脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

佐々岡の性格と芹沢茜と明成皇后について

英語版 君が代:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd
ようやくこういうパロディが許される時代になってきたんですね。善哉善哉。


 会社の同僚達と金を出し合って宝塚記念三連単怒涛の100点買い。結果は軸のメイショウサムソンこそ来たものの、厚く張ってたアルナスラインとロックデュカンプが共に沈んで、誰も買ってなかったインティライミが滑り込んだ所為で見事玉砕。けどやっぱみんなでやる博打は面白いなー。またいつかやりたいものです。

ボロボロに燃え尽きるまで何度でも受けてたつわ

佐々岡+性格

冒険でしょでしょ? - 脱積読宣言

佐々岡真司
 昭和四十二(1967)年〜。中国放送野球解説者。島根県那賀郡出身。
 町立雲城小学校3年で野球を始め、町立金城中学校では内野手であった。 島根県立浜田商業高等学校2年時に投手に転向。以来、県内屈指の投手として注目を集めたが、夏の甲子園・春のセンバツには共に縁がなかった。卒業後は、NTT中国野球部に入部。ソウルオリンピック代表にこそ選ばれなかったものの、アマチュア時代から既に、そのスライダーの切れ味はプロでも通用すると言われていた。1989第60回都市対抗野球大会に、三菱重工広島の補強選手として出場し、初戦のNTT東日本戦で与田剛*1と息詰まるような投手戦を演じる。’89ドラフト1位で広島東洋カープに入団。プロ1年目から、スライダーを武器に二桁勝利・二桁セーブを挙げ、投手陣の主軸として活躍。しかし、史上初の新人で最優秀救援投手に輝いた与田剛に阻まれ、新人王の獲得はならなかった。2年目には、先発のエースとして17勝をあげ、最多勝利、最優秀防御率の二冠を獲得。チームのリーグ優勝に大きく貢献すると共に、シーズンMVP、沢村賞ベストナイン(最優秀投手)と各タイトルを総ナメにした。それ以降は、先発、中継ぎ、抑えと頻繁に転向を繰り返すも、全体的に安定した活躍を見せた。'99.5.8中日ドラゴンズ戦でノーヒットノーランを達成。2003.9.14の横浜ベイスターズ戦で、史上6人目となる100勝100Sを達成した。'06.5.4には、東京ヤクルトスワローズ戦にて先発100勝目をあげる。先発100勝かつ100セーブという記録は、江夏豊*2以来史上2人目という快挙であり、各メディアで大きく取り上げられた。’07シーズン終了後現役引退。'07.12.1付けで'08年中国放送RCC。TBS系列)の野球解説者として、'08.11.30までの契約が決まった。また、同系列のキー局・東京放送/TBSテレビ・ラジオの解説者も兼任することになった。(wikipediaより引用)
通算成績
試合570投球回2344.1勝利138敗戦153セーブ106勝率.474奪三振1806防御率3.58
受賞歴
最多勝(1991)、最優秀防御率('91)、ベストナイン(投手)('91)、MVP('91)、沢村賞('91)、セ・リーグ会長特別賞('90)、オールスター優秀選手賞('96第3戦)、月間MVP('90.9、'91.5、'91.9、'96.6、'99.5、2000.4)、最優秀JCB・MEP賞(1991)、特別功労賞(2007)、金城町民栄誉賞('05)。

性格
 精神生活の面で、他人と違った、その人だけの行動の仕方。特に、感情や意志などの動き方の特性。その人特有の性質。持前。人柄。(『大漢語林』より引用)


 そのいつも笑みを湛えた馬面純朴な顔から想像できる通り、佐々岡は非常に温厚で懐の広い性格のようです。ナチュラルボーンいじめられっ子新井の「佐々岡さんは本当仏のようなひとだった」の証言もけしてお世辞ではないでしょう。100勝100Sを数える彼の成績にもそれは表れています。先発中継抑えそれぞれでの登板割合が全て25%の他に例のない無茶な起用法にも文句を言わず、偉大な先輩に倣って決して高いとは言えない年俸にも盲判の一発サイン。チーム内でも、野村や黒田のように自分で周りを引っ張っていく面倒見の良いリーダータイプではなかったようですが、良き相談役として包容力のあるお父さん役をつとめていたとのこと。年始恒例のカープ選手会ゴルフで、ベテラン勢は皆同年代で固まってプレイする中、佐々岡一人若手投手陣に混じってラウンドしていた姿が印象的です。我が我がの意識の強い問題児揃いのプロ集団に於いてこの性格ではさぞ苦労したことでしょうが、こんな聖人君子がこの球団にいたことを我々カープファンはずっと誇りにしています。永年大変お疲れ様でした。あなたの衣鉢はマエケンがきっと継いでくれる。そう信じてます。

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芹沢茜

黄色いバカンス - 脱積読宣言

芹沢茜
 桃月学園1年D組。演劇部所属で初登場時ロボ子の着ぐるみを着てC組に乱入した暴走女子生徒。猫耳っぽいくせ毛がチャームポイント(本人は多少気にしている模様。)。その後も様々な着ぐるみや仮面姿で登場していたが、後にベッキー*3の代役を務めた際に素顔を披露した。白鳥人形劇団で人形劇をやっている。演劇部の敵としてドジラ・メカドジラの着ぐるみを着た来栖柚子*4と、模型部のジオラマなどを舞台に度々戦うが、互いの「中の人」の正体は知らず、素顔になったときは仲の好い友達として認識している。(wikipediaより引用)
初登場:『ぱにぽに』第3話「諦めは心の養生」
登場作品:『ぱにぽに』、『まろまゆ』、『新感覚癒し系魔法少女ベホイミちゃん
CV:沢城みゆき*5

 主人公クラスよりよっぽど濃い面子の揃っている1年D組のリーダー格。当初は定番のロボ子を始めとして、卓球少女アイちゃんやトランプガールはては唐傘おばけと様々な扮装で場を彩る完全無欠のイロモノだったのが、ベッキー替え玉騒動で顔出しして以来は、生来の気質が顔を出したか、時には友を気遣い時には皆を巻き込んで暴走するまとめ役に。特に柚子や南条のようなうじうじ考え込んで自分の殻に閉じこもってしまうタイプには彼女のようなずけずけと踏み込んできてくれる存在が助けになっているようです。
 なおアイデンティティーの一つに数えられるかぶりものは演劇部部長藤宮円の個人的趣味を押し付けられている結果。ただ最近はドクロ仮面が板についてきたベホイミに対し「キャラがかぶる」と苦情を言っている辺り、自身の個性として悪しからず認識しているようです。なお演技力に関しては、ベッキーの影武者をやれとのいきなりの無茶振りをそつなくこなすなど、相当に高い*6模様。
 

明成皇后

明成皇后その愛と死 - 脱積読宣言

閔妃 Min pi
 咸豊元(1851)〜開国504(‘95)年。朝鮮李朝の高宗*7の妃。別名は明成皇后。
 1866王妃となる。’73大院君*8に代わって国王親政の名目の下に実権を握るが、閔氏政権の治下は腐敗と虐政が進み、朝鮮は日本の半植民地となる。’76日本の圧力に屈して江華島条約を締結。’83壬午軍乱では清国軍の力でこれを鎮圧。’84甲申事変では清国軍に要請して開化派の政権を崩壊させた。’94ロシアに接近して親日勢力追放。しかし、’95朝鮮の植民地化を狙う日本の公使三浦梧楼*9の指示によって王宮に乱入した日本軍により惨殺された。(『コンサイス人名辞典 外国編』)

 混迷と困窮の渦の只中にあった李氏朝鮮に颯爽と現れた良くも悪くも偉大な女傑。日韓に於いて毀誉褒貶の差の甚だしい彼女。どちらの意見が正しいのか略歴を追ってみましょう。なお管理人は数年前は普通にハン板に入り浸っていたと言えば、思想傾向はお分かりでしょう。各人でバイアス補正してお読みください。

 先ず閔妃が政治の表舞台に登場するのは当然の如く高宗への入内から。今後の成り行きを考えると意外ですが、このとき閔妃を推薦したのは他ならぬ大院君夫人。外戚の専横に苦しみ永年不遇をかこった大院君は、再度の外戚勢力の台頭を嫌って、早くに両親を亡くし兄弟もいない妻の一族に白羽の矢を立てたのです。
 しかし、彼女の結婚生活は当初余り順調ではありませんでした。才長け春秋左氏伝をこよなく愛する彼女の男勝りの性格が嫌われたか、それとも単に不器量だったのか、高宗の寵愛を得れず煩悶の日々を送ります。そんな中、彼女の良き相談相手となったのは推薦人でもある大院君夫妻。聡明な彼女は義父母に気に入られますが、側室に生まれた第一王子の扱いを巡って大院君と訣別。ご多聞に漏れず集い集まった自称親戚一同による閔氏一族勢力を作り、性急な改革で日増しに悪評の高まる父大院君との対決に備えます。
 冷戦が本格的な対立に発展したのは同治十一(1873)年の高宗親政開始。ここで摂政の座を失った大院君は閔妃によって都を逐われ、隠棲を余儀なくされます。以降清との関係をバックに返り咲きを狙う大院君に対抗するため、閔妃は開化政策を進め、日本との友好関係を深め、大院君一派を駆逐します。
 しかし、いつの時代も外国勢力依存は諸刃の剣。絶対的権力を握った閔氏政権の腐敗を極める暴政は、金玉均ら開化派の台頭を招きます。明治維新に感化され、福沢諭吉伊藤博文ら日本の有志の後援を受けた開化派による維新計画は、閔妃が日本を憎悪するに十分な理由となり、彼らの蜂起である壬午軍乱や甲申事変の鎮圧のため、再度清への依存へと舵を切り戻します。結果、完全に日清両国の草刈場と化した朝鮮。この現状を打開する為、閔妃は今度は急速にロシアへと接近します。嗚呼、駄目だ、このおばさん何も学んでねぇ。
 さあ気を取り直して日清戦争後。この敗北により、清が完全に朝鮮から手を引いた為、日本に対抗するため、新たな「宗主国」ロシアに完全に依存し始めた高宗・閔妃夫妻。これに業を煮やしたのは朝鮮公使三浦梧楼。未だ復権を諦めない大院君と共謀し、閔妃を暗殺。大院君主導の親日政権の樹立を図ります。しかし、諸外国からの非難を警戒した日本政府はこのクーデターを承認せず、大院君の復権はなりませんでした。
 なお、余談ですが、彼女への諡号「明成皇后」授与を提案したのは外務大臣として生前の彼女と激しく火花を散らした井上馨。ここら辺どんなに憎くても死ねば仏の日本人のメンタリティーが良く表れてますね。

高宗・閔妃―然らば致し方なし (ミネルヴァ日本評伝選)

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あなたなら不足はないわ永遠の戦友でしょ?

 大清帝国末期の西太后大英帝国凋落の始まりビクトリア女王、そして李氏朝鮮に止めをさした明成皇后こと閔妃。1900前後次々崩壊を始めたかっての大帝国たちの指導者の多くが女性だったは何かの偶然でしょうか。成長期にあればいい方向に作用する女性の性格、何事にも揺るがぬ頑固さも落日の王国に於いては、改革を妨げる頑迷固陋なるヒステリーに化けてしまうようです。個人的にはリーダーには佐々岡のように包容力のある女性こそが上司としては最適と思うのですが、そもそもそんな人は生き馬の目を抜く政界でのし上がることは無理でしょう。難しいものです。芹沢茜のように行動力と思いやりに溢れ大衆を「騙す」演技力を持った女傑は現れないものでしょうか。勿論、誰かヒステリックな暴走を止めれる手綱付きなことが最前提ですが。

ぱにぽにだっしゅ!ヴォーカルアルバム ~学園天国

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帰ってきた今日の一行知識

閔妃はスキンケアに余念がなく、死亡時も年に似合わぬ肌年齢から死体が女官の物に混じり、しばらく放置されていた。 
何でも真珠の粉をファンデーションに使っていたとのこと。女性の美貌は金で買えるってのは本当ですね。

*1:全日本女子野球コーチ。通算成績:試合148投球回247.1勝利8敗戦19セーブ59勝率.296奪三振212防御率4.58。受賞歴:最優秀救援投手('90)、新人王('90)。

*2:デイリースポーツ解説者。通算成績:試合829投球回3196勝利206敗戦158セーブ193勝率.566奪三振2987防御率2.49。受賞歴:最多勝(1968、'73)、最優秀防御率('69)、最優秀救援投手('77、'79-'82)、MVP('79、'81)、沢村賞(‘68)、ベストナイン(投手)('68)、オールスター最優秀選手('70第2戦、'71第1戦、'80第3戦)。

*3:レベッカ宮本。桃月学園1年C組担任。11歳。姉にスーザン。10歳にしてMITの学位を取り、特例として桃月学園の教員となるほどの天才少女。天才らしく達観した一面と、年相応の少女らしさが同居する性格。

*4:桃月学園1年D組。映画研究部所属。16歳。映研の最終兵器メカドジラの中の人。内向的で人見知りで妄想癖もあるなかなか難儀な性格。芹沢茜に友情以上恋愛未満の片思い中。

*5:マウスプロモーション所属。代表作:真紅(『ローゼンメイデン』)、ミント=ブラマンシュ(『ギャラクシーエンジェル』)、プチ・キャラット(『デ・ジ・キャラット』)他。

*6:特にアニメ版ではCVの沢城みゆきの神がかった演技力とあいまって、高校生離れした驚異の技術を見せ付けています。世界最高峰の日本のアテレコ技術を知りたい方は『ぱにぽにだっしゅ!』第21話「鬼に衣」は必見。正直最後の最後までベッキー役の斎藤千和がそのまま声当てているものだとばかり。

*7:諱は熙、字は聖臨。大韓帝国初代皇帝。父大院君、母驪興府大夫人、養父孝明世子。李氏朝鮮末期の国王として、父大院君と妻閔妃、日本の後押しを受けた開化派それぞれの傀儡として、泥沼の権力闘争に生涯を過ごした。

*8:本名:李昰応。高宗摂政。興宣君。父南延君。旧体制打破・鎖国堅持を目指し改革を進めるも、閔妃に実権を奪われ失脚。以降は開化派や日本と組み閔妃打倒を目指すも復権ならぬまま死去。

*9:枢密顧問官。陸軍中将。子爵。父五十部吉平、養父三浦道庵。乙未事変の黒幕として逮捕。免訴後は政界のフィクサーとして護憲三派内閣成立を斡旋。