火大会の季節がやってまいりました!!!懲りずに今回も友人連を家に招いたので、これから一週間かけてレッツ大掃除。それに伴いこちらの更新頻度も下がると思いますのであしからず。

Расцветали яблони и груши, Поплыли туманы над рекой.

ブハーリン Никола́й Ива́нович Буха́рин
 西暦1888~1938年。ソ連の政治家。
 教師*1の子。モスクワ大に学び、革命運動に参加、1906共産党に入る。逮捕、流刑、のち亡命先でレーニン*2と知り合う。'12-'13ウィーン大で経済学を聴講、'18『世界経済と帝国主義』を著わし、マルクス主義の理論家として有名になる。革命後は『プラウダ』紙の編集長、党政治局員。またコミンテルン執行委員で、その「綱領」の起草者。20年代の党内論争で右派をリード、スターリン*3路線に反対、'29失脚、30年代の粛清で処刑された。(『コンサイス人名辞典 外国篇』より引用)


 ロシア大粛清期に散った悲劇のインテリの物語を期待して読んだんですが、実際は学生運動世代特有の難しくて自分にしか意味のとれない訳の分からない文章こそ高尚とでも言わんばかりの下手くそな文章が続いて目が滑る滑る。一冊丸々読んでこうやって感想書こうとして、で結局何が書いてあったんだっけ・・・と現在途方に暮れてます。自分が大の共産主義のアンチで、ソ連の政治史に疎いのをさておいても中々ひどい有様なんではないでしょうか。大人しく残虐無道なスターリンの圧迫に折れず高潔な理想を掲げ続けた悲劇の英雄の物語が読みたかったよう。という訳で、とりあえず益々かの界隈が嫌いになった一冊でした。

Выходила на берег Катюша, На высокий берег на крутой.

 愚にもつかない神学論争は大好物なんですが、なんでこう共産主義まわりというか左翼周りの議論はこうも嫌悪感を覚えさせてくれるのでしょうか。謎です。きっと、無知蒙昧な愚民どもは小難しいこと言ってればありがたがってくれるだろうって精神があかんのでしょうね。他山の石として自分もそうならない様に気を付けます。


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*1:イヴァン=ガヴリロヴィチ。モスクワ大学で学んだ数学者でモスクワで教職に就いた。

*2:Влади́мир Ильи́ч Ле́нин。ソビエト連邦人民委員会議初代議長。父イリヤ・ニコラエヴィチ・ウリヤノフ、母マリア・アレクサンドロヴナ・ブランク。本名:ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ。マルクス主義活動家として活躍するも扇動罪で逮捕。釈放後西ヨーロッパに亡命しロシア社会民主労働党の幹部として頭角を現し、ボリシェヴィキの指導者となる。二月革命後帰国し十月革命を起こし政権を掌握。コミンテルンを結成し世界同時革命を志向するも頓挫、ネップに移行しソビエト連邦建設に尽力。晩年はスターリンの台頭を憂慮しながら志半ばで病死。

*3:Ио́сиф Виссарио́нович Ста́лин。ソビエト連邦閣僚会議初代議長。父ヴィッサリオン・ジュガシヴィリ、母ケテワン・ゲラーゼ。本名:ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ。ボリシェヴィキで実務家として台頭。レーニン死後カーメネフジノヴィエフトロツキーらとの後継争いに勝利し権力を掌握、大粛清を行い独裁政権を確立した。第二次世界大戦では大祖国戦争ナチスドイツの侵攻を撃退し、アメリカと共に戦後のイニシアチブを握り、東西対立による冷戦体制を確定させた。