脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

ソーラン節と戦国期の室町幕府と山崎烝について

http://blog.livedoor.jp/earth_news/archives/28749691.html
自民完勝、民主・維新壊滅と来月の参院選に向けて最良の結果。ただ共産の復活と公明の高空安定はいただけません。だからみんな投票に行こうって言ったのに。


 一向に良くなる気配を見せない腰痛ってゆーか左足の痺れとおさらばするために手術を決意。来月の19日に御茶ノ水の三楽病院でオペします。神保町まで徒歩5分の病院立地が決意の大きな後押しになったのは内緒だ。


SRWUX進捗

おらはよたよたと登り続けただ

ソーラン節+視聴

躍る銀鱗 鴎の歌に お浜大漁の陽がのぼる - 脱積読宣言

ソーラン節
 北海道西北部沿海の鰊漁で歌われる労作唄の一つ。
 鰊漁には、その作業によっていくつかの唄があり、順序によって示すと「船漕ぎ音頭」「網起こし音頭」「切声音頭」「沖揚げ音頭」などである。このうち「沖揚げ音頭」とは、獲った鰊を船から運搬用の船に移す時に歌うもので「ソーラン ソーラン」の掛け声を囃子言葉にしていることから「ソーラン節」とも呼ばれた。建網に入ってきた鰊を枠網に集め、次にその枠網のある枠船に、陸の運搬船である汲船を接触させて枠網からタモ網で鰊を汲みあげる。この汲みあげ作業を沖の漁場ですることから「沖揚げ」という。短時間の激しい作業で、しかも直径1m以上もある大きくて重いタモ網を使用しての汲みあげは、まさに重労働である。その中で歌われる「沖揚げ音頭」も力強く威勢のあるのが本来で、勿論伴奏はない。この「沖揚げ音頭」(「ソーラン節」)は青森県の野辺地(上北郡野辺地町)の港で歌われていた、やはり作業唄「荷揚げ音頭」が元と考えられている。それが鰊漁の最盛期に北海道に渡るヤン衆達によって運ばれたのである。「ソーラン節」の歌詞として最もよく知られている「沖の鷗に潮時問えば 私ゃ立つ鳥波に聞け」は「鰊来たかと鷗に問えば」「沖の鷗に潮時聞けば」とも歌われている。古くは『延享五年小哥しやうが集』に「沖のかもめにちょと物とへば おれはたつ鳥波にとへ」とあるほか、『浮れ草』(1822)の「勢州川崎音頭」や『鄙廼一曲』('09)の「出羽の国飽田風俗」に、既に類歌が見えるばかりか、現在各地に残る労作唄、踊唄の中にも広く歌いこまれている。一時期の流行唄の歌詞として各地に及んだものと考えられる。鰊漁が不振となった今日でも「ソーラン節」だけは、広く歌われているが、作業唄本来の男性的な力強さは失われ、華美な三味線唄となってしまった。宴席の余興唄の代表の一つである。(『日本民謡辞典』より引用)

視聴
1、見ることと聞くこと。
2、注意。注目。
(『広辞苑 第五版』より引用)

 よさこいソーランこと南中ソーラン一色になって昨今めっきり影の薄い正調ソーラン節。以下に視聴できるサイトっつーかYoutube大先生を紹介しようとおもったんですが、本気でソーラン節=南中ソーランになってて探すのに苦労しました。ようやくあったのがこちら。

たまには純朴な民謡もいいですね。

教材用ソーラン ベストセレクション

教材用ソーラン ベストセレクション

戦国期の室町幕府

Fool On The Planet(青く揺れる惑星に立って) - 脱積読宣言

戦国期の室町幕府 講談社学術文庫1766
著者:今谷明*1、発行者:野間佐和子*2、発行所:株式会社講談社、装幀:蟹江征治*3、印刷:株式会社廣済堂、製本:株式会社国宝社、本文データ制作:講談社リプレス制作部。
2006.6.10初版発行
目次

  • はしがき
  • 第一章 東班衆の世界―室町幕府の財政と荘園政策
  • 第二章 五山と北嶺
  • 第三章 門前検断と釘貫―権門の町屋支配
  • 第四章 落日の室町幕府
  • 学術文庫版あとがき

 今谷明先生の出世作。これを院生時代に書いたというんだからそら恐ろしいものがあります。内容は前半は禅宗というか五山による経済支配の実体を丁寧に解説。東寺百合文書こそが室町時代の基礎資料と教え込まれた身としては「東寺は所詮二流三流の荘園領主に過ぎない」という主張には面喰います。確かにどの文書見ても押領されただ年貢未進だのの淋しい話題ばっかだったもんな。という訳で殆どが室町幕府全盛期たる義持義教期の経済事情紹介に当てられているので表題の看板倒れが過ぎる気がします。まともに応仁の乱以降に言及してるの最終第四章だけなンですが・・・。
 まあ、そんな野暮なツッコミを除けば非常に面白い読み物です。流石に四半世紀前の論文なので現在引用するにはちと勇気が要りますが、在野の歴史家かぶれには必読ではないでしょうか。

戦国期の室町幕府 (講談社学術文庫)

戦国期の室町幕府 (講談社学術文庫)

山崎烝新撰組

萌えよ剣 - 脱積読宣言

山崎烝
 ?〜慶応四(1868)年。新選組隊士。鍼医者。大坂の鍼医者林五郎左衛門の子。
 新選組結成の直後入隊。副長助勤に任じられ探索方兼大坂での組資金調達係として活躍。1864池田屋の変は山崎の探索活動の所産。香取流の棒術に優れていた。'68.1鳥羽・伏見の戦いで重傷を負い大坂で没するが、一説には江戸に向かう軍艦内で落命とも伝わる。東京都北区滝野川の寿徳寺境外墓地の新選組合祀碑に祀られている。(『幕末維新大人名事典』より引用)

新撰組
 幕末、京都における尊攘派らを鎮圧した浪士組。1863清川八郎*4らが幕府と協議して結成した浪士隊が京都に入り、清川らが江戸に引き揚げたのちも芹沢鴨*5近藤勇*6らは京都に残留し、京都守護職支配下に近藤が局長となり、壬生に駐屯した。尊攘派池田屋事件などで鎮圧。戊辰戦争では甲州などで戦ったが敗北、解体した。(『岩波日本史辞典』より引用)

 銀魂山崎退の所為で最近めっきりヘタレのイメージのついてしまった山崎烝ですが、その実は諸士調役並監察という重職を任され、池田屋事件では会合日時を突き止めるという第一級の功を挙げた名隊士です。しかも、トラブルメイカーの多い新撰組の中にあってトラブルらしいトラブルも起こさず、大坂募集組という外様の出身ながらも猜疑心の強い近藤や土方に愛されるなど、人格も立派で穏やかだったようで、鳥羽伏見の戦いで負った銃創が悪化し関東落ちの途上の船上で死亡した際には隊士総出で見送られながら水葬されるなど、上下から慕われていたのが感じられます。そう考えれば、山崎退のやるときゃやる愛すべきヘタレってキャラ造形は意外と的を射てるのかもしれませんね。

新選組密偵 山崎烝 (広済堂文庫)

新選組密偵 山崎烝 (広済堂文庫)

神様のことをおらはわすれただ

 戦国期の室町幕府を思わせる暗黒時代の民主党政権も終わりを告げ、アベノミクスの成功でソーラン節の好景気にわく現代日本。テレビを視聴する限りでは、そんなことを微塵も感じさせぬ安倍バッシングだらけで嫌になりますが、それも新撰組並みの内紛粛清劇で自壊の道を辿る民主党一派の断末魔のもがきに過ぎないと思えばむしろ心地よくも感じます。とは言え、好事魔多しの喩え通りここで油断して参院選取りこぼしたら元も子もありません。密偵山崎烝のごとくどこに無所属の皮をかぶった民主党崩れが混じってないとも限りません。皆さん次の選挙も以下のキャッチコピーを忘れずに。「気をつけろ その無所属は 民主党

帰って来たヨッパライ

帰って来たヨッパライ

帰ってきた今日の一行知識

よさこいソーランの振り付けは一世風靡セピアに大きく影響されている
それであんな斜に構えた感じの振り付けなんですね。取りあえずものすごい勢いで腰落す必要があるんで、体重過多の方はご注意ください。俺みたいにヘルニアになりますよ。

*1:帝京大学文学部特任教授。代表作:『室町の王権〜足利義満の王権簒奪計画』、『武家天皇〜王権をめぐる相剋』、『天皇と戦争と歴史家』他

*2:講談社第6代代表取締役社長。父省一。夫に(阿南)惟道。子に省伸。

*3:代表作:『日本全史』、『仏教伝来1』(著作)他。

*4:正明。父斉藤豪寿。安積艮斎や千葉周作らに師事し、尊攘運動に献身するも寺田屋事件で挫折。浪士組の結成により手勢を得るも、暴走を危惧した幕府により粛清。

*5:光幹。新撰組初代筆頭局長。父貞幹。神道無念流を修め、水戸天狗党などで雷名を轟かせる。新撰組結成後は初代筆頭局長として活躍するも、その専横を憎まれ近藤一派により粛清。

*6:昌宜。新撰組局長。父宮川久次郎、養父近藤周斎。清川八郎の浪士組結成に乗じ、新撰組を結党。芹沢一派を粛清し組内を掌握すると、池田屋事件などで京都に雷名を轟かせた。相次ぐ隊内粛清や幕府の退潮により新撰組は崩壊。江戸で甲陽鎮撫隊を結成するも敢え無く崩壊、官軍に投降するも処刑された。