脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『信長の戦争~「信長公記」に見る戦国軍事学』

【速報】岸田内閣と自民党の最新支持率 凄い事になる:ハムスター速報
この体たらくで一切「岸田おろし」の声が聞こえてこない辺り、貧乏籤を引く気概のある国士が皆無ってのがよく分かってげんなり。

 
 北千住の行きつけの店だったおとんばがいてんしたようなので新店で痛飲。綺麗な店内で料理の味も変わらず大満足ではあったんですが、あの小汚い店内にはそれはそれで中毒性があってよかったなあと。

いつの間にか焦げ付いてた光といつか描いたままのシナリオ

信長公記
 織田信長*1の伝記。信長、豊臣秀吉*2に仕えた太田牛一*3の著。慶長年間(1596-1615)の成立。
 幼時から上洛までの首巻と、上洛(1568)以後の本記15巻からなる(原本信長記は本記のみ)。桶狭間の戦の年次の誤りなどはあるが、内容はおおむね信頼できる。(『岩波日本史辞典』より引用)


 信長公記を底本に世間に流布する虚像を打破するといった体裁の一冊。後述するように全体的に面白みの少ない代わりに骨太で常識的な結論に落ち着いているので、軍記もの的な面白さには乏しいですが、その分かなりの知的興奮が堪能できます。『センゴク』とかのノリが好きな方はハマれるんじゃないでしょうか。あと、ガチの史料批判および解釈にかなりの紙幅を割いてるのでかなりの数の人はそこで心折れちゃうんじゃないでしょうか。自分は久しぶりに衰えた頭をフル回転できたので大満足でしたが。という訳で、歴史の泥濘に一歩踏み込もうって気概のある方は是非ご一読を。

誰かが書いた地図は今捨てた

 最後に備忘録代わりの各戦の通説と実相を紹介。
桶狭間の戦い:迂回しての奇襲ではなく、正面からの強襲が偶然クリティカルして総崩れ
美濃攻め:墨俣一夜城は完全な後世の捏造
姉川の戦い:浅井・徳川それぞれの勇戦と織田朝倉両軍の弱兵ぶりは後世の創作。そもそもこの戦いの意義は、通常あり得ない大名同士の大軍を率いた会戦が平地で成立してしまったことにある
長篠の戦い:三千挺の火縄銃による三段射撃は荒唐無稽。勝因は別動隊の奇襲により鉄砲隊の正面に本隊が押し出さなければならなくなったから
第二次木津川の戦い:鉄甲船海上に築かれた砦的な運用だった。

SOULHEAD

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*1:近江の戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。幼少期より「うつけ者」の評判を得る問題児であったが、弟信行との家督継承争いに勝利するとその勢いで尾張統一。桶狭間の戦い今川義元を下すと美濃に侵攻し岐阜城に本拠を移し天下布武の目標に向け邁進。流浪の足利義昭を擁して上洛し、畿内を勢力圏に収めるも、義昭との不和から数次の信長包囲網に苦しめられる。浅井朝倉本願寺武田の各勢力を殲滅し天下統一を目前にするも本能寺の変にて横死。

*2:関白。太政大臣。父木下弥右衛門、母大政所、養父竹阿弥→近衛前久。信長に仕え美濃国人衆の調略などで頭角を顕し、浅井氏攻めの功により長浜城主となり、織田四天王の一人に数えられる活躍を見せる。本能寺の変後、山崎の戦いで復仇に成功すると、清須会議賤ケ岳の戦い小牧長久手の戦いを経て織田政権を継承。全国統一の進行に伴い、豊臣姓を下賜され関白となり独自の豊臣政権を樹立。太閤検地や刀狩りなど近世への過渡期たる桃山時代の絢爛を現出した。晩年側近の弟秀長や千利休を喪うと政権は迷走し、文禄慶長の役の失敗などで人心は離反。嫡子秀頼への政権移譲を確実なものにできぬまま病死。

*3:南禅寺金地院河内真観寺領代官。和泉守。斯波義統・柴田勝家を経て織田信長の直臣となり堂洞城攻略などで活躍。一線を退いて以降は丹羽長秀の与力として行政官僚として活躍。長秀死後は秀吉秀頼親子に仕え、『太閤御代度々御進発之記』を後陽成天皇に献上するなど、文筆家として多くの業績を残した。代表作:『大かうさまくんきのうち』・『関ヶ原合戦双紙』他。