脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

君にジュースを買ってあげると菊池俊輔と秀吉の改名について

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きっちり教育の結果が出て良かったじゃないですか。反面教師ってのも立派な教育者ですよ。胸を張りましょう。


 本格的夏襲来を前にロフト生活を断念。おとなしく1階部分で起居してるんですが、問題は枕元にどでかい本棚(自作、最近気のせいかちょっと傾いでる気がする)があること。友人各位へ大地震の際は安否確認よろしく。孤独死は嫌だ。


SRWZⅡ破界篇進捗

  • 3周目第30話「ストレート・フルクラム」クリア。トップエース:クロウ=ブルースト@ブラスタ。

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きっといつか一緒に生きるああその日その時待って

君にジュースを買ってあげる+暴力

2006-05-29

君にジュースを買ってあげる
唄:グループ魂、作詞:宮藤官九郎*1、作編曲:富澤タク*2
テレビ東京系アニメ『ケロロ軍曹』3rdオープニング主題歌、DVD『ケロロ軍曹2』CMソング。
初出:『君にジュースを買ってあげる』(2005.10.26)
収録音源:『君にジュースを買ってあげる』、『TMC』
歌詞はこちら

暴力
 乱暴な力。無法な力。(『広辞苑 第五版』より引用)

 誰がばりばりの子供番組『ケロロ軍曹』の主題歌にしようなんてことを言い出したのか実に理解に苦しむグループ魂の迷曲。月収10万以下で時々暴力も揮っちゃう血統書付きのだめんずが時に見せる優しさを歌った飛び切りのラブソング・・・になるのかな?同じダメ人間でも我々引きこもり系ヲタクとは対極にいるだめんずの皆さん。何故彼等には彼女が出来て、我々にはいないのでしょう?理解に苦しみます。僕らは絶対暴力なんて考えもしないのに・・・ああ、そうかそれがいけないのか。男はちょっと位ワイルドな方がもてるんですね。メモメモ。

君にジュースを買ってあげる

君にジュースを買ってあげる

菊池俊輔

2007-05-26

菊池俊輔
 昭和六(1931)年〜。日本の作曲家。青森県弘前市出身。日本大学芸術学部卒業。
 1931魚店の長男として生まれる。幼少の頃から映画好きで、弘前市青森市の映画館をほとんどハシゴしたという。特に映画音楽に強い興味を持ち、映画と音楽を両立させるため日本大学芸術学部に進学する。大学卒業後、プロの映画音楽家になろうと木下忠司*3に師事。1961佐藤肇*4監督の『八人目の敵』(東映)で劇伴デビューし、同監督の『怪談せむし男』、『海底大戦争』、『黄金バット』(実写映画版)の他、『昭和侠客伝』シリーズ、『トラック野郎 望郷一番星』、『ガメラ対大悪獣ギロン』等、多くの映画音楽を手掛ける。テレビの劇伴デビューは『野菊の墓』(NHK版)('63)で、その後、『キイハンター』から『Gメン'75』に至る一連の東映アクション・ドラマ、『なんたって18歳!』、『赤いシリーズ』、『スチュワーデス物語』などの大映テレビ作品、『暴れん坊将軍』、『若大将天下ご免!』、『長七郎江戸日記』といった時代劇など、数多くのジャンルで活躍。2005 30年ぶりにリメイクされた『赤い疑惑』の音楽も担当した。その一方で、『宇宙パトロールホッパ』(1965)を皮切りに、『タイガーマスク』、『バビル2世』、『ドカベン』といったテレビアニメ作品や『仮面ライダーシリーズ』をはじめとする数多くの特撮番組の主題歌・挿入歌・BGMを担当。'71『仮面ライダー』の主題歌「レッツゴー!!ライダーキック」(歌:藤浩一*5、メール・ハーモニー)がヒットし、藤浩一こと子門真人がアニソン歌手としての道を拓くのに貢献する。1973映画『女囚さそりシリーズ』の主題歌「怨み節」(歌:梶芽衣子*6)がヒット。同曲は後年、ハリウッド映画『キル・ビル』でもフィーチャーされた。『ドラえもん』、『ドラゴンボール』シリーズ、『仮面ライダーシリーズ』、『Gメン'75』、『暴れん坊将軍』など、菊池の担当する番組には放送期間が長かったりシリーズ化されることが多い。そのため、「菊池俊輔が音楽を担当すれば、番組もヒットする」と言われることもある。姓名判断に凝っており、仮面ライダーXで主役を務めた速水亮*7の名付け親でもある(当の速水は最近まで石森章太郎*8が付けてくれた名前だと勘違いしていた)。(wikipediaより引用)

 日本アニソン史に金字塔を打ち立てるアニソンの父。ドラえもんドラゴンボール仮面ライダーと並べれば、その偉業にそれ以上の説明は不要でしょう。しかも、アニメ特撮にとどまらずGメン'75にスクール☆ウォーズなど一般ドラマでも大活躍と昭和40-50年代の日本ポピュラー音楽史を語るに欠かせぬ御仁です。しかし、その時代とのマッチングが酷すぎるのか、同時代の双璧の一角渡辺宙明などと比べると、今の時代に聞くにはちと古臭い曲調が耳に障ります。菅野よう子梶浦由記、今を代表する二大作曲家のうち30年後でも愛される人はどちらになるのでしょうか。

木下藤吉郎+日吉丸+改名

2007-01-23

豊臣秀吉
 天文五(1536)*9〜慶長三('98)年。豊臣秀吉政権の主権者、関白。織田信秀*10足軽木下弥右衛門*11の長男。尾張国愛知郡中村出身。幼名:日吉丸、通称:藤吉郎。
 1550家出して今川家の臣松下之綱*12に仕え、'53織田信長*13の草履取となり次第に重用される。'66墨股城築城に功を立て、'70頃武将の地位を得、羽柴姓を称する。信長の朝倉・浅井戦に活躍し、'73近江の浅井氏滅亡後その旧領を与えられ、'76長浜に築城する。'77中国平定の主将となり、播磨・備前・美作・因幡の毛利氏属城を攻略する。'82備中高松城を包囲中に本能寺の変が起こり、直ちに毛利氏と和睦して兵を返し、山崎の戦い明智光秀*14を滅亡させる。清洲会議織田信忠*15の子三法師(秀信)*16織田家家督に推し、織田(神戸)信孝*17柴田勝家*18と対立。'82従五位下近衛権少将。'83賤ヶ岳の戦いで勝家を破り、次いで信孝を滅ぼし北陸を平定し、'83従四位下参議。'84尾張国小牧・長久手に織田(北畠)信雄*19徳川家康*20と戦ったが、のち和睦する。'85紀伊の根来・雑賀衆を討ち、また四国の長宗我部元親*21を屈服させる。'85内大臣、次いで藤原姓を称し従一位関白となる。'85大坂城が完成。五奉行を置き公武を統轄する体制を作る。'85豊臣姓勅許。'86太政大臣。'87九州征討軍を出し薩摩島津氏を征し、'90後北条氏を滅亡させ、奥州を平定して全国を統一する。'90関白を辞して養子秀次*22に譲り、太閤となる。'87以後朝鮮・明国征服を策し'92朝鮮へ出兵(文禄の役)したが、李舜臣*23率いる朝鮮の水軍の活躍や民衆の抵抗にあい戦局は不利となり講和を図ったが不調、'97再度派兵(慶長の役)する。'98実子秀頼*24の将来を案じつつ苦悩の裡に没した。信長の事業を継承発展させ、大名の減封・転封を強行して専制権力の確立に成功。また都市豪商との提携・貨幣統一・兵農分離太閤検地・石高制などの施行によって幕藩体制の基礎を作った。その豪奢遊楽の気質が桃山芸術を開花させた。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

改名
 名を改めること。かいみょう。(『広辞苑 第五版』より引用)

 木下藤吉郎秀吉→羽柴筑前守秀吉→関白藤原秀吉→関白豊臣秀吉と名字*25はおろか本姓*26すらころころと出世魚のごとく変えた秀吉ですが、意外と通称と諱は一度も変えていません。ちなみに一般的に幼名とされている日吉丸ですが、近年の研究では『絵本太閤記』の創作であろうという説が主流となっています。長浜領主時代に縁の深かった日吉大社にあやかってつけたのだろうということです。なお、仇名の「猿」も同じく日吉大社の神獣の猿に平仄を合わせてこの時創作されたものではないかとされています。
 てな訳で、最初の名前は木下藤吉郎だったと思われる後の太閤さまですが、諱の「秀吉」の初出は美濃攻略戦の真っ最中の「永禄八年十一月二日書状」(1565)。川並衆や美濃三人衆に今孔明こと竹中半兵衛らの調略に当たって必要となってでっち上げたのでしょう。
 今でも人口に膾炙する「木下藤吉郎秀吉」の名と決別したのは近江長浜城主となった天正元年(1573)頃。織田家の二大巨頭柴田勝家丹羽長秀がら一字ずつもらって羽柴の名字を名乗ったのは皆さん知ってのとおり。以降天正十三年(1585)関白宣下を受ける為近衛前久の猶子となって藤原秀吉。翌天正十四年(1586)には天皇から新姓「豊臣」を賜って豊臣秀吉となって上がりとなります。歴史小説を志す方や同人歴女の皆さんは呉々も時期によって変わる名前の呼び間違いに注意しましょうね。

恋も夢も希望も捨てて

 就職氷河期の暴力的な寒風に当てられ、君にジュースを買ってあげるの世界が笑えなくなってきた12年卒の方も多いことかと思いますが、呉々も皆さん自暴自棄になりませんように。今や菊池俊輔がいた頃のような終身雇用制は幻想に過ぎません。「大手がないなら中小入ればいいじゃないの」なんて名言もあるとおり、何も大手にあらずんば企業にあらずの固定観念を払拭し、日吉丸から幾度もの改名を繰り返し天下人となった木下藤吉郎のような立身出世譚を志しましょう。「鶏口となるも牛後となるなかれ」『戦国策』のこの故事は結構現代でも当てはまりますよ。

60’s TVヒッツ・コレクション

60’s TVヒッツ・コレクション

帰ってきた今日の一行知識

ナポレオンはDQNネームの氾濫に切れて子供につけれる名前を聖人由来のものに限定した
今度は同姓同名が氾濫して国民の不満は鬱積、失脚の遠因となりました。日本もこんな風にならんことを望みます。まあ、親の理性教養判定ツールとしては非常に精度が高くて便利なんですけどね。子供は親を映す鏡とはよく言ったものです。

*1:グループ魂ギター。大人計画所属。代表作:『真夜中の弥次さん喜多さん』(監督)、『舞妓Haaaan!!!』・『池袋ウェストゲートパーク』(脚本)他。

*2:グループ魂東京ムードパンクス・Number theメンバー。代表作:「ラブラブ・マンハッタン」(作編曲)他。

*3:代表作:『女の園』、『この広い空のどこかに』、『赤い鳥のこころ』(音楽)他。

*4:代表作:『吸血鬼ゴケミドロ』、『悪魔くん』(TVドラマ版)、『海底大戦争』他。

*5:子門真人。代表作:「およげ!たいやきくん」、「ガッチャマンの歌」、「キカイダー01」他。

*6:オフィスカネダ所属。代表作:松島ナミ(『女囚701号/さそり』)、お初(『曽根崎心中』(劇場版(1978)))、おまさ(『鬼平犯科帳』)(俳優)他。

*7:旧名:炎三四郎他。オールアウト所属。代表作:神敬介(『仮面ライダーX』)、松戸光介(『氷炎 死んでもいい』)、根岸哲男(『華の別れ』)(俳優)他。

*8:石ノ森章太郎。代表作:『仮面ライダー』、『サイボーグ009』、『HOTEL』(漫画)他。

*9:天文六(1537)年とも

*10:那古屋城々主。三河守。父信定、母含笑院殿。「尾張の虎」の異名を取る武勇で尾張国内で勢力を伸張。隣国の今川氏との抗争の最中に病死。

*11:昌吉。織田信秀足軽組頭として活躍するも戦傷により帰農。出自や生業には異説が多い。

*12:遠江久野藩初代藩主。石見守。父長則。頭陀城主として今川氏に臣従。今川氏滅亡後は一時徳川家康に仕えるも、過去の縁から秀吉に召し出された。

*13:山城の戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。「尾張の大うつけ」と揶揄される幼年期を過ごすも、弟信行との家督争いに勝利し、同族を駆逐し尾張統一を成し遂げた。桶狭間の戦いで虎口を逃れて以降は、美濃併呑・将軍義昭擁立など快進撃を続け近畿一円に勢力を伸張。二度に亙る信長包囲網も打ち破り天下布武を目前に迫るも本能寺の変にて横死。

*14:惟任。亀山城々主。日向守。父明智光綱、母お牧の方、養父明智光安。最初朝倉氏に仕え、義昭と信長の会盟を斡旋。その功により信長に仕えた。比叡山焼討や京都経営で活躍し織田四天王の筆頭として累進するも、本能寺の変で謀反。信長弑逆には成功するも秀吉の中国大返しなどにより政権奪取には失敗し、山崎の戦いで敗死。

*15:岐阜城々主。左近衛中将。父信長、母生駒氏。旧名:信重。武田氏攻略戦に功あり、信長の後継の座を確固たるものとするも、本能寺の変で横死。

*16:岐阜の大名。権中納言。父信忠、母徳寿院。本能寺の変後、清洲会議で秀吉に擁立され織田家々督を継承するも、豊臣政権の成立成熟に伴い勢力は漸減。関が原の変で西軍に属した為、高野山に追放。

*17:岐阜城々主。侍従。父織田信長、母坂氏、養父神戸具盛。伊勢中部の豪族神戸氏を継ぎ、近畿各地の戦いに従軍。四国征討では大将となったが渡海前に本能寺の変に遭遇。中国大返しを成功させた秀吉などの近畿の諸勢力を糾合し復仇を果たすも、清洲会議では家督継承に失敗。柴田勝家と提携し秀吉に対抗するも、賤ヶ岳の戦いで勝家を喪い賜死。

*18:北ノ庄城々主。修理亮。父勝義。当初は信行派として信長と対立するも後臣従。「瓶割り柴田」の異名をとる武勇で織田四天王の一角として活躍。本能寺の変後、織田政権運営の主導権を秀吉と争うも賤ヶ岳の戦いで敗死。

*19:大和宇陀松山藩初代藩主。内大臣。父織田信長、母生駒吉乃、養父北畠具房。旧名:具豊→信意。伊勢の名族北畠氏の名跡を継ぐも、生来の暗愚から信長には冷遇される。本能寺の変後、家康と提携により秀吉に挑戦し小牧・長久手の戦いを有利に進めるも家康に独断で降服。

*20:徳川初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。織田・今川両氏の人質として幼年期を過ごす。桶狭間今川義元が横死後は独立し三河を回復。織田信長武田信玄との同盟により遠江に進出。武田征伐及び本能寺の変後の混乱に乗じ旧武田領を吸収し、秀吉と並ぶ一大勢力となるも、小牧・長久手の戦いで臣従、関東移封となる。秀吉死後、関が原で三成との後継争いに勝利し、徳川幕府を開闢。大坂の役で豊臣氏を滅ぼし、政権を磐石なものとした。

*21:土佐の大名。侍従。父国親、母斎藤祥鳳。姫和子と揶揄される柔弱な幼少期を過ごすも、長じては鬼和子、更には土佐の出来人と称えられる英雄となる。本能寺の変の混乱に乗じて四国統一に成功するも四国攻めを招き、秀吉に降服臣従、土佐一国を安堵された。

*22:関白。左大臣。父三好吉房、母日秀、養父宮部継潤→三好康長→豊臣秀吉。旧名:信吉。数少ない一門衆との一人として秀吉に寵愛され、雑賀攻めや四国攻めでも武功を挙げ豊臣政権内で重きを為した。子の無い秀吉の養子となり関白職を継承するも、実子秀頼の誕生により疎まれ謀反の嫌疑をかけられ失脚賜死。

*23:李氏朝鮮三道水軍統制使。字は汝諧。漢陽乾川洞の人。父貞。文禄の役で水軍を率い活躍するも讒言により失脚。慶長の役勃発に伴い復権し、再度日本水軍を苦しめるも露梁海戦で戦死。

*24:摂津の大名。右大臣。父豊臣秀吉、母淀殿。父秀吉より豊臣政権を継承するも、関が原の戦いにより実権は徳川家康に奪われる。以降も大坂に二重公儀体制と呼ばれる特殊な政権を護持するも、大坂の役により滅亡。

*25:木下→羽柴→近衛

*26:無姓→平→藤原→豊臣