脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『諸文明の起源8 〜ビザンツ 文明の継承と変容』

痛いニュース(ノ∀`) : 脳を冷凍保存、未来に蘇生する「人体冷凍保存会社」登場。料金は90万円…希望者「僕は永遠に死にたくありません」 - ライブドアブログ
これは摘出のタイミングが難しそうです。早すぎるのは博打だし、ボケてからじゃあ遅すぎますしね。


 はっぴーばーすでー俺。後1年後悔しないようにがんばります。

ビザンツ 文明の継承と変容―諸文明の起源〈8〉 (学術選書)

ビザンツ 文明の継承と変容―諸文明の起源〈8〉 (学術選書)

この決められた運命にただ従うだけ

ビザンツ帝国 Byzantine Empire
330-1453年。中世東ヨーロッパに発展した国家。東ローマ帝国とも呼ばれる。ビザンツ帝国の発端には種々の意見があるが、キリスト教を公認したコンスタンティヌス1世*1が、帝国の滅亡までその首都となったコンスタンテイノポリスを築いたので、コンスタンティヌス帝を帝国の建設者と考える。しかしローマ的要素が完全に消滅した訳ではなく、ヘラクレイオス帝*2が現れる頃までローマ末期・初期ビザンツ時代とも言われ、この頃の代表的皇帝はユスティニアヌス帝*3であった。彼は一方に於いて世俗の皇帝として、他方では神学論争に介入し、ビザンツ皇帝権の特色である皇帝至上主義の特色を遺憾なく発揮した。彼以後、帝国はしばしば内乱に陥り、7世紀ヘラクレイオス帝の時、従来とは異なった新しい社会組織に基づくビザンツ帝国が誕生した。それでヘラクレイオス帝から11世紀初頭までの時代を盛期ビザンツの時代ともいう。彼は新しく軍管区制を採用、中小農民を基盤とする国家を作り、公用語としてギリシア語を用いた。この様に帝国のギリシア化が促進されるが、外交政策も従来の西方政策から東方政策に転向され、西ヨーロッパ世界との分裂の傾向が顕著となってきた。8世紀の偶像崇拝論争はビザンツ帝国と西ヨーロッパとの分裂を一層促進する結果となった。またこの時代にはアラビア人の手からシリアが回復され、9世紀北方スラヴ族のキリスト教への改宗なども行われ、ビザンツ帝国の勢力が拡大された時期であった。この盛期ビザンツの時代も11世紀初期のバシレイオス2世*4の治世を以て終わり、従来の中小農民を基盤とした社会体制が崩壊し始め、大土地所有制の発達、不入権の譲与、プロノイア組織の発達、官僚組織の衰微など社会全体の弛緩現象が擡頭してきた。それに対応して外交面に於いても、セルジューク朝トルコによる小アジアの侵略、ノルマン人ロベール=ギスカール*5による南イタリア領の占領、北方に於けるスラヴ族の侵入などが起こり、ビザンツ帝国の国家権力は次第に衰えていった。更に王家の内紛から十字軍の干渉を招くこととなり、西ヨーロッパ人によるラテン帝国の建設ともなった。一時ビザンツ帝国は国力を回復したが、14世紀北からはセルビア小アジアからはオスマン帝国海上からはイタリアの諸共和国によって脅かされ、遂に1453オスマン・トルコによって征服された。中世ヨーロッパは西ヨーロッパと東ヨーロッパの分裂した時代であったが、中世初期には東ヨーロッパに於いて古代文化の伝統が保持されていたことは注目に値する。(『改訂増補 西洋史辞典』より引用)

 ギリシャローマ帝国の正統後継者東ヨーロッパの雄ビザンツ帝国ギリシャ哲学とイスラム科学の融合によって独自の文明を作り上げヨーロッパにルネサンスの基礎をもたらした中世の大帝国の歴史と文化を紹介。流石に千年の歴史をソフトカバー一冊におさめるのは難儀だったようで駆け足の概説といった感じとなっています。とは言え、そもそも東ローマ帝国について書かれた本自体非常に僅少なのでその意味では貴重な一冊と言えるのではないでしょうか。学術書にしては比較的読みやすい文体なのも◎。高校世界史で名前だけは知ってるって人はこれを機会に一度学んでみるのもいいんではないでしょうか。

あの憎しみのオーロラはいつ消えるだろう

 ギリシャローマ帝国の衣鉢を継ぎながらも後代に自身のミームの正統なる後継者を残せなかった悲劇の文明。バルカン半島の火種もユーゴの悲劇も全てこの帝国の崩壊に遠因があると考えると背筋が寒くなるものがあります。最近国家崩壊の匂いと予感の漂い始めた我等が日本もこんな悪夢には見えたくないものです。その為にも皆さん、来る参院選では理性的な投票行動を。この一年顧みれば考えるまでもないですよね。

聖闘士星矢コンプリート・ソング・コレクション

聖闘士星矢コンプリート・ソング・コレクション

帰ってきた今日の一行知識

古代オリンピックは戦争の祭典であった
兵士の基礎体力自慢合戦がルーツの模様。裸でやってたのは品評会って意味合いが強かったからなんですね。

*1:Gaius Flavius Valerius Constantinus。コンスタンティヌス朝ローマ初代皇帝。父コンスタンティウス1世、母ヘレナ。東西に分裂していたローマ正帝を統一。ミラノ勅令によるキリスト教公認やビザンティオン(のちのコンスタンティノープル)への遷都など東ローマ帝国の基礎を築いた。

*2:Ἡράκλειος。ヘラクレイオス朝ローマ初代皇帝。父ヘラクレイオス。暴帝フォカスを廃し東ローマ皇帝位を継承。ギリシア正教会の後援により十字軍を組織しササン朝ペルシャを撃退するも、イスラム帝国の勃興に伴いシリアパレスチナを失陥。その後は、テマ制の採用によりイスラム帝国と対峙した。

*3:Justinianus I。ユスティニアヌス朝ローマ第2代皇帝。父サッバティウス、母ウィギランティア。東ゴート王国の征服やフン族の撃退などで帝国の版図を拡大。文化面でもローマ法大全の編纂や聖ソフィア大聖堂の建築などでビザンツ文化の基礎を築いた。

*4:Βασίλειος Βʹ ὁ Βουλγαροκτόνος。マケドニア朝ローマ第9代皇帝。父ロマノス2世、母テオファノ。第一次ブルガリア帝国の征服などでバルカン半島全域及び南イタリアにまで版図を拡大、「ブルガリア人殺し」の異名をとった。内政でも皇帝独裁を徹底し、東ローマ帝国の最盛期を現出した。

*5:Roberto il Guiscardo d'Altavilla。プッリャ・カラブリア公 。父タンクレード・ド・オートヴィル。当初は傭兵として活動していたが、ローマ教皇に正式に公爵に任じられ南イタリアを征服、のちの両シチリア王国の原型を作った。