脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

暗黒天国と40代での二桁勝利と毛利元就の戦績について

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1210995.html
生きながらにして世界の破滅を体感できるとは何ともご愁傷様。けど世の中にはバグ技使いたい放題のリアルライフってゲームもありますよ。


 最寄り駅まで辿り着いたところで、家の鍵を会社に置き忘れたことが発覚。この時ほど同居人の存在に感謝したことはありません。


SRWZ進捗

  • 2周目第53話「月面決戦」クリア。トップエース:セツコ=オハラ@バルゴラ・グローリー。

つないだ手が誇りだった

暗黒天国

暗黒天国 - 脱積読宣言

暗黒天国
テレビ東京系アニメ「かみちゃまかりん」オープニングテーマ
唄:ALI PROJECT、作詞:宝野アリカ*1、作編曲:片倉三起也*2
初出:『暗黒天国』(2007.5.23)
歌詞はこちら


 『宇宙をかける少女』のオープング「裸々イヴ新世紀」で不評紛々のALI PROJECT。彼女らがやらかしたのは何もこれが初めてではありません。少女マンガ『かみちゃまかりん』のオープニング主題歌のこの暗黒天国でも同じような惨劇が繰り広げられています。ザ・なかよしって感じの可愛い絵柄をバックにダークでこぶしの利いたアリカ嬢の美声が流れる違和感は言葉に尽くせるものではありません。*3
 まあ、そんな些細な大問題を除けば、いつものアリプロ節の名曲です。ファンは安心してこの世界に溺れましょう。

暗黒天国

暗黒天国

二桁勝利+40代

Butterfly Kiss - 脱積読宣言

勝利投手
 野球の試合における勝利チームの責任投手。勝ち投手ともいう。
 公認野球規則10.19により勝利投手は定められている。
1. 先発投手の場合、5回以上を投げ、降板した時点で味方のチームがリードしている場合。天災等により5回終了のコールドゲームである場合は、先発投手が4回以上投げた上でコールド適用時までに同点・逆転を許さなかった場合(リードを保った場合)に勝利投手の権利がある。
2. 救援投手の場合、同点あるいは負けている場面で登板し、降板する前にチームが勝ち越した場合。また、先発投手に勝利投手の権利がない状況で登板し、チームの勝利に最も効果的な投球をしたと公式記録員が見なした場合。
 いずれの場合も、そのままリードを保ってチームが勝利すると勝利投手となるが、一度同点あるいは逆転されると、勝利投手の権利は消える。ただし、同点または負けている状況で、投げ終えた直後のイニングで投手に代打(または代走)が送られ、そのイニングでチームが勝ち越した場合は、代打(代走)を出された投手に勝利投手の権利が認められる。
 サヨナラゲームとなった場合には、無条件に最後に投げていた投手が勝利投手となる。また、先攻のチームでも最終回や延長で勝ち越した回の裏をリードを保ったまま終えれば、その直前まで投げていた投手が勝利投手になる。(wikipediaより引用)

 40代での二桁勝利の達成は若林忠志(1948*4・'49*5)、村田兆治('90)*6工藤公康(2004*7・'05*8)、山本昌('06*9・'08*10)、下柳剛('08)*11の五人、延べ8回です。この手の投手記録にしては珍しく近年になってからの方が達成が容易となっており、特に21世紀になってからは工藤・山本昌・下柳の三人で5回も達成しており、'08年度に至っては、下柳・山本昌の同時達成という快挙も成し遂げられており、分業とコンディショニング技術の発達による投手寿命の急激な伸びが如実に表れています。太く短くか、細く長くか、人類永遠のテーマは野球界でも息づいているようです。
 しかし、戦後すぐの混乱期のドサクサで達成した若林を例外とすれば、未だ完投絶対主義と根性論のまかり通る時代に、大怪我を乗り越えてこの記録を成し遂げた村田兆治ってのは、やっぱり化物だったんだなとしみじみ。

毛利元就+200戦

自由であるために - 脱積読宣言

毛利元就
 明応六(1497)〜元亀二(1571)年。戦国時代の武将。毛利弘元*12の次男、母は福原広俊*13の娘*14安芸国高田郡吉田村出身。幼名:松寿丸、仮名:少輔次郎。
 初め安芸国多治比猿懸城にいたが、兄興元*15次いでその子幸松丸*16の死によって、1523家督を継ぎ、安芸国高田郡郡山城主となる。初め尼子氏、次いで'25頃から大内氏に属す。'33従五位下右馬頭。次男元春*17を吉川氏、三男隆景*18を小早川氏の養子として安芸一国を支配。'46頃家督を長男隆元*19に譲る。'51大内義隆*20の家臣陶晴賢*21が叛して義隆を殺し、大友義鎮*22の弟を迎えて大内義長*23とするや、'55一族を率いて厳島に晴賢を破り、次いで'57義長も滅ぼし、長門・周防両国を平定。以後備後・備中・石見などに進出。'60正親町天皇*24の即位大礼の費用を献じ、従四位下陸奥守に叙任。また13代将軍足利義輝*25相伴衆となる。'62従四位上。'62以降出雲の尼子氏討滅に意を注ぎ、'63白鹿城を陥れ、次いで'66その本拠富田月山城を攻め落とし、尼子義久*26を降す。'68豊後の大友義鎮を攻め、'70尼子勝久*27山中幸盛*28を出雲に破り、安芸・周防・長門・備中・備後・因幡伯耆・出雲・隠岐・石見の10ヶ国を支配する有力大名となる。'71居城の郡山城で病没。一族の結束を強調し、隆元・元春・隆景の3子に遺した教訓状は、のちに「三矢の訓」として世に喧伝される。連歌や和歌もよくした。出雲の鰐淵寺、毛利家・山口の豊栄神社などにその画像が残されている。'72従三位が追贈され、また1869神号を賜って豊栄神社が創建された。(『コンサイス日本人名事典 改定新版』より引用)


 20歳の時、幸松丸の名代として武田元繁に攻められた有田城を救援に向かったのを初陣に、生涯約200戦を戦い抜いたのが我らが元就公。尼子との抗争では布野崩れや忍原崩れの様な大敗を喫したことはあるものの、基本はほぼ無敵の連勝街道。「西国の桶狭間」と呼ばれる有田中井手の戦いや日本三大奇襲が一厳島の戦いなどの劇的な大逆転勝利も有名ですが、やはり元就の真骨頂は謀略戦。吉川家や小早川家の鮮やかな乗っ取り劇や、陶晴賢や尼子氏倒滅の際に見せた内部分裂の誘発など、戦わずして勝負を決めるやり口は武田上杉などの力任せの蛮族とは違うある種の優雅さを感じさせてくれます。まあだから人気が出ないんでしょうけどね。ちみちみ書状を書いて姑息に相手を弱らせる主人公なんて絵になりませんものね。


今は別々の空見上げててもほら歩ける一人でも

 第二次世界恐慌の余波で暗黒天国真っ只中の現代日本。この世紀の苦境を打開するにはどうすればいいかと考えれば、どうしても後期高齢者医療制度に代表されるような重荷のパージ、言い換えれば姥捨て山制度の復活といった、安易な道がどうしても目に付いてしまいます。そんなことを言わせない為にも、40代で二桁勝利を何度も成し遂げた工藤や山本昌や、生涯200戦を戦い抜いた毛利元就のように、お爺様お婆様方いつまでもご健勝でいらしてください。ボケて寝込んだあなた方をいつまでも介護できるほど今の日本と世界は元気じゃありません。

tomorrow / 枯れない花

tomorrow / 枯れない花

帰ってきた今日の一行知識

毛利元就の末子秀包は元就71歳の時の子
当時の平均寿命考えると化物の様な精力です。「英雄色を好む」とはよく言いますが、やはりこれぐらいの油っ気ないと歴史に名を刻むことは出来ないんですね。

*1:ALI PROJECTボーカル・作詞担当。代表作:「鬼帝の剣」・「勇侠青春謳」(作詞)、「少女貴族」(プロデュース)他。

*2:ALI PROJECT作編曲担当。代表作:『マリア様がみてる』、『CLAMP学園探偵団』、『怪物王女』(音楽)他。

*3:

*4:17勝(40歳・大阪タイガース

*5:15勝(41歳・大阪タイガース

*6:10勝(41歳・ロッテオリオンズ

*7:10勝(41歳・読売ジャイアンツ

*8:11勝(42歳・読売ジャイアンツ

*9:11勝(41歳・中日ドラゴンズ

*10:11勝(43歳・中日ドラゴンズ

*11:11勝(40歳・阪神タイガース

*12:吉田郡山城城主。父豊元。親幕的な自身の態度が大内氏との軋轢を拡げることを懸念し早期に隠居するも、酒毒により早逝。

*13:鈴尾城城主。出羽守。父貞俊。娘を各地の有力者にと嫁がせ、毛利家筆頭家老としての強力な発言力を維持した。

*14:毛利弘元正室。子に興元、元就。

*15:吉田郡山城城主。治部少輔。父弘元、母福原広俊女。大内氏の被官として尼子氏と、安芸国一揆の領袖として宍戸氏との戦いに明け暮れ、そのストレスから酒に溺れ早逝。

*16:吉田郡山城城主。父興元、母高橋久光女。父の早逝に伴い家督を継ぐも、自身も元服前に病死。

*17:日野山城城主。駿河守。父毛利元就、母妙玖、養父吉川興経。毛利の両川の一角として、山陰の攻略を担当。秀吉恭順後は、服従を良しとせず隠居するも、九州征伐への出陣を強制され、陣没。

*18:筑前の大名。権中納言。父毛利元就、母妙玖、養父小早川興景。毛利の両川の一角として山陽地方の攻略と水軍指揮を担当。秀吉恭順後は、五大老の一人として、豊臣政権下で重きを成す。

*19:周防守護。備中守。父元就、母妙玖。早くに父より家督を譲られるも、父に先立って死去したため、実権を握ることはなかった。

*20:周防守護。兵部卿。父義興、母内藤弘矩女。明との交易を行い、西中国北九州に版図を広げ、小京都山口の繁栄を現出するも、大寧寺の変にて横死。

*21:富田若山城城主。尾張守。父興房、母右田隆康の妹。旧名:隆房。文弱に流れる主君を大寧寺の変で謀殺し、大内家の実権を握るも、厳島の戦いで戦死。

*22:九州探題。左衛門守。父義鑑、母大内義興女。法号:宗麟。二階崩れの変を制し家督相続、一時は北九州六ヶ国を支配化に置くも、キリスト教への過度の傾倒から人心の離反を招き衰退。島津氏の猛攻に滅亡寸前のところを秀吉の九州征伐に救われる。

*23:周防の戦国大名。父大友義鑑、母大内義興女、養父大内義隆。旧名:大友晴英。陶晴賢に担がれ、大寧寺の変により家督相続。晴賢死後、家内掌握に失敗し、防長攻略により敗死。

*24:第106代天皇。諱は方仁。父後奈良天皇、母吉徳門院。戦国乱世の朝廷の絶望的な経済的逼迫の中即位。織田信長上洛後は信長との提携により、朝廷の権威回復に尽力。

*25:室町第13代将軍。左近衛大将。父義晴、母慶寿院。細川晴元三好長慶の争いに翻弄されながらも、将軍権威の復活に尽力。その活動を松永久秀三好三人衆に憎まれ永禄の変にて「剣豪将軍」の異名に恥じぬ壮絶な最期を遂げる。

*26:出雲の戦国大名。右衛門守。父晴久、母尼子国久女。父の急逝により家督を継ぐも、人心収攬に失敗し、国人層の離反を招き、毛利氏に併呑される。

*27:上月城主。父誠久。尼子の残党に担がれ織田家の援助の下、尼子氏再興を目指すも、上月城の戦いで敗死。

*28:父山中満幸、母立原綱重女、養父亀井秀綱。通称:鹿之助。尼子十勇士が一員として、「山陰の麒麟児」の異名をとるほどの活躍を見せる。主家滅亡後は、尼子氏再興の為、勝久を担ぎ奮戦するも、志半ばに横死。