脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『戦争の日本史7〜蒙古襲来』

http://blog.livedoor.jp/hisabisaniwarota/archives/52295800.html
ここまで無体な勉強しなけりゃ入れないような学校に行く意味は全くないと思います。


 先日先輩に誘われてねこ☆みみのライブに行ってまいりました。「『男の娘バンド』なのに何故ボーカルが女王様然とした女の子なんだ」とか、「何故誘った奴が来てないんだ」とか、「追っかけの女の子で一番好みだった子が普通にニューハーフだった」とか、「次の日仕事なんで10時終りは結構きつい」とか色々ツッコミたいところはありましたが、色物な外見に似合わぬハードなサウンドは実に私好み。身内の贔屓目抜きにしても実に素晴しいライブでした。たまにはインディーズバンドもいいもんです。


SRWZⅡ再世篇進捗

  • 3周目第19話「それぞれの戦場」アロウズと交戦中。トップエース:ゼロ@イカルガ。

蒙古襲来 (戦争の日本史7)

蒙古襲来 (戦争の日本史7)

花と散った遠き友が万世の桜華を咲かす身捨つるほどの未來のためと

文永・弘安の役
 鎌倉時代の2度に亘る元軍の襲来事件。蒙古襲来、元寇とも。
 日本との通交を意図したモンゴル皇帝フビライ*1は、1266国書を草し、日本に送った。'68国書が日本に到着したが、日本側は無視。その後何度も元・高麗の使者が来日したが、日本の姿勢は変わらなかった。'73高麗で反乱を起こしていた三別抄が鎮圧され、'74元の第一次日本遠征が決行された。これが文永の役である。'74.10高麗の合浦から32,000余の元・高麗軍が出発し、対馬壱岐を経て博多周辺に上陸。元軍が優勢で、日本軍は元軍の武器や戦法に戸惑い、博多や筥崎宮は戦火で焼失した。しかし、元側は自主撤退し、帰途に暴風の被害を受けた。文永の役で苦戦した鎌倉幕府は、'75九州の御家人博多湾を定期的に警備させる異国警固番役の制度を実施。'76博多湾沿岸に石築地(元寇防塁)を築造し、防備を固めた。更に高麗を攻撃する異国征伐も計画されたが、実施されなかった。元は'79南宋を滅亡させ、'81第二次日本遠征を決行した。元・高麗の東路軍42,000は'81.5合浦を出発し、対馬壱岐を襲い、博多を目指したが、防塁と日本軍に阻まれ、上陸できなかった。一方、旧南宋軍を主体とした江南軍10万は遅れて中国の慶元を出発し、平戸付近で東路軍と合流した。'81.7.30平戸から鷹島へ移動していた元軍を大暴風雨が襲い、元軍は壊滅的打撃を被った。その後、日本軍による残敵掃討戦が展開した。2回の蒙古襲来は失敗に終わったが、元は日本遠征の意志を撤回せず、日本側は異国警固番役を廃止することはできなかった。またこの蒙古襲来は、鎌倉時代の政治・社会・文化に大きな影響を与えた。(『岩波日本史辞典』より引用)

 元寇の背景と後世への影響を丁寧に解説した一冊。封建制にすら達しきっていない在地の武装領主の寄せ集めに過ぎない「日本軍」と、パクス・タタリカを現出し中世国家の完成型の一つとしての威容を備える元軍との対比が印象的。未曾有の国難に瀕して、寄せ集めの烏合の衆が右往左往しながらも「日本国」としての一体性を獲得していくさまは一個の物語としても優秀。高麗や三別抄などの朝鮮半島の事情や、東路軍・江南軍および大宰府鎮西探題などの現地組の苦闘に紙幅が割かれている関係上、大元帝国や鎌倉幕府などの上層部の思惑が少し見えづらいのが欠点といえば欠点でしょうか。その他にも、「文永の役は元軍の強行偵察に過ぎず撤退は既定路線だった」とか「弘安の役南宋征服完了に伴う失業対策含みの棄民政策の側面が大きかった」とか「海洋民族の日本対騎馬民族のモンゴルというパブリックイメージとは逆に、沿岸航海用の刳舟しか持たない日本軍に対して、宋の竜骨を備えた本格的外洋船を接収した元の海軍は圧倒的優位を誇っていた」とかの新たな歴史観の提示は非常に新鮮。例によって、多少歯応えはありますが、格闘するに値する魅力的な一冊だと思います。

いざ進まん時を越えて日出づる処生まれし者らよ知られざる想い遙か響く先人の声

 悪しき軍国主義の淵源としてぼろくそに貶されることの多い神風思想とそれを醸成するに至った元寇における鎌倉幕府と朝廷の奮戦。しかしながら、改めて見てみれば、素朴なパトリオティシズムに突き動かされて、なんとか祖国を郷土を守らんと戦う彼らの姿には心動かされざるをえません。羹に懲りて膾を吹くようになってしまった戦後の日本の思潮ですが、今一度「愛国心」や「郷土愛」とそれを護るために必要な犠牲と覚悟を考えてみる必要があるのではないでしょうか。来るべき来寇に際して都合よく神風が吹いてくれるとは限らないのですから。

禁書

禁書

帰って来た今日の一行知識

モンゴル軍の用いた「短弓」は世界的に見ればむしろ大きい部類
日本の長弓が気違いじみた大きさでそれと比べると短いってだけで、ほかの国の呼び方では「短い」のニュアンスは全く欠片もありません。日本人の恐竜的進化によるガラパゴス化は1000年も前からの伝統の様で。

*1:世祖。元朝初代皇帝。父トルイ、母ソルコクタニ=ベキ。兄モンケの下、中国方面軍司令官として活躍。モンケ死後のクリルタイと帝位継承戦争の勝利によりモンゴル帝国大ハーンに即位。大都に遷都し中国風国家大元帝国を樹立、南宋・高麗などを滅ぼし版図を拡大した。