脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

汚名挽回と重光葵の伝記と馬場財政について

http://www.tokuteishimasuta.com/archives/6360093.html
盲目的で感情的な反対の為反対にしか見えないのがなんとも。この惨状見てたら彼らの言い分にも賛同したくはなるんですけどね。日本人の放射能アレルギーは異常だ。


 先日会社の飲み会で「従軍慰安婦についてどう思う」と議論を吹っ掛けられたので、酒がかなり入ってたことも手伝い、いつもの通りの持論を開陳させてもらったのですが、ふと周りを見渡すとドン引きな空気が。確かにポリティカリィ・コレクトネスとは無縁な典型的な反動右翼的な言辞ではあったのですが、このご時世そこまで過激でもなかんべと訝しく思っていたら、ふと視界の端に元全共闘で現役で共産党員やっておられる上司の姿が・・・。いきなりこのblogの更新途絶えたら、「そういうこと」があったと思ってください。

報われぬ子よあなたを想って

汚名挽回

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汚名挽回
 名誉が失われた状態から巻き返しを図ること。不名誉を挽回する。典型的な日本語の言い間違いと評される言葉。『汚名返上』と『名誉挽回』を混同して生まれたと言われる。「名誉挽回」=「名誉を取り戻す」という意味から、「汚名挽回」=「汚名を取り戻す」=「過去に何らかの過失を犯した人が、再び同類の過失を犯すこと」という意味だと皮肉るケースも見られる。しかし、「挽回」という言葉には「(昔の良い状態を)取り戻す、回復する」という意味のほかに「(今の悪い状態から)巻き返しを図る。盛り返す」という意味も持っている。後者の意味で「挽回する」を使った表現に「退勢(頽勢)を挽回する」がある。このような論理により、「汚名を挽回する」縮めて「汚名挽回」は意味が通じると言える。ただし、論理的に正しいと言えたとしても、それが日本語話者に理解されるかは別問題である。(はてなキーワードより引用)

 昨今のプチナショナリズム(by香山リカ)の風潮に乗って、「正しい日本語」がブームですが、その中で「役不足」と並んで槍玉に挙げられる「汚名挽回」。下手に使うと「汚名返上」か「名誉挽回」の間違いだよ、と鬼の首でもとったかのように突っ込まれます。しかし、これは言葉狩りされねばならぬほど間違った表現なのでしょうか。
 とりあえず、世間様の評価を探ってみましょう。しかし、名誉挽回も汚名返上も故事来歴のある由緒正しい言葉ではないので、権威ある大きな辞書では相手にしてもらってません。なのでもう少し卑俗な四字熟語辞典でもあたってみましょう。一冊だけ汚名挽回に言及したのがありました。

なお「汚名挽回」という表現は「名誉挽回」との混同から来たもの。

 いきなり雲行きが怪しくなってきました。しかし大丈夫です。所詮あの悪名高い*1岩波の辞書。しかも館外持ち出し可の一般書扱いの簡易辞書。これにて一件落着というわけにはいかないでしょう。とはいえ「汚名挽回」の成り立ち自体はこの通りでしょう。なので、今度は語義を元に意味が通るか否かを考察してみましょう。
 せっかく手元にあるので、『岩波四字熟語辞典』から、

  • 「汚名返上」殊勲をあげて、不名誉な評判を打ち消すこと。
  • 「名誉挽回」失敗して一度失った信頼を取戻すこと。

なんだか分かりやすくしようとしすぎて不正確になってる気はしますが、まあ大意としては問題ないですね。次各部の辞書的意味。ちなみに出展は『大漢語林』です。

  • 「汚名」かんばしくない評判。不名誉。
  • 「名誉」1、ほまれ。よい評判。名声。2・3・4省略
  • 「返上」お返しする。返すの敬語
  • 「挽回」もとに引きもどす。恥をそそいだり、遅れていることを取り返したりする。回復。

上三つには問題ないですが、「挽回」について補足。現代国語では上記の意味に加えて、派生的意味として「取り戻す」の意味も含有してます*2
 さて組み合わせてみましょう。「名誉挽回」「汚名返上」問題ないですね。「名誉返上」返しちゃいけません、明らかな間違いです*3。問題の「汚名挽回」、「芳しくない評判を回復する」。十分意味が通りそうです。事実一般的表現として「頽勢を挽回する」というのもありますし、「汚名(という状態)を(元の、汚名を蒙る前の状態へ)挽回する」という言い回しは十分理に叶ったものだと判断できます。
 では何故、「汚名挽回」が間違いと勘違いされているのでしょうか。それは各語の意味の広がりを考慮せず、単純に「対義語」に当てはめる風潮が招いたものだと考えます。「名誉」の対義語が「汚名」であるからして、「挽回」は「返上」の対義語だと誤解*4されたのが全ての発端でしょう。「汚名(そのもの)を返上する」の構造にそのまま挽回の意味を当てはめて「汚名(そのもの)を挽回する」=「芳しくない評判を取り戻す」と解釈され、間違った表現のレッテルが貼られたのでしょう。もう一組の組み合わせ「名誉返上」が誰の目にも明らかに間違っているというのも不幸でした。
 結論としては、「汚名挽回」は「名誉挽回」と「汚名返上」の混同から生まれた表現ではあるが、意味としては間違ってない。というところでしょうか。しかし昨今の「正しい日本語」ブームは日本語の矯正の美名の下に、言語の進化の可能性を刈り取っているような気がしてなりません。前述の「役不足」ももう少しで新たな意味を獲得できるところだったのを無理やり矯正され、意味の広がりを極度に限定された使いにくい表現に後退してしまった気がします。我々はもう少し日本語の可能性を信用して、誤用に寛容になってもいいんじゃないでしょうか。

汚名挽回―エイブヤード事件簿 (1979年) (講談社文庫)

汚名挽回―エイブヤード事件簿 (1979年) (講談社文庫)

重光葵+伝記

オンリーロンリーグローリー - 脱積読宣言

重光葵
 明治二十(1887)〜昭和三十二(1957)年。大正・昭和期の外交官・政治家。大分県大野郡三重町出身。東京帝国大学法学部卒業。
 外務省に入り、独・英・米・波在勤の後、ベルサイユ講和会議全権随員、条約局第1・第2各課長、中国公使館一等書記官、独大使館参事官から1930中国臨時代理公使。次いで'31-'32中国公使を勤める。折から日中関係の険悪化を現地にあって目撃、自らも上海事変停戦協定の成立直前に朝鮮独立運動家に爆弾を投げつけられて片脚を失う。'33-'36広田*5外相の下で次官に就任、その後、大使として'36-'38ソ連に'38-'41英国に赴任し、戦時中は中国大使として「対華新政策」実施に努め、'43東条改造内閣の外相に就任、小磯内閣にも留任して大東亜相を兼務。外相在任中から木戸*6内大臣と結んで終戦の手がかりを得ることに焦慮しつつ敗戦を迎えた。'45敗戦に際しミズーリ号上の降伏文書調印に全権として出席した。A級戦犯として極東軍事裁判で7年の禁錮刑を宣告されたが'50仮出所、追放解除後の'52改進党総裁、'54鳩山派との合同後は民主党副総裁に選ばれて鳩山一郎内閣成立と共に副総理・外相に就任。'56日本の国連加盟を承認した第11回総会に日本代表として出席。この間'52以来衆院議員当選3回。日本国憲法を「与えられた憲法」であるとしてその改正を主張し続けた。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

伝記
1、個人一生の事績を中心とした記録。
2、ある事について語り伝えられてきた記録。
(『広辞苑 第五版』より引用)

 幣原喜重郎と並び松岡外交で暴走する前の日本の穏健外交を主導した反骨の人で、戦後も吉田・鳩山と角逐し首班を争った傑物なのですが、病的なまでの反吉田・反ソ連で右左両翼の文化人様の勘気を蒙ってる所為か、再評価の機運に乏しい哀れな方です。正直白洲次郎とか石橋湛山とかの過大評価甚だしい小物なんかよりは余程の偉人だと思うんですが。そんな訳か今一伝記にも恵まれておらず、私の読んだことのあるのは豊田穣『孤高の外相 重光葵』だけ。以前感想も書いているので、以下そのまま修整再掲。もったいない精神は偉大です。


 さて、今回の主人公重光葵ですが、軍部の暴走の「尻拭い」ばかりしている印象が絶えません。教科書にも乗ってるミズーリ号での降伏文書署名を代表に、第一次上海事変・張鼓峰事件の停戦協定も彼の仕事です。しかも、上海事変の際には天長節*7の式典で朝鮮人尹奉吉の爆弾テロで片足を失い、張鼓峰事件では強硬な態度をソ連に憎まれ、A級戦犯の汚名を被る羽目になっています。彼こそ真の軍部の犠牲者と言ってもいいのではないのでしょうか。
 以上のように事後処理には非常な辣腕を発揮した彼ですが、政治家としての事績能力には疑問が残ります。大戦末期に近衛と組んでソ連終戦の仲介を求めるなど、やってることは繆斌にだまくらかされた緒方竹虎小磯国昭コンビと大して変わりません。重光の外交官としての能力を疑う気は毛頭ありませんが、彼のように明らかに政治家向きでない人間を担ぎ出さねばならなかったことは戦前・戦後の人材不足をよく表しているでしょう。

重光葵 連合軍に最も恐れられた男

重光葵 連合軍に最も恐れられた男

高橋財政+その後

もっと!モット!ときめき - 脱積読宣言

高橋財政
 1913以降数次に亙り蔵相を勤めた高橋是清*8の主導した財政政策。特に満州事変以後二・二六事件で暗殺されるまでの後期高橋財政の時期を指す場合が多い。犬養・斎藤・岡田内閣の後期高橋財政('31-'36)は昭和恐慌の中での金輸出再禁止、国債発行による財源調達、スペンディングポリシーの採用が特徴で、日銀券発行限度を引き上げた上で日銀に国債を引き受けさせて、財源調達と同時に国債市中消化を円滑にさせた。その結果、世界恐慌の中で日本は一足速く景気が回復したが、その間に満州事変後の軍事費増強を求める軍部と衝突し、'36年度予算編成で軍事費を厳しく査定しようとして高橋は暗殺され、終焉した。(『岩波日本史辞典』より引用)

その後
 それより後。以後。爾後。(『広辞苑 第五版』より引用)

 金本位制離脱と積極財政で世界大恐慌を脱した高橋是清ですが、暗殺直前には緊縮財政に舵を取り、公債漸減主義を打ち出していました。しかし、後任の馬場硏一蔵相は増税と公債増発による更なる積極財政方針を打ち出します。その中身は支出前年度比133.7%、公債発行額同40.7%増という狂気の予算計画。国防の充実と地方の振興というスローガンで軍部を味方につけた馬場蔵相は省内の反対派を粛清し、その野心的な予算案の実現に猛進します。しかし、幸か不幸か広田内閣が「腹切り問答」により総辞職、馬場財政は僅か一年足らずで崩壊します。なお、後年広田弘毅は「腹切り問答」は切欠に過ぎず、馬場財政により外国為替事情の財政状況が致命的なものになりかけていたので、内閣を投げ出さざるを得なかったと述懐しています。とまあ、高橋是清が心血を注いで立て直した日本経済を一撃で崩壊させ、以降の軍部主導の予算案策定への道を開いた馬場硏一。個人的には、松岡と並ぶ国賊の一人だと思うんですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

高橋財政の研究―昭和恐慌からの脱出と財政再建への苦闘

高橋財政の研究―昭和恐慌からの脱出と財政再建への苦闘

慙愧に抱かれ私は還る

 自分たちなら高橋財政の如き奇跡の経済回復すらできるとのたまってくれた民主党政権のその後の結果はと言えば、鳩山由紀夫普天間で、菅直人尖閣問題と福島原発で伝記に残る大失態を演じてくれています。で、汚名挽回を期して当番の野田佳彦も消費増税問題で見事に迷走中。高橋是清重光葵が草葉の陰でむせび泣く姿が目に浮かびます。明らかな詐欺師に騙されて当選させてしまった国民の方が悪いと言われれば、まっことその通りぐうの音もでないのですが、お灸をすえられるにしてもこれはちょっと大火傷過ぎやしませんか。とまれ、有権者の皆さん、クラッシャー小沢の活躍でどうも近そうな次の総選挙。今度こそは真面目に投票しましょう。もう日本に体を張った自虐ネタかませる体力は皆無ですよ。後悔はできる内が花。

慟哭へのモノローグ

慟哭へのモノローグ

帰って来た今日の名言集

「願くは 御國の末の 栄え行き 我が名さけすむ 人の多きを」by重光葵
ミズーリ号での降伏文書調印後に詠じた詩。今の日本に彼を蔑むことのできる人がどれだけいるのでしょうか。

*1:広辞苑の嘘』を参照するまでもなく、広辞苑の時事ネタ・古語の扱いと誤認誤用っぷりは酷いもんです。正式な文書を書くときは面倒でももう少し大きな辞書で確認を取りましょう。

*2:もとへもどしかえすこと。とりかえすこと。回復。(『広辞苑 第5版』より)

*3:正規表現は「名誉失墜」

*4:挽回の意味を「(物を)取り返す」に限定すれば間違いではない

*5:弘毅。第32代内閣総理大臣。勲一等。父徳平。旧名:丈太郎。外務官僚として要職を歴任し、外相に就任、広田三原則などの協和外交を推進した。二・二六事件後組閣するも、日独防共協定の調印や軍部大臣現役武官制の復活など軍部の傀儡政権を脱しきれぬまま、「腹切り問答」を発端とする閣内不統一で辞任。戦後その親軍的立場を憎まれ東京裁判にて処刑。

*6:幸一。平沼内閣内務大臣。侯爵。父孝正。近衛文麿と並ぶ革新貴族の双璧として累進。内大臣就任後は西園寺公望より首相奏請権を引き継ぎ、天皇の藩屏たる重臣会議の代表として軍部と角逐。戦後皇族に累を及ぼすまいと宮中の戦争責任を一身に背負い東京裁判にて終身刑

*7:今で言う天皇誕生日

*8:第20代内閣総理大臣。子爵。父川村庄右衛門、母きん、養父高橋覚治。通称:「だるま宰相」。財政手腕を見込まれ、原敬の後を襲うも閣内不統一により敢え無く瓦解。その後、昭和金融恐慌による非常事態収拾の為大蔵大臣に再登板し、世界大恐慌の荒波を乗り切るも、二・二六事件に巻き込まれ横死。