脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『戦争の日本史2〜壬申の乱』

http://blog.livedoor.jp/suresoku1/archives/1815391.html
安楽死の完全合法化と延命治療拒否者への相続税優遇措置くらいせんとまじめに国が傾くな。


 明けましておめでとうございます。今年も変わらず駄文を垂れ流しますので、旧年に倍するご愛顧を頂戴できましたら何よりの幸いです。

壬申の乱 (戦争の日本史)

壬申の乱 (戦争の日本史)

ギリギリのがけっぷちでいつも本当は本領発揮するタイプだったね

壬申の乱
 天武元(672)年天智天皇*1没後、天智の子大友皇子*2と天智の弟大海人皇子天武天皇*3とが皇位継承を争った全国規模の内乱。
 671天智は晩年の有力後継者であった同母帝の大海人に対して、大友を太政大臣に任じて後継とし、近江朝廷を主宰させた。危機を感じた大海人は僅かな舎人たちと大津宮から吉野に隠遁した。'72天智が没すると、遂に両者は衝突、大海人は東国に入って舎人の地盤である東国の軍勢の徴発に成功し、また畿内豪族の大伴氏も呼応して大和で挙兵した。大海人側が迅速な動きで美濃の不破を抑え東国を掌握したのに対し、大友側は内部不統一もあって対応が遅れ、西国の軍事動員に失敗、大海人側の東国軍に圧倒され、'72.7大津宮が陥落、大友は自殺。大海人は飛鳥浄御原宮を営み、'73即位した。大化の改新の諸政策や朝鮮出兵による地方豪族の不満が、大海人側の勝因といわれる。大友側についた有力中央豪族は没落し、権力を集中した天武天皇は、天皇中心の中央集権体制の実現を強力に進めた。(『岩波日本史辞典』より引用)

 「日本」の始まりを告げる戦鐘壬申の乱を描く戦争の日本史シリーズ第二段。吉川弘文館らしからぬ「真の首謀者は鸕野皇女、後の持統天皇だった!」の扇情的な惹句が多少きな臭さを醸し出していますが、内容自体はいつも通り。序盤と最終盤に「壬申の乱草壁皇子を即位させる為に皇后鸕野皇女が引き起こした」というかなり陰謀論っつーか妄想の入った*4主張が力強く開陳されますが、本編の壬申の乱の原因展開影響の分析自体は歴史学者らしい骨太な議論が展開され、主軸のはずの持統天皇黒幕論が殆ど物語に絡んできません。正直売れ行きに不安を持った編集者の暴走で無理やり差し挟まれたって言われても信じそうなのですが、著者も後書きでかなり痛々しい自分語りを滔々とかましてくれる御仁なので、多分執筆時期にちょっと厨二な発作を起こしてしまっただけのことでしょう。
 戦記ものとしての文学的発掘の殆どなされていない壬申の乱我こそパイオニアたるぞって野心のある方は基礎資料にどうぞ。

いつか失くした輝く勇気のかけらを今すぐ探しに行こう

 ヤマトの幼名を捨て、日本の諱を抱いて東洋史に独自の足跡を刻み始めた飛鳥朝廷の皆さん方。白村江の敗戦にも挫けず独立自尊のきっつい生き方を選んだこの先人方に恥じぬ生き方を我ら現代人はできているでしょうか?いつの日か、特亜に媚びず米帝に諂わぬ「日本」の名に恥じぬ国家を築けることを心より願っています。

Birth

Birth


帰ってきた今日の一行知識

明治以前天皇は「てんおう」と訓じていた
維新時に天皇天皇連呼されてるうちにリエゾン起こして現在の「てんのう」の発音が定着したようです。旧例墨守を叫ぶ右翼の方々はくれぐれも発音に気をつけましょう。

*1:第38代天皇。諱は葛城。父舒明天皇、母皇極天皇乙巳の変にて政権を掌握し、大化の改新を断行した。斉明天皇崩御後即位。白村江の戦いでの敗戦後大津宮に遷都し、庚午年籍近江令の制定など朝廷権力の確立に尽力した。

*2:弘文天皇。第39代天皇。父天智天皇、母伊賀宅子女。父天智天皇より皇位の譲りを受けるも、壬申の乱にて敗死。

*3:第40代天皇。父舒明天皇、母皇極天皇。天智死後壬申の乱に勝利し皇位継承飛鳥浄御原令の制定などで朝廷権力のなお一層の強化に尽力した。

*4:結論が先にあってそれを導く議論が完全省略っていう歴史学としては最低の行為のはずですが、中世史と古代史では方法論がちがうのでしょうか。