AKB総選挙でCD5000枚買って貢いだ男、出入り禁止に - VIPPER速報 | 2ちゃんねるまとめブログ
創業期と発展期と維持期それぞれで必要とされる人材が全く違うのが組織経営の難しさ。そういった意味では、痛みを伴った改革を断行した運営側の英断と言えるのではないでしょうか。
ハッピーバースデー、俺!
なんて呑気な枕書こうとしてたら、4日程前に交通事故に遭遇。朝自転車で通勤中、信号のない交差点を渡ろうとしたところにタクシーが横っ腹に突っ込んできました。幸い怪我は各部打撲と右肘擦過傷に軽い(といいなあ)ムチ打ちで済んだのですが、相手は悪名高き交通共済。初手から高飛車に脅迫染みたブラフ*1かましてきてくれましたので、こちらも早速顧問弁護士召喚して全面対決モード。ああ、上司が直情傾向の武闘派でよかった。
SRWZⅡ破界篇進捗
- 3周目第40話「降臨!!真なる者!」真ゲッター降臨。トップエース:クロウ=ブルースト@ブラスタ。
- 作者: 杉山正明
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1992/07
- メディア: 単行本
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気がつけば後ろに道がしっかりとできていて
モンゴル帝国 Yeke Mongrol Ulus
13世紀初頭、現在のモンゴル高原一帯のテュルク・モンゴル系の遊牧民を取りまとめたテムジン*2は、1206部衆に推戴されるかたちで即位式を挙げてチンギス・カンと称し、同時に麾下の遊牧民連合体を中核とする権力組織について、自らが出身した部族集団の名をとって「イェケ・モンゴル・ウルス」、すなわち大モンゴル国と命名した。これを起源として、13-14世紀にユーラシア大陸のかなりの部分を領有し、人類史上で最大の版図を実現した権力複合体を、普通モンゴル帝国と呼ぶ。地域・文明圏・人種を超えたその超広域支配は、言葉の真の意味で最初の「世界帝国」といってもいいものであった。但し、モンゴル帝国そのものは、「帝国」に相当する語で自らを呼んだことはなく、飽くまで後世の我々が歴史上の分析概念としてそう通称しているにすぎない。なお、大モンゴル国という名称は、少なくとも先行する「大契丹国」(所謂遼のこと)や「大女真金国」(案版・ジュシェン・アルチュン・グルン、所謂金の正式国号)に範をとったものであろう。(『中央ユーラシアを知る事典』より引用)
史上初にして最大の世界帝国モンゴル帝国。その成立と後世への影響を描く一冊。なはずなのですが、作者の杉山先生が大元帝国が大好きすぎるせいか、内容の約半分は英雄クビライ伝の趣き。始祖チンギス・カンの覇業よりも紙幅を割いてしまっているのはさすがにタイトル詐欺臭くないっすか。あと、各種の用語が十数年前に世界史で習ったのと微妙に差異があるので少し違和感が。チンギスの後継者モンケの死後、モンゴル帝国は元・チャガタイ・ハン国・キプチャク・ハン国・イルハン朝に四分し、西洋を脅かすほどの影響力を失ったという教科書的な理解ではなく、4つのウルスは大ハーンクビライの下で、モンゴルとしてのアイデンティティを持ち続け、その力は200年に亘るパクス・タタリカを現出するに足るものだったという物語は新鮮かつ合理的で非常に知的好奇心をそそられました。西洋主導の大航海時代の前に遊牧民主導のモンゴル時代によって世界は一つに結び付けられていたという「歴史」は白人至上主義の語る偏狭な「歴史」の追随を許さぬ壮大なスケールを感じさせられます。農業技術の発達により各地で文化と物資を蓄えながらも孤立によりそれ以上の発展をさまたげられていた農耕民族達を、ナチュラルボーン征服民たる騎馬民族が一つの文明に束ねるも、疫病と自身の宿痾*3によりその歴史的役割を終え、再び草原を駆ける一迅の風へと還る。なんと美しくも勇壮な物語でしょうか。白人コンプレックスに負けず、1000年代最大の英雄の物語を語るべき時が来ている気がします。
10年後の私は少し優しくなれていて自分以外の誰かを大切にしてたらすてきね
本文とは全く関係のないクローズドトークを。気が付けば私も早30歳。我ながら、しっちゃかめっちゃかで迷走続きの10年を過ごしてしまい、正直20代では何も形に残るものを作り上げることができませんでした。しかし、この迷走と怠惰と退屈の中でしか、生み出せない沢山の思索を積み上げることはできたと自負しています。続く次の10年は、ミームなりゲノムなり何か形に残るものを生み出すことを目標に走りたいと思います。願わくは十年後もこのブログが続いていて、それでいて今日みたいな負け惜しみ全開の記事を書かずに済むことを。