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2040年問題がいよいよ現実味を帯びてまいりましたね
今年の正月は読書にいそしみ過ぎたせいで社会復帰が辛かとです
安い酒にくだまいてるクロンボの色男
ビザンツ―文明の継承と変容
諸文明の起源⑧〜ビザンツ―文明の継承と変容 学術選書043
平成二十一(2009)年6月15日初版第1刷発行
著者:井上浩一*1
発行人:加藤重樹*2
発行所:京都大学学術出版会
目次
序章:世界史のなかのビザンツ文明
第1部:都市の変貌―ギリシア・ローマ文明からビザンツ文明へ
第2部:皇帝・宦官・戦争―ビザンツ文明の諸相
終章:ビザンツ文明と現代
ギリシャ・ローマ帝国の正統後継者東ヨーロッパの雄ビザンツ帝国。ギリシャ哲学とイスラム科学の融合によって独自の文明を作り上げヨーロッパにルネサンスの基礎をもたらした中世の大帝国の歴史と文化を紹介。流石に千年の歴史をソフトカバー一冊におさめるのは難儀だったようで駆け足の概説といった感じとなっています。とは言え、そもそも東ローマ帝国について書かれた本自体非常に僅少なのでその意味では貴重な一冊と言えるのではないでしょうか。学術書にしては比較的読みやすい文体なのも◎。ただし、当然と言えば当然のことながら、出てくる人名出てくる人名、皆難解なギリシャ風なので一気読みするとかなり頭がくらくらしてきます。高校世界史で名前だけは知ってるって人はこれを機会に一度学んでみるのもいいんではないでしょうか。
ビザンツ 文明の継承と変容―諸文明の起源〈8〉 (学術選書)
- 作者:浩一, 井上
- 発売日: 2009/06/01
- メディア: 単行本
男色+三島由紀夫
三島由紀夫
大正十四(1925)〜昭和四十五('70)年。小説家・劇作家。東京市四谷区永住町*3出身。本名:平岡公威。東京帝国大学法学部卒('47)。妻:平岡瑤子*4、娘:平岡紀子*5、祖父:平岡定太郎*6、父:平岡梓*7、母:平岡倭文重*8、弟:平岡千之*9
1941学習院高等科在学中に「花ざかりの森」を発表。この頃から日本浪漫派の影響を受ける。'47東大卒業と同時に大蔵省に勤務するが、'48創作活動に専念するため退職。'49『仮面の告白』を刊行し、作家としての地位を築く。'54『潮騒』で新潮社文学賞を、'56『金閣寺』で、'61『十日の菊』でそれぞれ読売文学賞を受賞するなど、小説、戯曲、評論の分野で幅広く活躍。'68.10楯の会を結成。'69『豊饒の海』全4巻を完結させた後、'70.11.25楯の会会員森田必勝*10ら4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地に突入、憂国の檄をとばした後、割腹自殺を遂げた(三島事件)。他の代表作に小説『愛の渇き』『美徳のよろめき』『宴のあと』『鏡子の家』『午後の曳航』『憂国』『英霊の声』、戯曲『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』などの他、『三島由紀夫全集』(全35巻・補1巻、新潮社)、『三島由紀夫短編全集』(全2巻、新潮社)、『決定版 三島由紀夫全集』(全42巻、新潮社)がある。
主な受賞歴
男色
男子同士の姦淫。男の同性愛。ペデラストとウールニングの二つに別けられる。
現代はホモが公認される時代になっているが、江戸時代以前にも僧侶・武士を初めとして、一般の人にも男の同性愛は珍しいことでは無かったようである。淫斎英泉*11の『枕文庫』にも「世に蔭間の愛に逢ハずして、みだりに男色をそしるものあり、いまだ佳境に入らざれば、いかでかその愛情を知ることあたわざらん、一度契を結ぶ時は婦人よりも愛欲厚し。もとより逆縁の竅なれば、自ら得心せざればへのこを受けることかたかるべし。其得心するのは即愛情の女色にかハらぬ故なり。されば女陰とちがひ、男根を入れること深からしめずして、ぬきさし手荒く為すべからず。まず犯さんとする前より欲情をかよわして若衆にてもかれが陰所をいぢり、とくと其の身に淫欲を起させて、さてその上にて唾を多くつけて行うべし。始めより痛むことなければ、ともに精を漏らすものなり。男同士の情言あれども、あらわに紙上に筆し難し」とある。
江戸時代の男色には「衆道」と呼ばれるものが有る。衆道も相手が男なので異性愛でないから同性愛に入れられている。しかし衆道の相手になる色子は成熟前の少年であり、成熟した男性同士の同性愛とは重大な違いが有るので、もう一つの愛の形であるという考えが浮上している。(『いろの辞典 改訂版』より引用)
日本の誇る文豪三島由紀夫。『仮面の告白』や『禁色』などでも分かるとおり彼は筋金入りのナルシスト兼男色家です。今回はその過激さで遺族から訴えられて回収命令すら出された問題本『三島由紀夫〜剣と寒紅』を底本に、三島由紀夫の男色の実例を紹介します。
作者福島次郎と三島の関係は、昭和二十六('51)年五月元から男色傾向のあった次郎が『禁色』に描かれた同性愛者のサロン「ルドン」の場所を尋ねに三島邸をおとなうことに始まります。折も折三島は『禁色』の主人公南悠一のモデル「悠ちゃん」にこっぴどくふられたばかりだったため、次郎に一目惚れしてしまった模様です。結局その関係は夏八月には破局を迎えますが、その間の描写は微に入り細を穿ち、遺族が激怒したのも無理はありません。元文学少年の確かな筆力で主人の異常性癖を暴露されるのだからやってられません。しかも、結婚は偽装結婚だったとまで示唆されているので流石に憐れに思えてきます。他にも母倭文重の由紀夫の溺愛ぶりも伺え、稀代の変態三島由紀夫誕生の背景を垣間見ることが出来ます。ハードコアな描写に耐性のある方は是非ご一読をオススメします。三島文学の深淵を理解する確かな手助けになるはずです。
- 作者:福島 次郎
- メディア: 単行本
佐藤正久
佐藤正久
昭和三十五(1960)年〜。日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、参議院外交防衛委員長、自民党参議院政策審議会副会長。元防衛大臣政務官(第2次安倍内閣)。元陸上自衛官(最終階級:1等陸佐)。職種は化学科で第1種放射線取扱主任者の資格を持つ
実家の家計を案じて授業料を要しない防衛大学校と防衛医科大学校を受験し両方とも合格、防衛大学校に入学した(専攻は応用物理)。
自衛官時代は外務省アジア局に出向した他、アメリカ陸軍指揮幕僚大学に留学。また、自衛隊海外派遣のうち、ゴラン高原派遣及びイラク人道復興支援では、ともに初代派遣部隊の隊長を務めるなど、国際的な業務に多く従事していた。2004自衛隊イラク派遣では第一次復興業務支援隊長を務め、自衛隊が架けた最初の橋は「SATO BRIDGE」と命名された。
'07第21回参議院議員通常選挙で自由民主党の比例区公認候補として立候補し、251,579票を獲得して党内6位で初当選。選挙事務所で当選が報じられたとき、「これからが新たな戦いの始まり。愚直に戦っていきます」と述べた。後援会に、資金管理団体を兼ねる「佐藤まさひさを支える会」「佐藤正久後援会」などがある。'08.5.29平成研究会(津島派)に入会。'09.10.8自由民主党国防部会長に就任。'11.8.1新藤義孝*12、稲田朋美*13と共に鬱陵島を視察するため韓国に行ったが、金浦空港に行った時点で韓国外交当局より入国を拒否された。'12.9.26自由民主党総裁選挙では石破茂*14を支持。推薦人に名を連ね、石破の出陣式で応援演説を行っている。'12.12.26成立した第2次安倍内閣において、防衛大臣政務官に就任。'13.7.21第23回参議院議員通常選挙で自由民主党の比例区公認候補として立候補し、326,541票を獲得して党内3位で再選。'14.9自由民主党国防部会長に就任。'16.1.4参議院外交防衛委員長に就任。(wikipediaより修整引用)
皆大好きヒゲの隊長。彼が脚光を浴びたのは自衛隊イラク派遣。第一次復興業務支援隊長としてサマーワに赴任し、野党とマスコミの「早く誰か死ね」の祈りむなしく一人の犠牲者も出さずに任務を完遂し、自衛隊の声望を満天下に広めました。彼の現地民への配慮はそのトレードマークのヒゲでも明らかで、イスラム教徒にとってはヒゲは成人男性の証と知るや、国内での悪目立ちややっかみをモノともせずに髭を生やしたのです。そうした努力の甲斐あって、自衛隊歓迎デモなる非常識極まりないものまで繰り広げられる歓迎ぶり。非紛争地帯に自衛隊が派遣されるんじゃなく、自衛隊がいるところが非紛争地帯になるというコペルニクス的発想の転換で、サヨクな方々の呪詛を見事に乗り越えました。
帰国後は参議院議員に転身。上述の通りマスコミや進歩的文化人にとっては不倶戴天の悪鬼羅刹もいいとこなんであまり目立ちませんが、着々と地歩を固めておられる様子。安倍首相の宿願叶い日本軍が復活した暁には初代陸軍大臣の重責を是非担ってもらいたいものです。
高校生にも読んでほしい海の安全保障の授業 - 日本人が知らない南シナ海の大問題 -
- 作者:佐藤 正久
- 発売日: 2016/12/14
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
帰って来た今日の一行知識
ヒゲの漢字の髭と髯と鬚は全部意味が違う
髭が口ひげ、髯がモミアゲから頬にかけてのヒゲ、鬚があごひげを指すんですね。つーか関羽の異名の「美髯公」って長いあごひげのことさしてんだってばっか思ってた。
*1:大坂市立大学名誉教授。代表作:『ビザンツ帝国』、『生き残った帝国 ビザンティン』、『私もできる西洋史研究―仮想大学に学ぶ』他。
*2:京都大学理学部長。代表作:『化学の基礎 分子論的アプローチ』(共著)他。
*3:現東京都新宿区
*5:プロデューサー。夫に冨田浩司。父三島由紀夫、母平岡(杉山)瑤子。
*6:第17代福島県知事。正三位勲三等。父太吉、母(寺岡)つる。内務官僚として累進し福島県知事や樺太開発局長官、東京市道路局長などを歴任し南満州鉄道の総裁候補に擬せられるも、後援者であった原敬の横死により失脚。
*7:農林省水産局長。父定太郎、母(永井)なつ。農林官僚として活躍。退官後は日本瓦斯用木炭株式会社に天下るも戦後の混乱期に倒産。小説家として身を立てた息子三島由紀夫の世話になった。
*8:夫に梓。父橋健三、母トミ。子に三島由紀夫、美津子、千之。
*9:駐ポルトガル大使。父梓、母(橋)倭文重。外交官として累進し、モロッコ・ポルトガルの大使を歴任。退官後は迎賓館館長も勤めた。
*10:楯の会第2代学生長。父和吉、母たま。早稲田大学で右翼系学生運動に傾倒し、三島由紀夫主宰の楯の会に参加。三島事件を引き起こし自死。
*11:池田義信。父松本茂晴。代表作:「木曽街道六十九次」(浮世絵)、「洲崎の芸妓図」(肉筆画)、『櫻曇春朧夜』(合巻)他。
*12:衆議院議員。第2次安倍内閣総務大臣。父孝衛、母(栗林)たか子。川口市議を経て自民党橋本派として国政進出。栗林中将の孫という出自を活かし、保守的立場から領土問題で存在感を発揮。
*13:防衛大臣。自民党第56代政調会長。父椿原泰夫。夫に稲田龍示。弁護士として活躍中に南京事件裁判に関与したのを機に政界進出。清和会に所属し自民党最右派の一角として活躍中。
*14:衆議院議員。福田康夫内閣防衛大臣。父二朗。母(金森)和子。三井銀行を経て、父の後を襲い自民党中曽根派として国政進出。ハト派の農水族としてキャリアを重ね、ポスト谷垣を争う自民党総裁選で安倍晋三と角逐するも惜敗。ポスト安倍の座を虎視眈々と狙うも、安倍政権は盤石。