脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

永川勝浩と韓国の反日と山田風太郎について

http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/51172937.html
藪をつついて蛇を出す。宗教屋さん、もう圧力による緘口令なんて通用する時代じゃありませんよ。


 枕のネタがないのは平和の証拠と喜ぶべきなのでしょうか。

讌にさざめく愚昧な欲望を止められない高鳴る魔鐘

永川勝浩

crosswise pt2 - 脱積読宣言

永川勝浩
昭和五十五(1980)年〜。広島県三次市出身。189㎝93㎏。右投右打。背番号20。
新庄高校(1996〜'98)→亜細亜大学('99〜2002)→広島東洋カープ('03〜)
タイトル
JA全農Go・Go賞(救援賞(Wedge Up賞))(2006.6)
通算成績
試合184勝利14敗戦18セーブ58勝率.438投球回数223三振263自責92防御率3.71
‘06成績
試合65勝利5敗戦6セーブ27勝率.455投球回数70.2三振86自責13防御率1.66


 和製ランディ=ジョンソンの誉れ高き、カープの誇る劇場型守護神。2002年ドラフトでカープ初の希望枠使用選手として入団。大魔神も認める脅威の落差のフォークを武器に、初年度こそクローザーとして活躍するも、翌年から迷走。コントロールの悪さを露呈し、カウントを悪くして、ストライクを置きにいったところを痛打される展開が連続。'05年には一時先発転向を図るも撃沈。中継ぎ降格後は継投コール時に、頑是無き幼女から「なんで永川な〜ん」との呟きすら漏れたとの都市伝説が広がるほどの炎上の連続。山内・澤崎らの先人の如くこのままフェイドアウトかと思いきや、'06シーズンに守護神ベイルに繋ぐ鉄壁ストッパーとしてまさかの大復活。5月後半にはベイルの負傷離脱もあり守護神昇格。後半戦もたまのやらかしはご愛嬌の安定振りで、黒田と並ぶ、ブラウンカープ投手陣の二枚看板の一角に。その余勢を駆って、'07シーズンも150㎞強の剛速球でカウントを稼ぎ、必殺フォークでとどめ、の必勝パターンを武器に快刀乱麻。の予定が、劇場王の血が騒いだか毎当番ピンチを演出するサービス過剰ぶり。かてて加えて、被弾癖に暴投癖もあって、1点差で永川を見るのは本当に胃が痛いです。彼は本当にカープ暗黒時代の象徴たる「年替わりの守護神」*1のジンクスを払拭してくれるのでしょうか。

三次の歴史 (1985年)

三次の歴史 (1985年)

韓国+反日

Fool on the planet - 脱積読宣言

韓国
朝鮮半島の国家の略称。
1、1897.10李朝(朝鮮王朝)は国号を朝鮮から大韓に改め、1910.8韓国併合によって滅亡するまでこの国号を用いる。韓の名は古く朝鮮半島中南部に居住していた韓族の名に因む。国号改定と同時に、大君主(1895.1国王を改称)の高宗*2は皇帝に即位したので、国名は大韓帝国であり、略称として韓国が用いられた。1919.4独立運動家たちが上海に樹立した大韓民国臨時政府は、国号を受け継いだものである。
2、1948.8朝鮮半島南半部に樹立された大韓民国の略称。
(『岩波日本史辞典』より引用)

反日
日本に反対する事。日本や日本人に反感を持つ事。(『広辞苑 第五版』より引用)

兄より優れた弟なんて存在しねぇ」というジャギ様の金言を思い浮かべずにはいられない韓国の反日ですが、その源流は何処にあるのか、足りない知恵を巡らせてみたいと思います。
 「日帝支配三六年と壬申倭乱の恨み」というのが彼の国の主張ですが、正直信用する気にはなりません。というわけで振り返ってみますと、中世以前は、白村江の戦い→文永・弘安の役倭寇応永の外寇文禄・慶長の役と文化交流したり攻めたり攻められたりしつつのありきたりな隣国関係が見て取れます。朝鮮の態度が変わる*3のは江戸時代に入ってから。日本に来た朝鮮通信使の方が偉く尊大なお言葉を残してくだすっております。この的外れな優越感の出所はといいますと、自身こそ中華文明の唯一正統の後継者という自負でしょう。当時中原は満洲族の大清帝国に支配されており、中華の精髄は断絶したと朝鮮は考えていたようです。となれば、明代中華に最も近く師事した自国こそがその衣鉢を継ぐにふさわしいと考えてしまったようです。
 結果国力に合わぬ尊大な自負心が醸成され、それが他国への蔑視に繋がったのでしょう。事実日本だけでなく満洲族も大層馬鹿にしていた節はありますが、流石に陸繋がりで国境を接する大国に歯向かうほど愚かではなく*4面従腹背を徹底していた模様です。結果鬱屈した感情が全て実害に乏しい日本に向かったのではないでしょうか。韓国の悲劇は文明開化によって東海が以前のような絶対の防壁足りえなくなってしまったこと。明治期以降は対ロシア(ソ連)の為の大陸経営を目指す大日本帝国に蹂躙され、歪んだプライドは日本の敗戦を気に暴発します。
 以降は皆さん知っての通り、彼らの反日行為の実際はハン板あさるなり、祖父母に取材するなりご自由になすって下さい。嫌ってほど体験談を聞けるはずです。まあ英蘭・英仏・仏独・米墨の例をみるだに、隣国同士仲良くなんてのが日教組のプロパンガンダに過ぎないことがよく分かりますが。我々ヨーロッパの先賢に倣って、「仲良く喧嘩しな」の良好な隣国関係を構築したいものです。早く互いに堂々と「チョン」「チョッパリ」と罵り合える日が来ますように。

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山田風太郎

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WILD EYES - 脱積読宣言

山田風太郎
 小説家。大正十一(1922)〜平成十三(2001)年。兵庫県養父郡関宮町出身。本名山田誠也。東京医科大学卒。幼くして父母を失い、親戚の間を転々とする少年時代を送る。1942家出同然に上京、軍需工場で働き、'44東京医科大学に入学。大学在学中の'46「達磨峠の殺人」が『宝石』の懸賞小説に入選して、推理作家としてデビュー。'49「眼中の悪魔」「虚像淫楽」で探偵作家クラブ賞を受け、作家の道へ進む。山本正夫・高木彬光*5らと共に本格推理ブームを生み、'58〜'59「甲賀忍法帖」を発表して忍法ブームを起こした。以後、「くの一忍法帖」「柳生忍法帖」「魔界転生」などを次々発表。昭和四十年代後半からは明治時代初期を扱った開化物に転じ、この時期の代表作に「警視庁草子」「幻燈辻馬車」「明治断頭台」がある。(『新訂 作家・小説家人名辞典』より引用)

受賞歴
第2回探偵作家クラブ賞(「眼中の悪魔」「虚像淫楽」)
第45回菊池寛賞
第4回ミステリー文学大賞

(注:管理人はこの作者の「明治もの」や「探偵もの」は殆ど読んでないので悪しからず)
 娯楽小説の帝王。博覧強記の該博な知識を武器に荒唐無稽*6忍法帖から社会派小説まで幅広いジャンルを節操なく書き散らかす小説家の鑑のような御仁。作品の面白さの為なら、躊躇なく堂々と下世話で卑俗な下ネタに走るその思いっきりの良さがたまりません。ブンガクだの下らん言い訳に逃げる自称ゲエジツカどもには見習って欲しいものです。
 とは言え、今の目から見れば、時代考証の豪快な無視っぷりや、構成の投げっぱなしジャーマンっぷり、とか突っ込みどころも満載です。作品の良し悪しはそれの持つ勢いという名の熱量で決まる、という、ジャンプ黄金時代信者の人こそ山風作品を楽しめるのではないでしょうか。逆に小説家志望の人は絶対に読んじゃ行けません。文章が下手になります。

[rakuten:book:12026852:detail]

乱れ舞いて抗えど烈しく咲く程虚しく散り行く 憐れぶ声も無く

「特亜」の蔑称がネット界で定着して大分経ちました。これは中国・北朝鮮・韓国の悪逆非道・言語道断の反日政策とそれにへつらうマスゴミ一派のダブルスタンダードが一般に浸透してきた証と寿ぐべきことでしょう。しかし、未だ親特亜なマスコミも政治屋も数多く、一朝一夕で日本が独立独歩の健全な国にはなれそうにありません。小泉が鳴り物入りで訪朝を果たした時はこいつなら。と淡い期待を抱いたのですが、カープ永川勝浩の如く尻すぼみに終わり、何処へともなくフェイドアウトしていきました。後を襲った安倍はといえば親中路線復活の弱腰。次代の総理にこそ、山田風太郎描く柳生十兵衛の如き鬼神の活躍で跋扈する特亜の犬を駆逐して欲しいものです。麻生総理(予定)期待してもいいですか?


鳳翼麟瞳

鳳翼麟瞳

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*1:1998小林幹英→'99澤崎→2000河野→'01シュールストロム→'02小山田→'03永川→'04大竹→'05ベイル→'06永川

*2:李煕。大韓帝国初代皇帝。字は命福。父大院君、母驪興府大夫人閔氏、妻閔妃

*3:焚書の所為で高麗以前の文献が碌に残ってないだけな気もしないではないですが。

*4:逃げ場のない半島で育った民族だけあって、外交の巧みさに於いては暢気でお人よしな日本人の遠く及ぶところではございません。

*5:代表作:「白昼の死角」「刺青殺人事件」「成吉思汗の秘密」他。

*6:どうでもいい話ですが、この単語「コウケイムトウ」と覚えていて、漢字思い出すのに暫く大騒ぎしてしまいました。