脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『人物叢書 藤原忠実』

http://blog.livedoor.jp/video_news/archives/1798806.html
何度も「死ねばいいのに」と思ったほど憎い選手でしたが、やめるとなったらそれが愛情の裏返しだったのが分かる気がします。なんにせよ、お疲れ様。一息ついて落ち着いたら帰っておいで。


 約一か月に亘る浮かれ→傷心のコンボ、及びその間ずっとの体調不良から帰還してみれば、気付かぬうちに溜まりに溜まってた仕事がかなりえらいことに。なるほどこれが世にゆう「腑抜けてた」って奴かと感慨仕切り。さあ、どうやってばっくれ片づけてくれようか。


SRWZⅡ再世篇進捗

  • 3周目第46話「失われし聖王国」尽きぬ水瓶覚醒。トップエース:クロウ=ブルースト@リ・ブラスタB。

藤原忠実 (人物叢書)

藤原忠実 (人物叢書)

この身捧げて命投げだしわき目も振らずただひたすらに

藤原忠実
 承暦二(1078)〜応保二(1162)年。平安後期の官僚。関白藤原師通*1の長男、母は右大臣俊家*2の娘*3院号:知足院。通称:「富家殿」。法名:円理。
 1099父の没後、内覧・氏長者となり祖父藤原師実*4の養子となる。1100右大臣、'05関白となる。'07鳥羽天皇*5践祚に際し、白河法皇*6天皇の外祖父藤原公季*7を摂政にしようとしたが、院別当源俊明*8の助力で忠実は摂政となり、'12太政大臣、'13再び関白となる。'20娘泰子*9の入内問題で院と対立、内覧をとどめられ宇治に籠居。'29法皇の死後、鳥羽院政開始と共に政界に復帰、まもなく泰子入内を実現した。嫡子忠通*10が父を退けて関白になったのに不満を持ち忠通を義絶、次子頼長*11氏長者とし、請うて内覧となした。この間の消息は頼長の日記『台記』に詳しい。'40准三后の称号を得、引退、出家。保元の乱では頼長を立てて画策したが、頼長の敗死により知足院に籠居した。院政下に衰退した摂関家の権威回復を図り、所領荘園を集積、家領を確立した。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

 
 大河ドラマ平清盛』に便乗して、保元の乱の主役の一人藤原忠実公の伝記を紹介。この本、実は大学一回生の時の般教の授業の教科書でして、私が大学時代「優」を取った数少ない講義の一つとして印象に残っています。
 内容は忠実個人の伝記というより、祖父師実から息子の忠通に至るまでの院政期の藤原摂関家奮闘記の様相を呈しています。父師通の早逝に伴い、史上最年少で藤氏長者になるも、若輩が祟って関白宣下は受けれず内覧止まり、それでも何とか白河上皇に媚び諂いながらも藤原氏の権勢護持に汲々とするも、結局失脚。鳥羽法皇への代替わりで復権するも、今度は嫡男の忠通に押籠められかけて義絶。父子の骨肉の争いに発展し、結局遂に保元の乱に至るという苦難の日々は涙なくては語れません。敗残後は恥も外聞も振り捨てて忠通に「臣従」し、藤原家の家産の移譲を果たすなど、その「家」への執念は現代を生きる我らの想像を絶するものがあります。全体的に上級者に如何に取り入りながらも自身の勢力を伸ばせるかという、いわゆる小悪党的な強かさに満ちた方で、英雄豪傑的な活躍には乏しいですが、中間管理職の悲哀と処世術を学ぶにはいいテキストではないでしょうか。

騙してスカして横入り他人を踏み倒し蹴りをカマして

 最近自分に一番足りないのは執念ではなかろうかと思うことが多々あります。「なんとかなる、なるようになる」を座右にこの三十年漂泊してまいりましたが、そろそろ石に齧り付いても・・・の気概を持たねばヤバいような気がしてきました。もう少し、貪欲になるってのを今年度後半の目標にしたいと思いますので、みんな引かないでね。

愛(忠誠心)

愛(忠誠心)

帰って来た今日の一行知識

宇治市の学校にはお茶が出る蛇口がある
てっきり都市伝説かと。つーことは、香川県の蛇口からはうどんのツユが、和歌山と愛媛からはポンジュースが、ってのも案外本当なのかもしれませんね。地元民の皆さんタレコミよろしく。

*1:関白。従一位。父師実、母源麗子。堀河天皇の側近として白河院政に対抗するも主従共に早逝。

*2:藤原。正二位。父頼宗、母藤原伊周女。中御門流の祖。

*3:全子。准三宮。従一位。通称:一条殿

*4:関白。従一位。父頼通、母藤原祇子。養女賢子を白河帝に入内させ、白河院政の中核として活躍。

*5:第74代天皇。諱は宗仁。父堀河天皇、母藤原苡子。白河帝死後院政を布き、寄進地系荘園を乱立させた。嫡男の「叔父子」崇徳帝を疎んじ、後継者問題を残したまま病死。

*6:第72代天皇。諱は貞仁。父後三条天皇、母藤原茂子。諸源氏・受領層等の反藤原勢力を糾合し院政の基盤を確立。3代50年に亘り治天の君として君臨した。

*7:太政大臣従一位。父師輔、母康子内親王。準皇族ともいうべき血筋を武器に累進。藤原家の長老格として道長の治世を支えた。

*8:大納言。正二位。父隆国、母源経頼女。後三条天皇に寵愛され累進。後三条死後は後継者の白河帝の側近となり院近臣として権勢を揮った。

*9:高陽院。鳥羽帝皇后。父忠実、母源師子。

*10:関白。従一位。父忠実、母源師子。白河院の勘気に触れた父の後を襲い関白就任、氏長者となるも義絶され氏長者の座を弟頼長に奪われ、以後忠実・頼長親子との政争に明け暮れた。保元の乱で勝利を決定的なものにするも、藤原信頼との対立から後白河院の勘気を蒙り失脚。

*11:左大臣従一位。父忠実、母藤原盛実女。日本一の大学生とも称された鋭敏を父に愛され累進するも、その院政の論理を無視した政治姿勢を鳥羽帝に疎まれ失脚。鳥羽帝死後、保元の乱復権を図るも戦死。