脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

それ行けカープと韓国の反日と丿貫について

痛いニュース(ノ∀`) : 「Xmasデートは恥だと思え!」「クリスマス商業主義に踊らされるな!」…カップルだらけの渋谷で"非モテ"がデモ - ライブドアブログ
未曾有の災害と恐慌の中にあっても日本はとっても平和だなっと。


 ハッピーメリークリスマス。聖なる神子の誕生日、全ての善き家族と恋人たちに神と紙の祝福のあらんことを。(現代語訳:リア充爆発しろ!)

プラモ進捗

見せる練磨の技と熱

それ行けカープ

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それ行けカープ! - 脱積読宣言

それ行けカープ〜若き鯉たち〜
唄:塩見大治郎*1、作詞:有馬三恵子*2、作編曲:宮崎尚志*3
広島東洋カープ球団歌・応援歌。
初出:『それ行けカープ 〜若き鯉たち〜』(1975.8)
収録版:『それ行けカープ 〜若き鯉たち〜』(レコード)、『それ行けカープ 〜若き鯉たち〜』(シングルCD)、『VICTORY CARP』
歌詞はこちら

 ♪カープカープカープ、広島。広島カープ
この歌を唄えない奴を広島人とは認めません。

戯言はさておき、真宗門徒自民党支持の典型的広島家庭に生まれた私、当然の如く贔屓のプロ野球チームは地元広島です。ってゆーか、それ以外の選択肢がありえませんでした。だから、京都に来てから「何処応援してる?」の質問が新鮮で新鮮で。
 閑話休題。この歌はどんな曲より望郷の想いを掻き立て、幼かりし頃見たカープ黄金時代の雄姿が目蓋に蘇ります。優勝から遠く離れた今聞くと、泣きたくなるような歌詞もちらほらありますが、いつの日かもう一度、この歌を胸を張って唄える日が来る事を心より願っております。

それ行けカープ~広島東洋カープ Stadium Sound Track

それ行けカープ~広島東洋カープ Stadium Sound Track

反日+韓国

妖花忍法帖 - 脱積読宣言
Fool on the planet - 脱積読宣言

反日
 日本に反対すること。日本や日本人に反感を持つこと。(『広辞苑 第五版』より引用)

韓国
1、朝鮮の李朝末期の称。1897-1910日本併合まで大韓帝国の略称。
2、大韓民国の略称
(『広辞苑 第五版』より引用)

兄より優れた弟なんて存在しねぇ」というジャギ様の金言を思い浮かべずにはいられない韓国の反日ですが、その源流は何処にあるのか、足りない知恵を巡らせてみたいと思います。
 「日帝支配三六年と壬申倭乱の恨み」というのが彼の国の主張ですが、正直信用する気にはなりません。というわけで振り返ってみますと、中世以前は、白村江の戦い→文永・弘安の役倭寇応永の外寇文禄・慶長の役と文化交流したり攻めたり攻められたりしつつのありきたりな隣国関係が見て取れます。朝鮮の態度が変わる*4のは江戸時代に入ってから。日本に来た朝鮮通信使の方が偉く尊大なお言葉を残してくだすっております。この的外れな優越感の出所はといいますと、自身こそ中華文明の唯一正統の後継者という自負でしょう。当時中原は満洲族の大清帝国に支配されており、中華の精髄は断絶したと朝鮮は考えていました。となれば、明代中国に最も近く師事した自国こそが、中華を名乗りその衣鉢を継ぐにふさわしいと思ってしまったようです。
 結果国力に合わぬ尊大な自負心が醸成され、それが他国への蔑視に繋がったのでしょう。事実日本だけでなく満洲族も大層馬鹿にしていた節はありますが、流石に陸繋がりで国境を接する大国に歯向かうほど愚かではなく*5面従腹背を徹底していた模様です。結果鬱屈した感情が全て実害に乏しい日本に向かったのではないでしょうか。韓国の悲劇は文明開化によって東海が以前のような絶対の防壁足りえなくなってしまったこと。明治期以降は対ロシア(ソ連)の為の大陸経営を目指す大日本帝国に蹂躙され、歪んだプライドは日本の敗戦を期に暴発します。
 以降は皆さん知っての通り、彼らの反日行為の実際はハン板あさるなり、祖父母に取材するなりご自由になすって下さい。嫌ってほど体験談を聞けるはずです。まあ英蘭・英仏・仏独・米墨の例をみるだに、隣国同士仲良くなんてのが日教組プロパガンダに過ぎないことがよく分かりますが。我々ヨーロッパの先賢に倣って、「仲良く喧嘩しな」の良好な隣国関係を構築したいものです。早く互いに堂々と「チョン」「チョッパリ」と罵り合える日が来ますように。

丿貫+茶人

千ノナイフガ胸ヲ刺ス - 脱積読宣言

丿貫
 安土桃山の茶湯者。丿恒・丿観・別寛とも書く。号は如夢観。京都上京坂本屋の出身と伝える。医師曲直瀬道三*6の姪婿といわれ、『茶道正伝集聞書』に曲直瀬道三の言葉により丿貫を丿恒に改めたと記されている。
 紹鷗*7門下と伝えられ、『茶話指月集』によれば山科に住む侘茶人で、常に手取釜一つで飯を炊き茶を点て、利休*8を茶事でもてなしたことなどが知られる。また、『源流茶話』には茶法や器・軸などに囚われない自適な侘茶を行い、「異風なれ共、いさぎよき侘数寄なれハ、時の茶人、交りをゆるし侍りしと也」と記されている。更に『長闇堂記』の記事から1587.10北野大茶会で朱塗の大傘を用いた茶湯を行い、人々を驚かした趣向から秀吉*9より諸役免除を下されたことが分かる。晩年は薩摩に住したといわれ、薩南学派の南浦文之*10の詩文に丿貫との親交を伺わせる詩句がみられる。『三国名勝図会』に鹿児島西田村に丿恒石という丿貫の塚が記されている。(『角川茶道大辞典』より引用)

茶人
1、茶の湯を好む人。茶道に通じた人。
2、変ったことを好む人。一風変った物好き。
(『広辞苑 第五版』より引用)


 へうげもの美味しんぼでの活躍が印象深い丿貫翁。千利休からも野点の趣向では到底敵わないと激賞され、北野大茶湯では朱塗りの大傘を用いた野点*11で秀吉から諸役免除の特権を頂戴するなど当代無双の数寄者として活躍されたお方です。その真骨頂は、かの千利休すら俗物と切って捨てれるほどの侘び茶の精神にあり、茶道具は茶釜一つですべてを賄い、挙句はその大事な茶釜で雑炊すら作ってしまうという超然ぶりを見せます。侘び茶を売り物にしながら、茶道具売買で巨利を貪っていた利休居士にとってはさぞかし目障りだったことでしょう。山科在住で晩年は薩摩に下向した模様ですが、その実力の割には伝記・縁の地に乏しく、下手したら実在すらも疑われる有様。千家に疎んじられ履歴を抹殺されたか・・・なんて邪推するのも面白いかもしれませんね。

茶人たちの日本文化史 (講談社現代新書)

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夢もでかいぞ世界の空へ

 それ行けカープの大合唱に送り出された黒田や、丿貫によるアンチテーゼにも負けずに全世界に茶人が存在するほどの体系を整えるに至った茶道など、如何に韓国が反日を叫ぼうとも、日本にはまだまだ世界に通用するタレントや文化が数多存在します。この空前の大恐慌時代いつまでもうじうじと国内での足の引っ張り合いに終始せず、文化人材輸出大国への一歩を踏み出しましょう。外貨獲得手段のないまま福祉国家へと舵を切るってのは自殺行為以外の何物でもありませんよ。

それ行けカープ(若き鯉たち)

それ行けカープ(若き鯉たち)

帰ってきた今日の一行知識

韓国はアメリカ軍に日本を仮想敵国にするように正式に要請したことがある
もちろんまともに相手もされるはずもなく。これがほんの数年前の盧武鉉政権時代の出来事だというのだから笑えません。やっぱ福沢諭吉は偉大だ。

*1:代表曲:「愛の行方を知らない」、「闘士ゴーディアン」、「時は変わるとも」他。

*2:代表作:「17才」、「他人の関係」、「積木の部屋」他。

*3:代表作:『瞳の中の訪問者』、『ワン・ツウ・ドン』(音楽)、「コカ・コーラの歌」(作曲)他。

*4:焚書の所為で高麗以前の文献が碌に残ってないだけな気もしないではないですが。

*5:逃げ場のない半島で育った民族だけあって、外交の巧みさに於いては暢気でお人よしな日本人の遠く及ぶところではございません。

*6:父堀部親真。相国寺足利学校で医学を究め、日本医学中興の祖として京都で名医の名をほしいままにし医聖と称された。

*7:武野。父武田正久。連歌師として世に頭角を顕し、茶の湯の基礎を築いた。

*8:千。武野紹鷗に師事し侘び茶を大成。織田信長に殊遇され、続く豊臣政権でも秀吉の私事全般を取り仕切る絶大な権勢を奮った。庇護者の豊臣秀長の死後、石田三成に数々の不正を暴露され賜死。

*9:豊臣。関白。太政大臣。父木下弥右衛門、母朝日姫、養父竹阿弥→近衛前久。信長に寵愛され、織田四天王の一人として累進。本能寺の変後、山崎の戦い賤ヶ岳の戦い小牧・長久手の戦いを経て、信長後継の座を確立し、豊臣政権を樹立、天下統一に成功した。側近の秀長・千利休を失ってからは耄碌が目立つようになり、朝鮮出兵や秀次事件などで政権の求心力を動揺させ、幼き秀頼の将来を憂いつつ病死。

*10:諱は玄昌。東福寺で臨西禅を学び、大竜山の開山となった。島津義久・家久らの帰依を受け、薩摩藩の外交僧として活躍した。代表作:『鉄炮記』他。

*11:現代茶道の野点で朱傘を用いるのはこれが由来