脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

東出守備率と剣と河野一郎について

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/04/02/17.html
これは流行る。


 引越し完了。山のように書きたいことも愚痴りたいことも溜まってますが、GW明けまでネットが繋がらない為、暫く超のろのろ更新続きます。御容赦。

Fairな生き方の君が好き

東出+守備率

TIME TO COME - 脱積読宣言

東出輝裕
昭和五十五(1980)年生まれ。福井県鯖江市出身。171㎝73㎏。右投左打。背番号2。
敦賀気比高校(1996-'98)→広島東洋カープ('99〜)。
‘07成績:試合132打数458得点57安打123二塁打12打点15盗塁13四死球34三振55打率.269
通算成績:試合876打数2770得点357安打707二塁打76三塁打11本塁打11打点132盗塁97四死球186三振409打率.255

守備率
 刺殺・補殺及び失策の合計数を以て刺殺・補殺の合計数を除したもの。(『球技用語事典』より引用)

 全盛期の三塁の新井と共に「何かが起きる」ファンタスティック三遊間として雷名を馳せた面影は最早なく、特に二塁転向以降は地味で創造性に乏しいありきたりの選手に成り下がってしまった東出。球界のファンタジスタの名を欲しいままにしたかっての雄姿に惑わされ、未だ守備で魅せる選手との誤解を受けがちな彼の実像に迫るため、守備率他の客観的数値で検証してみたいと思います。
 
 '07年度の彼の守備率は.990二塁手トップの関本*1に次ぐリーグ二位。他刺殺294*2、補殺419*3、失策7*4、併殺69*5と堂々たる成績で、数字だけ見ればゴールデングラブの荒木よりよっぽどいい成績を残していたりします。皆さんも今後は過去の面影に引きずられず、名手東出の活躍を堪能しましょう。
 

超実戦野球教室/ディフェンス編(守備) [VHS]

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三島由紀夫+剣+すべき

禁断のパンセ - 脱積読宣言

三島由紀夫
 大正十四(1925)〜昭和四十五(‘70)年。戦後の小説家・劇作家。東京市四谷区出身。本名:平岡公威。東京帝国大学法学部卒業。
 学習院中学在学中から小説を書き、1944処女短篇集『花ざかりの森』を出版。戦後、川端康成*6の推薦で「煙草」「岬にての物語」を発表。「仮面の告白」「愛の渇き」などで戦後文壇に作家的地位を得た。以後小説・戯曲・評論を通じて様々な実験を行い美的探究を続けた。’53「禁色」を経て「潮騒」「金閣寺」や戯曲集『近大能楽集』においてその方法論が見事に開花した。文学以外でもボディービルや剣道の練習、映画出演、自衛隊への体験入隊などで話題を撒いた。’68「楯の会」を結成、’70同会の学生と、東京市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に乗り込み、自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺した。その美学を完成させる為に絶対者(天皇)が必要だとした主張と共に、死の行為は大きな波紋を及ぼした。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』より引用)


 講談社 昭和三十八(1963)年12月10日 初版
大学の剣道部の夏合宿を描く。市川雷蔵*7の主演で、映画化された。
国分次郎は剣道部の主将で、強く正義感にあふれた青年。1年生の壬生は国分を尊敬している。きびしい夏の合宿が始まった。国分次郎の留守に、賀川が、禁じられている海へ行こうと皆を誘う。賀川は次郎の厳格な統率に不満を抱いていた。壬生1人は残ったが、ともに罪をかぶろうとして、自分も海へ行ったと次郎に告げる。合宿最後の納会で、姿を消した次郎は、裏山で自殺していた。衝撃的な死は正義と責任を貫いたものか。(三島由紀夫文学館より引用)

べし
1.推量の意を表す。
 ア.あることの起こることを予想する。「…しそうだ」
 イ.確実な推測を表す。「きっと…だろう」「…に違いない」「きっと…らしい」
2.予定の意を表す。「…することになっている」
3.当然の意を表す。「…するはずだ」「…するに違いない」
4.適当の意を表す。「…(するの)が良い」「…が適当だ」
5.可能、または可能性を推定する意を表す。「…することが出来る」「…することが出来よう」
6.意志を表す。「…するつもりだ」「…する決心だ」
7.必要・義務の意を表す。「…しなければならない」
(『旺文社古語辞典 第八版』より引用)

 三島由紀夫の短編『剣』の中で「〜すべき」という言葉が出てくるのはP16「『……したい』などといふ心は皆捨てる。その代りに『……すべきだ』といふことを自分の基本原理にする。さうだ、本当にさうすべきだ。」、P26「あいつはその場合の自分がどう思はれようと『さうすべきだ』といふことを知つてゐた。」*8の2ヶ所。意外と少ないですが、両方とも主人公国分次郎の潔癖で短視眼的な正義感を表す重要な部分で登場します。「すべき」という言葉こそが『剣』のメインテーマと言っても過言ではないでしょう。
 話はずれますが、後年の三島の死とこの作品での国分の死が妙にかぶります。高潔すぎる自己中心的な理想を他人に押し付けておいて、絶対に賛同するはずの盲目的な崇拝者に「裏切られた」ことに絶望して自ら死を選ぶ。おそらく三島氏には自衛官達が壬生にみえていたことでしょう。

剣 [DVD]

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河野一郎

この指とまれ! - 脱積読宣言

河野一郎
 明治三十一(1898)〜昭和四十(1965)年。昭和期の政治家。河野謙三*9の兄。神奈川県足柄下郡出身。早稲田大学政治経済学部卒業。
 『東京朝日新聞』記者から1932衆院議員(政友会)に当選。戦時中は非翼賛議員として興亜議員連盟に参加、反東条英機*10の立場に立った。敗戦後、'45自由党結成に鳩山一郎*11らと共に参加し初代幹事長となったが、公職追放となる。追放中、日魯漁業社長に就任。追放令違反で懲役2ヶ月となったが'51解除。鳩山擁立派として吉田茂*12退陣を要求し、'53吉田暴言による解散に際し、分党派を解体し、鳩山らは自由党に復帰したが、三木武吉*13ら8人で日本自由党を結成し幹事長。'54日本民主党に合流し、'54末第一次鳩山内閣の農相に就任。日ソ国交回復交渉を推進した。'57第一次岸内閣の経済企画庁長官、'61第二次池田内閣の農相、'62建設相、首都圏整備委員長、'63近畿圏整備長官、第三次池田内閣の建設相、オリンピック担当国務相を歴任。生粋の党人実力者であった。(『コンサイス日本人名事典』より引用)

 神奈川の巨魁。農林族のドン。自民党建党の黒幕。東京オリンピックの責任者。鳩山一郎の側近。佐藤栄作永遠のライバル。河野洋平の父。と多彩な呼ばれ方・見方をされる自民党黎明期の大物河野一郎。戦前から隠然たる影響力を誇る「党人派」の代表として岸・池田・佐藤らのニューウェーブ「官僚派」への抵抗勢力として君臨し続けながらも、機を見るに敏で一度体制が傾けばあっさり不倶戴天の敵とすら妥協し権力の座にしがみつく。それでいて首相の座には縁がない。となんだか息子と似たような軌跡をたどっています。しかし、やはり金権政治が弾劾される前のなんでもござれの血みどろの権力闘争にはえもいえぬ魅力があることは否めません。次々期位の総理の座目指して不気味な胎動を始めた自民党ホープ河野太郎。彼は祖父のような偉大な政治家になれるのでしょうか。頼むから親父みたいな売国奴にはならないでね。

夢を捨てないで眼をそらさないで

 河野一郎の息子洋平君は、ゴーマニズム宣言の影響か、宮沢喜一と共に我々世代には自虐史観を定着させた弾劾すべき国賊として刷り込まれています。三島由紀夫ならずとも正義の剣をその身に食らわせたくなるのはやまやまなのですが、守備率が好転し勝手の汚名を挽回しながらも未だ守備下手のイメージを持たれ続けている東出のように、その悪逆非道のイメージはひょっとしたら我々の先入観ではないでしょうか。昨今では長く衆議院議長の要職を務めハト派の代表として与野党対立の緩和に尽力するその姿は最早かっての保身のためには国も党も売って憚らない醜悪さは感じられません。どうしても小泉や安倍や麻生のような過激で物言う政治家についつい期待しがちですが、やはり中央でどっかと座って若手の暴走をを戒める穏健派の重鎮というのも安定した政権運営には必要なのでしょう。今後はもう少し温かい眼で彼を見るようにします。少なくとも森や古賀や小沢よりはよっぽどましだわ。 

「機動警察パトレイバー」コンプリート・ヴォーカル・コレクション

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*1:.994

*2:二塁手リーグ2位。

*3:同トップ

*4:規定到達二塁手中トップ二位タイ。

*5:二塁手リーグ2位タイ

*6:ノーベル文学賞受賞作家。新感覚派の旗手。代表作:「伊豆の踊り子」「雪国」「古都」他。

*7:8代目。旧名市川莚蔵。代表作:眠狂四郎(『眠狂四郎』)、机竜之助(『大菩薩峠』)、溝口伍市(『炎上』)など

*8:以上三島由紀夫『剣』講談社(1963)より引用

*9:参議院議長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。父治平、母タミ。甥に河野洋平参議院改革に尽力。

*10:第40代内閣総理大臣。陸軍大将。父英教、母(徳永)千歳。孫に東條由布子。太平洋戦争開戦。A級戦犯筆頭として刑死。

*11:第52-54代内閣総理大臣。正二位大勲位。父和夫、母(多加)春子。孫に鳩山由紀夫・邦夫。自民党初代総裁。日ソ国交回復を実現。

*12:第45・48-51代内閣総理大臣従一位大勲位。父竹内綱、母瀧子、養父吉田健三。孫に麻生太郎サンフランシスコ講和条約に調印。通称:「和製チャーチル」。

*13:自由党総務会長。報知新聞社社長。父古門。保守合同の立役者。通称:「野次将軍」。