脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『大清帝国』

http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51521625.html
人後に落ちぬスパロボファンの私ですが、これはかなりの失着手なんでは。縮小再生産とか内輪の楽屋ネタオンパレードとかの悪い未来しか思い浮かばないんですが。


 東京にもそこそこ馴染み、内気な私も多少は打ち解け、夜の会議や自習の頻度が増えてまいりました。ああ肝臓の数値が怖い。


SRW AP

大清帝国 (講談社学術文庫)

大清帝国 (講談社学術文庫)

擦り切れた絹の阿片寝台に臥せれば百年も昔の黄昏が広がる


 順治元(1644)〜宣統三(1912)年。女真族の貴族の建てた政権で、少数民族が支配者として君臨した2度目の統一王朝。
 女真族は、明代には建州女真・海西女真・野人女真の3部に大きく分かれていた。16世紀の末に建州女真の首領努爾哈赤*1女真の各部を統一し、1616汗の位に即いて国号を金と定めた。歴史上これを後金と称する。明朝支配下の遼東地域を占領したのち、'25ヌルハチは都を瀋陽に遷した。ヌルハチの後を継いだ子の皇太極*2は、'36瀋陽で帝を称し、国号を清と改め、民族名も満州に改めた。'44清軍は李自成*3の率いる農民反乱軍の手から北京を奪い取り、順治帝*4瀋陽から北京に移って中国の皇帝の位に即き、中国最後の封建王朝を建設した。その後、1840阿片戦争を境に、中国は次第に半封建・半植民地社会へと転落していった。外国資本の侵入に伴い中国の封建経済はその激しい攻撃を受けて、徐々に解体していき、中国の主権と領土とは列強の侵略によって破壊されていった。外国との戦争に敗北する度に、領土を割譲し、賠償金を支払わなければならなかった。清朝の封建支配者は次第に政治的な独立を失い、外国ブルジョアジーが中国人民を支配する為の道具と化していった。このようにして、反帝国主義・反封建主義闘争の任務は中国人民の肩にのしかかってきたのである。1911辛亥革命が勝利し、それによって中国の2000年以上に及んだ封建君主制は終わりを告げた。(『中国歴史文化事典』より引用)

 地大物博の大国中華帝国の爛熟の極みの大帝国清の歴史の概説書。勿論中華の清華を極めた清を一冊の文庫本で語り尽くせるはずもなく、入門者にこの分野ではこういった物が有名と紹介する辞書的な本になっています。政治と文化と経済と建国の動乱期と康煕雍正乾隆の全盛期と列強の領土蚕食の斜陽期とを一緒くたに語ってくれる本はそうはないので、一冊で大清帝国のアウトラインを把握したいなんていう欲張りな貴方には最適。ちょこちょこ挿入されるエピソードも実に大陸的なスケールで面白く読める一冊ではないでしょうか。

足も腕ももぎ取られた囚われの女のように想いだけが留まっている

 中国が中華たりえたのは唐代百歩譲っても宋代までとはよく言われることですが、実は今我々が中国的と感ずる殆どのものはこの清代に完成を見ています。その割には今一つ評価のされていませんが、日本で言えば江戸時代に当たるこの時代を蔑ろにして中国現代史を語ることは出来ないでしょう。蒋介石が投げ出した挙句に、文化大革命で完全にその能力を喪失した宗主国さまに代わって、未完の『清史』を完成させることこそが、老いたる父への最大の親孝行と考えます。文化立国の礎が萌えだけでないことを示さんが為にも、頑張れ日本の研究者たち。日本が華僑に蹂躙されるその前に。

Poison

Poison

帰ってきた今日の一行知識

19世紀中国商人は「誠実」の代名詞だった
その名声や今何処に。やはり共産主義は人間の尊厳を根こそぎにしてしまうんですね。まあ単に当時のヨーロッパ人の主要取引先のユダヤ商人・アラビア商人・インド商人らの名にしおう連中に比べればましだっただけの気もしますが。

*1:太祖。大清帝国初代皇帝。女真族を統一し後金を建国。「七大恨」を掲げ明からの独立を目指し中原に侵攻するも山海関を前に志半ばで戦死。

*2:太宗。大清帝国2代皇帝。本名:ヘカン。父ヌルハチ。モンゴルと結び、朝鮮を下し、中国風の官制を導入し、国号を大清に改名。その後、父の遺志を継ぎ中原進出を目指すも父と同じく山海関を前に志半ばに病死。

*3:大順初代皇帝。延安府米脂県の人。明が満州族の脅威に気を取られている間に陝西省で挙兵。破竹の勢いで河南・洛陽・開封・襄陽を落とし、西安に入城し大順を建国、次いで北京を制圧し明を滅亡させるも、40日余りで清軍に北京を奪還され壊走。逃亡中に農民の自警団に殺害された。

*4:世祖。大清帝国3代皇帝。諱は福臨。父ホンタイジ、母孝荘文皇后。李自成の叛乱に乗じ三度目の正直の山海関突破に成功し中国統一を果たすも26歳の若さで病死。