脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

鋼の救世主と原田実とボナパルト朝について

【東京あるある】勉強できない学歴の無い母親が子供で学歴リベンジしようとするのが地獄すぎると話題に:ハムスター速報
トロフィーワイフを娶った成り上がりが二代目への継承に失敗して事業をこかす理由のすべてがここに詰まってますね。


 定期巡回先一件追加。Polka Ch.尾丸ポルカ。うん順調に泥沼にはまってるぞ。

We've paid in hell since Moscow burned as Cossacks tear us piece by piece

今こそ世界は+君だけ

鋼の救世主
唄:JAM Project、作詞:影山ヒロノブ*1、作曲:千沢仁*2、須藤賢一*3
PlayStation用ゲーム『スーパーロボット大戦α外伝』オープニング主題歌。
初出:『PS用ゲーム「スーパーロボット大戦α外伝」主題歌』(2001.4.25)
収録盤
『PS用ゲーム「スーパーロボット大戦α外伝」主題歌』、『BEST Project ~JAM Project BEST COLLECTION~』、『スーパーロボット大戦シリーズ JAM Project 主題歌集』、『スーパーロボット大戦×JAM Project OPENING THEME COLLECTION ALBUM MAX THE POWER』
歌詞はこちら

鋼の救世主


 みんな大好きJAM Projectの歌う『スーパーロボット大戦α外伝』主題歌の「鋼の救世主」のサビの冒頭歌詞。水木御大のシャウトがこの歌詞に不思議な説得力を与えてくれてるように感じるのは気のせいでしょうか。個人的にJAMをしっかり聞いたのがこの曲が初めてだったので、今までのどのアニソンとも違う熱さとポップさを両立させた果てしないカッコよさに一撃で心打ちぬかれたのを今でもよく覚えています。次作以降の「SKILL」や「GONG」の陰に隠れて今一つ知名度低めの楽曲ですが、埋もれさせとくには惜しい名曲だと確信しています。

原田実

原田実
 昭和三十六(1961)年~。歴史研究家・文明史家・作家。
 広島市中区出身。修道高等学校を経て、1983龍谷大学文学部仏教学科卒業(文学士)。'84から3年半、オカルト系出版社八幡書店に勤務、古史古伝・霊学書籍の広告を担当した。また、伊集院卿のペンネームで雑誌『ムー』に記事を執筆。その後広島大学研究生を経て、'91-'93昭和薬科大学文化史研究室にて、古田武彦*4の下で助手を務める*5。'95パシフィック・ウエスタン大学博士課程修了(Ph.D.)。*6『ゼンボウ』1996年9月号には、史学博士とある。
 元「市民の古代研究会」代表(2001-'02)。と学会およびASIOSの会員でもある。『トンデモ本の逆襲』あとがきには「自分の著作を送ってきた読者」の一人として書名『幻想の津軽王国』と共に紹介されているため、その後の入会と思われがちだが実際の入会は1994である。雑誌『ゼンボウ』、『正論』、『新潮45』、『季刊邪馬台国』などに寄稿している。また、シャーロキアンでもある。(wikipediaより修整引用)


 黎明期の鬼才たちが耄碌したりやる気を失くし、新陳代謝にも失敗して若手もグデグデの末期と学会を孤軍奮闘で支えた英雄。古史古伝の記事を書かせたらこの人の右に出る人はいません。twitterも熱心に更新していてそのバランス感覚にはただただ驚嘆の一語。昨年コロナ禍で愛妻を失くしてからしばらくの更新記事は涙なくては読めません。多作でかなりの本を出しているのですが自分が読んだことあるのは『日本化け物史講座』と『つくられる古代史 重大な発見でも、なぜ新聞・テレビは報道しないのか』だけ。今度一度しっかり腰を落ち着けてまとめて読んでみたいなあ。

ボナパルト朝

ボナパルト朝 dynastie des Bonaparte
 19世紀フランスに興った王朝。一時はフランス本国のみならず、一族が周辺諸国の君主にもなった。
 ボナパルト家コルシカ島の小さな貴族の家柄であったが、1799一族のナポレオン・ボナパルト*7がブリューメル18日のクーデターで第一統領に就任し、その後自らを「フランス人の皇帝」に推戴させる選挙を行い、圧倒的な賛成で1804皇帝ナポレオン1世として即位した(フランス第一帝政)。ナポレオン1世はヨーロッパ各国に侵攻すると、自分の兄弟や親類を征服地の国王や大公に仕立て上げた。*8彼らは必ずしも私欲に走ったりナポレオンに追随したわけではなく、ホラント王のルイ*9ナポリ王のミュラ*10などのように、現地の利益にある程度配慮した政策を行って支持を得る一方、ナポレオンと不和になったり廃位させられた者もいる。いずれにしても、彼らはナポレオンの失脚とともに没落した。
 上記の他、兄嫁の妹で元婚約者であるデジレ・クラリー*11の夫ジャン=バティスト・ベルナドット*12スウェーデン王太子に据えているが、ナポレオンに敵対する道を選んだベルナドットは、ナポレオン失脚後もその地位を保ってスウェーデン王位に就き、現在まで続くベルナドッテ王朝の祖となった。のちに、ジャン=バティスト改めカール14世ヨハンとデジレの息子であるオスカル1世*13が、ウジェーヌ・ド・ボアルネ*14の娘ジョゼフィーヌ*15を王妃としている。
 ナポレオン1世の没落から約30年後の’48ルイ・ボナパルトの三男ルイ=ナポレオンボナパルト*16が、第二共和政の下で行われた最初の大統領選挙に当選し、'52クーデターと選挙によって帝政を復活させ、ナポレオン3世として即位した(フランス第二帝政)。しかし、スペインの王位継承権問題がきっかけで'70年にプロイセン王国と開戦(普仏戦争)したが、戦局はフランス不利に傾く。セダンの戦いナポレオン3世自ら前線に赴いたが敗北し、皇帝自らが捕虜になった。皇太子であるナポレオン4世*17は帝位に就かず、皇太子のまま政務を執ったが、パリ民衆の暴動のために2日間でイギリスに亡命した。 (wikipediaより修整引用)

 
 ナポレオン1世ブリュメール18日のクーデターで第一統領となってからナポレオン3世普仏戦争で失墜するまでの約70年間にわたり、19世紀ヨーロッパを席巻したボナパルト一族。フランス皇帝となったナポレオン1世・3世の他にも、イタリア王国スペイン王国・ホラント王国・ナポリ王国ヴェストファーレン王国・エルバ公国・アンドラ公国・ ベルク大公国・ ルッカピオンビーノ公国とほぼ大陸部の西欧全域を傘下に収める大帝国となっていた模様です。正直世界史には疎いのでこれ以上の解説は出来かねますが、そらナポレオン=ボナパルトも「英雄」の二つ名と賛歌を戴く訳だなあと。

Our dead are strewn a hundred leagues

 かつて、今こそ世界は君だけ待ち続けてとばかりに栄華を誇ったと学会もボナパルト朝も時の流れには抗えずあえなく崩壊。原田実のような異才や芸術の都パリが後世にその成果として残されているのがせめてもの救いでしょうか。盛者必衰とはこのことかと感慨一入です。


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*1:JAM Projectリーダー。ハイウェイスター所属。代表作:「CHA-LA HEAD-CHA-LA」、「鳥人戦隊ジェットマン」、「好き好き好き」他。

*2:代表作:「熱くなれたら」、「HI! HO!」、「レッツセイル!バトシーラー」他。

*3:TRY FORCEメンバー。代表作:「夢旅人-BLUE DREAM-」、「嘆きのロザリオ」、「SKILL」(作曲)他。

*4:昭和薬科大学教授。代表作:『「邪馬台国」はなかった』、『失われた九州王朝』、『盗まれた神話』(著作)他。

*5:最初の1年は事務助手(副手)

*6:なお、パシフィック・ウエスタン大学は非認可の学校で判決によって閉鎖された(ディプロマミル)。

*7:Napoléon Ⅰ。ボナパルト朝フランス初代皇帝。父シャルル・マリ・ボナパルト、母マリア・レティツィア・ボナパルトフランス革命に砲術士官として参加し、ヴァンデミエールの反乱鎮圧の功で軍司令官に就任。イタリアやエジプトへの遠征で国民の声望を集め、ブリュメール18日のクーデターで執政に就任。その後皇帝に即位しナポレオン戦争による周辺諸国の干渉排除やナポレオン法典の制定などの功績を挙げるも、モスクワ遠征の失敗などから人心は離反し、エルバ島に追放。ウィーン会議の迷走などの間隙を縫って復権するもワーテルローの戦いに敗れセントヘレナ島に流刑客死。

*8:父:シャルル・マリ・ボナパルト - コルシカ島貴族。兄:ジョゼフ・ボナパルト - 当初はナポリ王(ジュゼッペ1世)、後にスペイン王(ホセ1世)。弟:リュシアン・ボナパルト - カニノ公。妹:エリザ・ボナパルト - トスカーナ大公。弟:ルイ・ボナパルト - ホラント王(ローデウェイク1世)・ベルク大公・クレーフェ大公・サン=ルー伯。甥:ナポレオン・ルイ・ボナパルト - ホラント王(ローデウェイク2世)。弟:ジェロームボナパルト - ヴェストファーレン王。養子:ウジェーヌ・ド・ボアルネ - イタリア副王(国王はナポレオンが兼ねた)。実子:ナポレオン2世 - ローマ王・ライヒシュタット公。妹婿:ジョアシャン・ミュラ - ナポリ王(ジョアッキーノ1世)、妻はカロリーヌ・ボナパルト

*9:Lodewijk Ⅰ。ホラント王国初代国王。父シャルル・マリ・ボナパルト、母マリア・レティツィア・ボナパルト。兄ナポレオン1世の遠征に同行し信頼を勝ち取りオランダの統治を託されるも、独自路線を兄に憎まれ追放された。

*10:Gioacchino I。ナポリ王国第4代国王。父ピエール=ミュラ、母ジャンヌ=ルビエール。ヴァンデミエールの反乱で騎兵としてナポレオンに仕官し、イタリア・エジプト両遠征にも従軍。アブキールの戦いでの功によりナポレオンの妹婿となりナポリ王国の国王を継承する。ロシア遠征の失敗を期にナポレオンを離反しイタリア統一に邁進するも、ウィーン会議により失脚。再度ナポレオンに仕えるもワーテルローの戦いで敗死。

*11:Desideria av Sverige。カール14世ヨハン王妃。父フランソワ、母フランソワーズ・ローズ・ソミス。子にオスカル1世。

*12:Karl XIV Johan。スウェーデンノルウェー連合王国第2代国王。父アンリ・ベルナドット、母ジャンヌ・ド・サン=ジャン。平民階級の一員としてフランス革命で累進し、一時はナポレオンの対抗馬にも擬せられた。ナポレオンの皇帝就任後は臣従し、スウェーデン摂政王太子に推される。スウェーデンではナポレオンへの対抗意識を取り戻し、第6次対仏大同盟に参加。キール条約によりノルウェーを傘下に収めスウェーデンノルウェー連合王国を樹立。国王就任後は武装中立・高福祉・高教育の治世を行ない、スウェーデン近代化の礎を築いた。

*13:Oscar I。ベルナドッテ朝スウェーデンノルウェー連合王国第2代国王。父カール14世ヨハン、母デジレ=クラリー。第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争クリミア戦争へ介入し汎スカンディナヴィア主義の実現を目指すも、その野心が北欧諸国の警戒を呼び挫折。

*14:Eugène Rose de Beauharnais。イタリア王国副王。父アレクサンドル・ド・ボアルネ、母ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ、養父ナポレオン1世。継父ナポレオンの補佐官として従軍し活躍。イタリア副王に任命され、将来のイタリアの支配者に擬せられるも、ナポレオンの失脚に伴いバイエルンに亡命、ロイヒテンベルク公として静かな余生を過ごした。

*15:Joséphine Maximilienne Eugénie Napoléone de Beauharnais。オスカル1世妃。父ウジェーヌ・ド・ボアルネ、母アウグステ・アマーリア・ルドヴィカ・フォン・バイエルン。子にカール15世・ウップランド公グスタフ・オスカル2世・エウシェニア・ダーラナ公アウグスト。

*16:Napoléon III。フランス帝国第3代皇帝。父ローデウェイク1世、母オルタンス・ド・ボアルネ。ナポレオンの後継者を自認し2月革命後の混乱に乗じて国民的人気を獲得し大統領就任。ブリュメール18日のクーデターにより皇帝に就任すると、パリの大改造サン=シモン主義的経済改革により革命で疲弊したフランスを復活させるも普仏戦争の敗北により失脚しイギリスへ亡命後客死。

*17:ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルトナポレオン3世皇太子。ピエルフォン伯。父ナポレオン3世、母ウジェニー・ド・モンティジョ。父ナポレオン3世普仏戦争で捕虜となった為、摂政として政務をとるも、民衆の支持を得れずイギリスへ亡命。ビクトリア女王の寵愛を受けイギリス軍人として活躍するもズールー戦争で戦死。