脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

我孫子町と熱海温泉と上原良治について

痛いニュース(ノ∀`) : 【静岡】旧庁舎でサバイバルゲーム 市議・市民から不謹慎と反対の声も…市長参加せず開催へ 島田市 - ライブドアブログ
理不尽なクレームには屈しないという前例が着々と増えつつあって何より。


 なんだか久しぶりな気のする異業種交流会に参加。こないだのクラブといい最近なんか意識高い系というかパリピの仲間入りが出来つつあってちょっと鼻高々。どっちもほぼ壁の花だったのは内緒だ。

My Love あの空の色人になる前に

我孫子町

我孫子町
 千葉県東葛飾郡にあった自治体。我孫子市の前身。
 1889.4.1町村制施行により南相馬郡我孫子町*1、湖北村、布佐町が誕生。'97.4東葛飾郡南相馬郡編入東葛飾郡我孫子町、湖北村、布佐町になる。1954.11.1東葛飾郡富勢村の一部が我孫子町編入(残部は東葛市〔現在の柏市〕へ編入)。'55.4.29我孫子町、湖北村、布佐町が合併し新制我孫子町が誕生。'59手賀沼ディズニーランド構想が持ち上がるが白紙となる。'70.7.1市制施行により我孫子市が誕生。全国で565番目、県下で22番目。(wikipediaより修整引用)


 我らが我孫子市の前身自治体。境域は地名から推察するに我孫子駅から天王台駅までの間くらいかな。我孫子市って東西に長いですけど人が多いのって結局この旧我孫子町と北柏近辺の旧富勢村辺りなんですよね。そのあたり東京都を東西反転したのにそっくりなんですよね。まあ人口が100分の1くらいしかいませんけど。

熱海温泉

熱海温泉
 静岡県熱海市にある温泉。日本の三大温泉の一つとも言われる。
 熱海は歴史的にも古い温泉であり、およそ1500年前の仁賢天皇*2の時代、海中から熱湯が噴き出し、魚が爛れ死ぬのを近郷の者が発見、以来「熱い海」であることから、熱海と名付けられたとされる。また、天平宝字の頃に箱根権現の万巻上人*3が、この「熱い海」のために不漁に苦しむ漁民たちを救済すべく、祈願により源泉を海中から現在の山里に移したという伝説も残されている。
 1604徳川家康*4が7日間湯治で逗留した記録がある(『徳川実紀』)。以来、徳川将軍家御用達の名湯として名を馳せ、徳川家光*5以降に、熱海の湯を江戸城に献上させる「御汲湯」を行わせた。
 明治以降は文人墨客が多く訪れ、また多くの作品がこの地を舞台に描かれた。最も代表的な作品は、尾崎紅葉*6の『金色夜叉』であり、この作品によって熱海の名は全国的に知られることとなった。国道135号沿いに登場人物である貫一*7・お宮*8の像がある。他に永井荷風*9の『冬の日』や林芙美子*10の『うず潮』などがある。'23関東大震災で大きな被害を受けるもその後は'24国鉄熱海線の熱海駅延伸もあって急速に復興し、'36.7.1熱海町営温泉(後の市営温泉)が発足。この頃の熱海は新聞に「エロの街、カフェーの街」と書かれるほど風俗産業が盛んな温泉街であったが、'34丹那トンネルが開通して温泉目当ての観光客が増加するとカフェーが続々と食堂に転向した。 もっとも戦後の混乱期は再び風紀が乱れて占領軍兵士などを相手にしたパンパン街が形成されていた。
 その後熱海大火で大きな被害を受けるが、昭和30年代は新婚旅行の代表的な行き先で、白いドレスに白のスーツケースを持った、それと分かるアベックで賑わった。東海道新幹線開業後の昭和40年代は高度経済成長期の影響で団体旅行を誘致するようになり、関東だけでなく中京・関西からの客も増えて宿泊者が年間450万人を突破。バブル時代は東京都区部での土地の高騰・新幹線通勤の広がりに伴い、高額所得者が熱海に温泉付の自宅を構えて東京都内へ新幹線通勤する光景も多く見られた。
 しかしバブル崩壊で企業の保養施設や団体旅行が衰退し、円高による海外旅行の一般化もあって関西をはじめとする遠方からの客も減った。それに1990年代前半に発生した伊東沖での群発地震が追い打ちをかけ、観光客が減少。2006熱海市が財政危機宣言を出した。このため地元の有志が活動を開始。熱海駅と旅館・ホテル街を結ぶ位置にある熱海銀座商店街で増えた空き店舗を、東京からのUターン者や地元住民、市が青空市開催と意欲ある店主の誘致、業態転換などで再生させた。こうして長期低落傾向が2011年を底に反転し、熱海復活として注目されている。首都圏の西隣で新幹線駅がある元々の有利さは健在で、旅館・ホテル業界も花火大会などで、個人・小グループ客にとっての魅力向上に努めたことも奏功した。(wikipediaより修整引用)


 首都圏において、のんびり長逗留の湯治の温泉街が草津なら、杯盤狼藉の喧騒がよく似合う温泉街と言えばやはり熱海温泉でしょう。前職前々職の昭和の遺風を色濃く残すトップの方々のお気に入りだった模様で、忘年会新年会の会場といえば熱海だったので、自分も何度か行ったことがあります。とは言え、観光糞食らえでただただ旅館で飲んで騒ぐのがメインだったので、町の様子は地味にほとんど分かりません。ただ酔い覚ましに深夜の徘徊した時に行った海岸の風情は酔いも相俟って格別だったなあと。問題は何故かそのいいムードの隣に想いを寄せる同僚もキレイどころのお姐さんもいなかったことなんですが。

上原良司

上原良司
 大正十一(1922)~昭和二十(1945)年。大日本帝国陸軍軍人。 陸軍特別攻撃隊第56振武隊員。「自由主義者」を標榜する遺書の内容で有名。上原が書き残した遺書や手記などは、近代日本史上の軍人が書き残した遺稿の中で、最もよく知られているものの一つであり、『きけ わだつみのこえ』などの多くの書籍に掲載され、映画やドキュメンタリー番組で度々取り上げられている。(wikipediaより修整引用)


 日本に遺書文学という異色のジャンルを成立させた第一人者。慶應義塾大学経済学部の学生という超インテリで、クローチェに耽溺する文学少年。その卓越した文才と怜悧な感性を以て遺した絶筆たる「所感」が『きけわだつみのこえ』などで紹介されて一世を風靡したってのが概要でしょうか。その内容を、特攻隊員の遺書という色眼鏡をはずして読むと、20前後の少年の背伸びが恥ずかしくも微笑ましい、無事長じていたら確実に黒歴史になるであろう一品。そう考えると靖国や知覧の遺書群って、特攻前夜でアドレナリンが出まくってハイになってる時に書いたポエムか。死してなおそれを晒されるってのはなかなかにひどい仕打ちなのかもしれませんね。

天使の姿をしてこの星座見つめた

 上原良司が散華した戦中期、我孫子町が存在した高度経済成長期、熱海温泉が絶頂を迎えたバブル期、そして我らが生きた失われた30年を経て、これから日本はどこへと向かっていくのでしょうか?衰退局面なのはもう覚悟してますので、せめて誇り高い文化大国としてその最期を看取れたらいいなあ。


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*1:我孫子宿、我孫子村新田、下戸村、高野山村、青山村、柴崎村、岡発戸村、都部村、高野山新田、岡発戸村新田、都部村新田、都部新田

*2:第24代天皇。諱は億計。父市辺押磐皇子、母荑媛。弟の弘計王が、子のない再従弟の清寧天皇に乞われ後継となり顕宗天皇となるも子を為さず病死した為即位し、仁政を布いた。

*3:父智仁。万巻の経典を読み、修験道に通じ、鹿島神宮寺や箱根三所権現などを創建した。

*4:江戸幕府初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母伝通院。旧名:元信→元康。当初織田家のち今川家の人質として育ち、桶狭間の戦いを契機に独立。織田信長との清州同盟を背景に東海道に一大勢力を築く。本能寺の変後は織田政権の後継の座を秀吉と争うも、小牧長久手の戦いを経て臣従、五大老の筆頭として豊臣政権で重きを成す。秀吉死後は豊臣政権の後継の座を石田三成と争い関ヶ原の戦いの勝利により徳川幕府を開闢。大坂の役で豊臣秀頼を滅ぼし全国統一政権を完成させた。

*5:江戸幕府第3代将軍。権大納言。父秀忠、母崇源院。「生まれながらの将軍」として、土井利勝松平信綱らの輔弼を得て各種改革を断行。武家諸法度・参勤交代・鎖国など江戸時代を象徴する諸制度を完成させた。

*6:徳太郎。父谷斎、母庸。代表作:『金色夜叉』・『多情多恨』・『伽羅枕』(小説)他。

*7:名字:間。秀才として名を馳せ、奇遇先の娘お宮と許嫁となるも、お宮の心変わりにより破局。傷心から学業を諦め、高利貸し鰐淵の手先となり、彼の頓死により後を継ぐ。

*8:名字:鴫沢。富山唯継夫人。許嫁の貫一を裏切り富豪に嫁ぐも、結婚生活には満足できてない。

*9:壮吉。父久一郎、母(鷲津)恒。号:断腸亭。 代表作:『濹東綺譚』・『腕くらべ』(小説)、『断腸亭日乗』(日記)他。

*10:フミコ。父宮田麻太郎、母林キク。代表作:『放浪記』・『めし』・『浮雲』(小説)他。