脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

聖少女領域と大野豊と東洋旅行記について

【悲報】障害者を殺傷した植松さん、完全に正論モンスターになってしまう… | 不思議.net
同業者として気持ちは分らんでもないですが、きっと真面目過ぎたんでしょうね。


 目にはさやかに見えねども・・・と。原付乗るのにようやく手袋が要らなくなってきました。早くコートも脱ぎたいなあ。


DQⅦ進捗

  • 天井の神殿復活。主人公の職業:呪いのランプ「ぎんのランプ」

眠れる木馬に跨り向かうのは

聖少女領域

聖少女領域
唄:ALI PROJECT、作詞:宝野アリカ*1、作編曲:片倉三起也*2
TBS系アニメ『Rozen Maiden träumend』オープニング主題歌
初出:『聖少女領域』(2005.10.26)
収録盤
聖少女領域』、『ローゼンメイデン トロイメント オリジナルサウンドトラック』、『薔薇架刑』、『Lantis 10th anniversary Best-090926-~ランティス祭りベスト 2009年9月26日盤~』、『J-アニソン神曲祭り[DJ和 in No.1 胸熱 MIX]』、『アニソンLOVE! 選抜組』
歌詞はこちら

聖少女領域 歌詞付き

 ALI PROJECT最大のヒットソング。出世作の「禁じられた遊び」ほどのインパクトこそありませんが、ゴスロリ期のアリプロの集大成というべき傑作となっています。ちょっと後の「勇侠青春謳」からは何故か和風路線に走って迷走しだすもんなあ(遠い目)アリプロ名物の歌詞カード見なけりゃ、否見てもなんて読むんだか分らん無体な難熟語もほとんどない平易な歌詞なのでアリプロビギナーにもとっつき易いじゃないでしょうか。その分あの独特の酩酊感というか中毒性はかなり抑えめなので、コアな方々には幾分物足りないかと。まあ、この曲に関して言えば満を持して華々しく登場した『ローゼンメイデントロイメント』がネタにもしづらい微妙な出来だったことが一番の問題なんじゃないかって気がしなくもありませんが。

聖少女領域

聖少女領域

大野豊

大野豊
 昭和三十(1955)年~。島根県出雲市出身。投手。
 出雲市立第一中学校(1968-'70)→出雲商業高等学校('71-'73)→出雲信用組合('74-'76)→広島東洋カープ('77-'98)
 出雲一中で野球を始め、外野手。出雲商2年で投手となるが、3年春の県大会ベスト8が最高。卒業後は出雲信用組合軟式野球で活躍。'76秋対出雲高との練習試合で5回15奪三振を記録し、'77テスト生として広島に入団。始めリリーフ投手として出場、'82 10勝11Sをあげる。'84先発に転向。'88防御率1.70をマーク、セリーグでは13年振りの1点台の防御率でタイトルを獲得、沢村賞にも選ばれた、'89も防御率1.92をマークした。'91再びリリーフエースに転じ、自己最多の26Sをマーク。'92も26S。'95再び先発に戻った。'97防御率2.85で2度目のタイトルを獲得。'98開幕投手をつとめた。'99投手コーチに就任。のちNHK解説者。(『プロ野球人名事典2003』より引用)
通算成績
登板707先発224完投59完封19無四球8勝利148敗戦100セーブ138勝率.597打者9167投球回2231被安打1914被本塁打192与四球718敬遠51与死球45奪三振1733暴投58ボーク4失点845自責点720防御率2.90WHIP1.18
受賞歴

 
 無名の社会人軟式野球部からドラフト外で入団、初年度は防御率135点の屈辱から大成、七色の変化球を駆使し100勝100Sを達成したカープ黄金時代の英雄の一人。個人的にはカープ見始めた年のリリーフエースなので印象深いです。
 選手時代は江夏に師事しまずは中継ぎエースとして台頭。江夏の対団後その後を襲いリリーフエースに君臨。津田の成長により守護神の座を託すと、先発転向し沢村賞や2年連続防御率1点台など最強投手陣のなかでも北別府に次ぐナンバー2として2度の優勝に貢献。津田が病に斃れてからは守護神に復帰し91年の優勝を手繰り寄せます。この年の開幕からの14試合連続セーブは子供心に圧巻でした。'95年には不調から守護神の座を佐々岡に譲り、再度の先発転向正直この時はもう終わった選手と思っていましたが、’97年に奇跡の復活41歳にして最優秀防御率の栄冠に輝きます。しかし翌'98年には持病の血行障害が限界を迎え引退。泥臭くも華々しい現役生活を終え、レジェンドとして語り継がれるのでした・・・
 とここで終わっていれば美談なのですが、問題はセカンドライフのコーチ時代。盟友の達川に請われ引退後即就任した1軍投手コーチとしてチーム防御率を1点近く落とす大投壊を招き引責辞任。その後もアテネ・北京の両五輪の投手コーチに招聘されますが、結果は皆さん知っての通り。そして、野村政権発足と同時に当主コーチに就任すると、前政権のブラウン時代に蒔かれた投手王国復活の種を台無しにする暴挙に。折角「投げ込みで制球力が向上するならカープの投手は全員北別府になっているはず」の名言と共に過度の投げ込みを禁止し、科学的トレーニングを導入したのを一瞬で無に帰しました。投げたがりで有名だった大竹が大野の投手コーチ就任と同時にぶっ壊れたのは案の定過ぎて乾いた笑いが止まりませんでした。結局2010-'12まで投手コーチを務め勇退。退団した直後の'13年には10勝カルテット*3を擁してCS初出場とか、コーチ時代に大成したのは首脳陣の指示ガン無視でマイペース調整を貫いたマエケンのみとか皮肉すぎる結果に。名選手って名コーチたり得ないんですね。一応弁護しときますと、もう一つのセカンドライフたる解説者業はダンディーな風貌と穏やかで理知的な語り口で超人気。NHKの看板解説者として活躍してます。ホント先発中継ぎ抑えに解説ついでに著述業とコーチ以外は万能なスーパーマンなんだけどなあこの人。
 

「我が道」大野豊

「我が道」大野豊

宣教師オドリコ+東洋旅行記

オドリコ Odorico da Pordenone
 西暦1265頃~1331年。イタリアのフランシスコ派宣教師。
 1314東方布教に旅だち、海路中国に至る。広州・福州から大都に向かう。帰路は陸路で帰国('30)、旅行記を出す。(『コンサイス人名辞典 外国編』より引用)

宣教師 missionary
 キリスト教の伝道に従事する司祭・牧師。特に欧米の教会から派遣され、アジア・アフリカなど各地に宣教に行く人々。(『広辞苑 第五版』より引用)

東洋旅行記―カタイ(中国)への道―
著者:オドリコ、訳者:家入敏光*4、発行者:矢貴昇司*5、印刷所:堀内印刷所、発行所:株式会社 桃源社
目次

  • 新版にあたって
  • 凡例
  • モンテコルヴィーノのヨハネスの書簡
  • カステルロのペレグリノザイトン司教の書簡
  • ペルージアのアンドレア修道士の書簡
  • ポルデーネのオドリコ修道士の報告文
  • ヴィクトリアのパスクアル修道士の書簡
  • アルマリクにおけるフランシスコ会修道士達の殉教
  • マリニョリのジョヴァンニ修道士の報告文(抄)
  • 年表

 
 マルコポーロの東方見聞録と同時代の中国の旅行記。宣教師さんの筆になるだけあって、キリスト教道徳を規範とした感想や奇跡や殉教、現地でのフランシスコ派修道会の活躍の記録の記述が目立ちます。種々紹介される荒唐無稽な奇習のなかにしれっと鳥葬や纏足などの実在の習俗が混じってして、「感覚麻痺してたけどあれらって相当な奇行だよなあ」って改めて思い起こさせてくれます。史料ではなく読み物としての観点からすると、訳が正直ダメダメなので落第点。学者先生の手による和訳にはよくあるパターンなんですが、直訳としては正しいんだろうけど、日本語としては全くこなれてない文章で読了意欲をそがれます。こういうマイナーな外国書籍が外れ訳だと原書読めるようになりたいなあって痛感しますね。

東洋旅行記―カタイ(中国)への道 (1979年)

東洋旅行記―カタイ(中国)への道 (1979年)

迷子のわたしを助けに参りましょう

S嬢の秘めやかな悔恨

S嬢の秘めやかな悔恨


ALI PROJECT - Seishôjo Ryôiki - 02. S嬢の秘めやかな悔恨 [AUDIO]

帰ってきた今日の一行知識

カープの松田耕作オーナーはカープの選手の結婚式に招待されると勝手に親族席に座っていた

「うちの選手は皆自分にとっては息子のようなもの」理論からの行動だそうで。よく美談として語られてますが、実際やられると果てしなく迷惑だろうなあ。

*1:ALI PROJECTボーカル。代表作:「亡國覚醒カタルシス」、「勇侠青春謳」、「卑弥呼外伝」他。

*2:ALI PROJECTキーボード。代表作:『マリア様がみてる』、『.hack//Roots』、『怪物王女』(音楽)他。

*3:前田バリントン野村大竹

*4:代表作:『キリスト者・聖アウグスティヌスキリスト教的雄弁家論』(著)、『聖アンブロシウスの賛歌』・『日々の賛歌・霊魂をめぐる戦い 』(訳)他

*5:桃源社第2代社長。父東司。江戸川乱歩や澁澤瀧彦の出版、そして『神州纐纈城』の刊行で「怪奇幻想ブーム」を巻き起こした。筆名:八木昇。代表作:『大衆文芸図誌』、『大衆文芸館』(著)他。