脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

中日の歴代背番号0と谷川流と台記の男色について

痛いニュース(ノ∀`) : もやしもん実写ドラマに「笑い飯・西田」出演決定…他キャストも発表 - ライブドアブログ
無事本人出演。キャストを見る限り、のだめも狙える・・・のかな?


 遂に究極のダイエット法を発見。名づけて「メンドクサイダイエット」ご飯を食べるのを面倒くさいと思うようにするだけ。これならどんな意志薄弱な面倒くさがりにも可能。さあ特許のとり方でも調べようか。

SRWZ進捗

心のキミが消えた確かに憶えてるって言えるのかい?

中日+歴代背番号0

MEDICAL BODY - 脱積読宣言

中日ドラゴンズ
 日本のプロ野球球団でセントラル・リーグの球団の一つ。球団事務所は名古屋市中区栄、本拠地はナゴヤドーム名古屋市東区)。
 12球団で最もBクラスから遠ざかっているチームである(最後のBクラスは5位である2001年)。(wikipediaより修整引用)

歴代
 古くから何代も続いていること。また、その全ての代、または、それぞれの代。歴世。代々。歴葉。列世。(『日本国語大辞典 第二版』より引用)

背番号
 スポーツ選手のユニフォームの背中に識別のためにつける番号。数字さえ覚えておけば、選手名を見なくても誰なのかが分かる。また背番号は単なる数字でなく選手の象徴となり、しばしば思い入れの対象にもなりうる。
 背番号の文字には現代では、アラビア数字が使われるが、日本においては漢数字が使われた時代がある。競技によっては、特定の数字の使用を禁じるルールが採用される場合もある。
 団体競技の場合には、大抵のスポーツで背番号が与えられる。個人競技の場合には、ゴルフなど背番号とは無縁のものと、陸上競技などのように背番号(選手登録時に申告した番号または競技会主催者が用意したもの)が与えられるものがある。団体競技では、背番号により大まかなポジションが推定可能である場合がある。
 プロスポーツにおいては、名選手を称えるため、その選手の背番号を永久欠番として使用を控える場合がある。また、永久欠番までには至らなくても、そのチームにおいて名誉ある背番号であるとされる場合もある。(wikipediaより引用)

 広島の長嶋清幸に端を発する背番号0の伝統。中日におけるその系譜は藤王康晴(1988-'89)→種田仁('90-'91)→長嶋清幸('92)→神野純一('93-'97)→ショーゴー('98-2001)→栗山聡('02-'03)→高橋光信('04-'07)→金剛弘樹('08〜)と続いています。中日ファンではない私としては正直知ってるの種田と高橋光そして元祖背番号0の長嶋くらいしかいません。これで終わってしまってもあれなので、背番号0sの最高成績一覧を以下。

  • 打者試合数:107(種田1991)
  • 打数:298(種田1991)
  • 安打:81(種田1991)
  • 本塁打:5(種田1991・長嶋1992)
  • 打点:15(種田1991)
  • 盗塁:13(種田1991)
  • 打率:.296(高橋2004)
  • 投手試合数:12(金剛2008)
  • 投球回:12.2(金剛2008)
  • 勝利:0
  • セーブ:0
  • ホールド:1(金剛2008)
  • 勝率:記録なし
  • 奪三振:10(金剛2008)
  • 防御率:6.39(金剛2008)

 '91年の種田がダントツってゆーか他がひどいですね。

谷川流

うぇるかむUNKNOWN - 脱積読宣言

谷川流
昭和四十五(1970)年〜。日本のライトノベル作家・SF作家・漫画原作者兵庫県西宮市出身。関西学院大学法学部卒。
 大学卒業後、婦人服店の店長を経て、2003.3『電撃萌王』vol.05掲載『電撃!! イージス5 盾と羊と』にてデビュー。'03.6.7第8回スニーカー大賞受賞作『涼宮ハルヒの憂鬱』と電撃文庫刊『学校を出よう!1 Escape from The School』の同日発売で文庫デビュー。『涼宮ハルヒシリーズ』は580万部('09.6現在)を超える大ヒットとなっている。(wikipediaより引用)
受賞歴

 『涼宮ハルヒの憂鬱』で日本SF界とラノベ界に金字塔を打ち立てた谷川流氏。一時はエヴァの再来とすらまで讃えられた京アニによるアニメ版の大ヒットでこれからが正念場というところで突如の大スランプ。2007年4月二部作の前半『涼宮ハルヒの分裂』を上梓して以来、同年6月発売予定だった『涼宮ハルヒの驚愕』が謎の発売延期。以降小説家としての彼は音沙汰なし。一時は00年代を代表するとまでいわれたアニメ版も「エンドレスエイト」の大失態に象徴される大ゴケで、ハルヒブランドも風前の灯。
 しかし、続く劇場版『涼宮ハルヒの消失』は単館上映ながら興行収入5億に届こうかという大ヒット。そんな中飛び込んできたのは『ザ・スニーカー』6月号への「涼宮ハルヒの驚愕」の一部先行掲載の大ニュース。これは谷川流氏の復活の狼煙火と考えていいのでしょうか。今から楽しみです。

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

男色+頼長+台記

若き健児の血は沸きて - 脱積読宣言

男色
 衆道・若道・若衆道とも。男性の同性愛嗜好のこと。院政期の藤原頼長が日記『台記』に記したのを始めとして、中世以来僧侶や武士の間で半ば公然の風俗として存在した。江戸時代になると女色と共に「色道二つ」と呼ばれ、その作法が様式化された。武士の間では小姓制度などの主従関係や朋輩関係を通じて展開し、一般社会でも男性同士の深い契りの持つ精神性が推奨された。井原西鶴*1の『男色大鑑』はその諸相を活き活きと伝えている。若衆歌舞伎の発展に伴い、男色を売買する風俗も盛んになったが、武家社会に儒教道徳が広まるにつれて批判が強まり、公然とした男色風俗は次第に衰えた。(『岩波日本史辞典』より引用)

藤原頼長
 保安元(1120)〜保元元(1156)年。平安後期の公卿、学者。関白藤原忠実*2と藤原盛実*3の娘*4の子。兄忠通*5の養子。幼名:菖蒲若。宇治左大臣悪左府と称された。
 1131非参議従三位で公卿に列し、'32権中納言、'34権大納言と急速な昇進を遂げ、'36鳥羽院別当内大臣となる。時に弱冠17歳で、世人を驚かしめた。'49左大臣に昇る。天皇外戚として執政の地位を掌握することを目指し、養女多子*6(義兄徳大寺公能*7の子)を近衛天皇*8に入内させた。折しも兄忠通と対立関係に入っていた父忠実の寵愛により、'50氏長者となり、更に忠実の鳥羽法皇*9に対する推挙により、'51内覧の地位を得て、関白忠通の立場を凌いだ。'55近衛天皇を呪詛し死に至らしめたとの嫌疑により、鳥羽法皇の信任を失い失脚、宇治に籠居した。勢力巻き返しを図るべく、崇徳上皇*10と結び、源為義*11らの武士を誘って、'56.7.10兵を挙げたが戦いの中で負傷。奈良に逃れたが、その傷が元で没した。般若野に葬られる。没後の'77太政大臣位を贈られる。
 のちに、慈円*12が『愚管抄』の中で「日本第一大学生」と評した如く、諸事万端に通じた当代随一の学究の人物で、収集・読破した内外の書籍は膨大な数に上る。特に朝儀典礼に詳しく、その学識を諸儀礼の再興の為積極的に傾けた。また、学問を通じて、藤原通憲*13らの文人貴族・実務官人との交友関係を築いた。日記『台記』を遺し、その記事内容には、学識と、悪左府の名に相応しい激しい気性を示す逸話が豊富に収められている。院政期の政治史に一際異彩を放つ、個性的な人物である。(『朝日日本歴史人名事典』より引用)

台記
 『宇治左府記』・『宇槐記』・『槐記』とも。左大臣藤原頼長の日記。名称は大臣の唐名「三台」・「三槐」による。自筆原本は伝わらないが、1136-'55までが、写本・抄本・別記などで断続的に残存。頼長の死後、遺族の手を離れ、程なく貴族社会に流布・利用されていったようで、諸書に引用された逸文も多い。儀式・政務に詳しいばかりでなく、記手の強烈な個性を反映した記述は同時代の他の公家の日記と一線を画す特徴的な内容を持つ。鎌倉時代の古写本が宮内庁書陵部東京大学史料編纂所・内閣文庫に伝わる。『増補史料大成』に所収。(『日本史広辞典』より引用)

 英雄色を好むとはよく申しますが、「日本一の大学生」と謳われた悪左府頼長も例外ではなく奔放な私生活を送っていた模様です。彼が異彩を放つのはその性遍歴の記録の残り方。彼はあろうことかその愛の足跡を準公式文書たる日記に赤裸々に綴っているのです。それでは、その『台記』を見ながら彼の肉欲のほとばしりを観察してみましょう。
 彼のお相手は当時飛ぶ鳥を落とす勢いの院の近臣連中。有名所だと佐伯貞俊・藤原忠雅・藤原家明・藤原成親辺り。後期には源義賢なんかにも手を出しています。纏めればどうもガチムチガテン系のアニキとさしつさされつ*14するのがお好きだった様です。
 彼の恋愛で特徴的なのが、鳥羽院と一種の乱交グループを形成した点があります。流石に恐れ多くも玉体に手を触れる不敬は犯してないようですが、院のお下がりをもらったり逆に掘り出し物を献上したり、挙句には一緒に舞を見に行ってその舞人評で盛り上がり舞台が引けた後にその綺麗所と一夜を楽しんだり*15と活発な交流があった模様です。なお鳥羽引退後は同様のサロンを崇徳天皇とも作っており、多少不純な点を感じれなくも無いです。*16
 最後に一応彼の女性遍歴も。当時の貴族の常とて彼もバイセクシャルできちんと四人の妻妾*17と五人の子供*18を為しています。とは言え、飽くまで女性との関係は生殖に過ぎなかったようで、「男色は不浄」という夢を見た*19のでしぶしぶ遊女を買った*20なんてエピソードもあったりします。*21

台記 (1966年)

台記 (1966年)

もう忘れてたキミを探そう

 中日の歴代背番号0は誰だ?と問われても余程のマニアでもない限りすぐには答えられないように、世の中の有為転変はまっこと図りがたいものがあります。あれほどの名作をものにした谷川流氏も次の「驚愕」の出来次第ではあっさりと過去の人になってしまうでしょう。日本一の大学生とその才能を評された頼長ですら、その名を現代に伝えるのはその学才ではなく『台記』に赤裸々に残された男色の記録ゆえです。そんな彼らに比べれば、己の名を千載に残そうというのはおこがましい限りでしょうが、心意気としてはやはり「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」の志位はいつまでも持ち続けていたいものです。

帰ってきた今日の一行知識

麻雀のドラはドラゴンの略。
アメリカからの逆輸入用語の模様。麻雀の成立には結構アメリカが噛んでるんですね。

*1:代表作:『好色一代男』・『日本永代蔵』・『世間胸算用』(浮世草子)他。

*2:関白。従一位。父師通。母藤原全子。父の急死により史上最年少で摂政就任。白河法皇との対立で摂関家の勢力を後退させる。一度は氏長者を譲った嫡男の忠通を義絶し、次男の頼長を擁立し対立。保元の乱で頼長戦死後は失脚籠居。

*3:土佐守。

*4:藤原忠実室。子に頼長。

*5:関白。従一位。父忠実、母源師子。白河法皇との不和で逐われた父忠実の後を襲って関白襲名。白河上皇の死によって復権した忠実・頼長親子と対立。保元の乱での勝利により奪われていた氏長者の地位を奪還し、のちの五摂家の祖となった。

*6:近衛天皇皇后。父徳大寺公能、母御子左豪子、養父藤原頼長近衛天皇の皇后として入内するも、子を為さぬままに天皇は若死に、若年だった多子は再度二条天皇に入内させられることとなり、「二台の后」と呼ばれた。

*7:権大納言。父実能、母藤原顕能女。崇徳上皇蔵人頭として頭角を表すも、崇徳失脚に伴い不遇をかこつ。娘の忻子は後白河天皇に入内していた為に、保元の乱以後復権

*8:第76代天皇。諱は体仁。父鳥羽天皇、母美福門院。兄崇徳が父鳥羽の不興を買った為、後継者に擬せられるも夭折。その死は保元の乱の遠因となった。

*9:第74代天皇。諱は宗仁。父堀河天皇、母藤原苡子。祖父白河の後を継ぎ院政を実施。荘園整理を進め中世的所領制度の基礎を作った。後継者指名した近衛の夭折により、死後保元の乱を招いた。

*10:第75代天皇。諱は顕仁。父鳥羽天皇白河天皇とも)、母待賢門院。父鳥羽に「叔父子」と忌み嫌われ、嫡子ながらも治天の君継承から疎外。父の死後、頼長ら非鳥羽勢力と組んで後白河天皇保元の乱を争うも、敗北流罪。讃岐の地で王家覆滅を呪詛しつつ憤死。

*11:左衛門大尉。従五位下。父源義親、母高階基実女、養父源義忠。養父義忠の死により源氏長者となり、摂関家に臣従。子の為朝の乱行により解官され、氏長者も長子義朝に奪われる。復権を目指し、頼長らに従い保元の乱を戦うも敗死。

*12:天台座主。大僧正。父藤原忠通、母加賀局。兄九条兼実の影響力もあり、比叡山延暦寺で累進。4度天台座主を襲名。公武宥和に尽力した。学者・歌人としても著名。代表作:『愚管抄』。

*13:少納言正五位下。父藤原実兼、母源有房女、養父高階経敏。法名信西。当世無双の学識を誇るも不遇のまま出家。その後、後白河院政下で近臣として権勢を揮うも、それを憎まれ平治の乱で殺害。

*14:天養元年十二月六日条「或人来相互行濫吹」意味:ある人(藤原忠雅)が来て、お互いに攻めあった。

*15:久安三年九月十二日条「舞人之中、有容貌壮麗者、今日有其人乎、【法皇為人好美人故有此言】対曰所候也、【名公方】」(【】は割注)意味:舞人の中に見目麗しいものがいたが、今日はいないのか?と鳥羽法皇が訊いて来た(法皇は美形が好きなのでこうおっしゃったのだろう)ので、「いるようです」と答えた。(その者の名は公方という)。同十三日条「下宿所、召舞人公方、引入臥内」意味:宿所に戻ってから、舞人公方を呼び出して、ベッドを共にした。

*16:ここら辺のお話は五味文彦院政期の性と政治・武力」(『季刊文学』一九九五・一)に詳しいので参照

*17:徳大寺幸子、源師俊女、源信雅女、民部大夫為宗女

*18:兼長、師長、隆長、僧範長、女子某

*19:久安四年三月十九日条「夢明日可入堂、男犯猶以不浄」意味:「明日参詣するのに男と通じるのは大変不浄なことである」と言う夢を見た

*20:久安四年三月二十一日条「今夜密召江口遊女於舟中通之」意味:今夜密かに江口の遊女を呼び出して、舟の上で彼女を抱いた

*21:以上参考文献:神田龍身「男色家・藤原頼長の自己破綻〜『台記』の院政期」1996(森話社『王朝の性と身体〜逸脱する物語』所収)

王朝の性と身体―逸脱する物語 (叢書・文化学の越境)

王朝の性と身体―逸脱する物語 (叢書・文化学の越境)