脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

滝田洋二郎と麻生千賀子と徳川家康について

痛いニュース(ノ∀`) : 橋下知事、高校生相手にマジ反論。“自己責任”に女子高生号泣…私学助成削減めぐる意見交換会 - ライブドアブログ
全般的に大人気ないのを除けばいい政治家に大阪府民は出会えたのではないでしょうか。改めて私学に通わせてくれた両親に感謝。


 研修と纏め取りした公休がかぶった所為で、この一週間で一日しか職場に顔出してません。そろそろ仕事のやり方忘れそうです。


SRWZ進捗

  • 第51話「紅の道」クリア。トップエース:ランド=トラビス@ガンレオン。

あなたがあなたであるために

滝田洋二郎

闇を引き裂く稲妻が 俺の叫びだ雄たけびだ - 脱積読宣言

滝田洋二郎
 昭和三十(1955)年〜。富山県西砺波郡福岡町出身。
 酒屋を営む両親の次男。兄と弟が一人ずついる。1974富山県高岡商業高校卒業後に上京し、'75知人の紹介で向井寛*1が主宰する獅子プロダクションに入社、ピンク映画の助監督となる。向井の他山本晋也*2・稲尾実*3・梅沢薫*4らの作品についたのち、'81.8獅子プロ製作の『痴漢女教師』で監督デビューする。以後、新東宝の定番コメディ「痴漢電車」シリーズを中心に、ピンク映画を多数演出。高木功*5脚本との名コンビで、独特の奇想天外な発想のコメディを多数発表した。その一方で『連続暴姦』('83)、『真昼の切り裂き魔』('84)と続いたシリアスものでもセンスを発揮。この2作でズームアップ映画祭の作品賞・監督賞を連続受賞している。『痴漢保健室』('84)からは、にっかつ買い取り作品も手掛けるようになり、'85獅子プロ退社、フリーとなった。
 この頃すでに「ピンク映画に滝田あり」と、広く映画ファンの注目を集める存在となっていたが、内田裕也*6脚本・主演『コミック雑誌なんかいらない!』('85)の監督に抜擢されたことで、一躍メジャーシーンに名を轟かせることとなった。『タイム・アバンチュール/絶頂5秒前』('86)を最後のポルノ作品として、『愛しのハーフ・ムーン』('87)以降一般映画を連作することとなる。
 '88フジテレビが低予算で製作する「シネ・スイッチ」路線の第1弾作品『木村家の人びと』を監督。単館での興行ながらスマッシュ・ヒットも記録した。いよいよその才能を広く世に知らしめた滝田は、この時の脚本家一色伸幸*7とコンビを組んで、以後『病院に行こう』('90)、『病は気から・病院へ行こう2』('92)、『僕らはみんな生きている』('93)、『熱帯楽園倶楽部』('94)と快作コメディを連発する。CM演出も多数。'87結婚。二女あり。(『日本映画人名事典 監督篇』より引用)

 『陰陽師』や『壬生義士伝』のお陰で、時代劇方面での評価の高い滝田洋二郎氏ですが、個人的には『病院に行こう』のような現代コメディーの方が好きです。ピンク映画出身だけあって、頭使わないでも笑えるギャグと即物的でじめっとした古き良きエロスがたまりません。以上、あんまり氏の作品見てないので、深入りは避けます。『おくりびと』がレンタル落ちする日楽しみにしてます。

壬生義士伝 [DVD]

壬生義士伝 [DVD]

麻生千賀子

おまえが消えて喜ぶ者に お前のオールを任せるな - 脱積読宣言

麻生千賀子
 昭和二十五(1950)年〜。麻生太郎*8総理大臣夫人。鈴木善幸*9の三女。

 我らが麻生閣下夫人。地味で存在感の薄い両親に似たか、あまりマスコミへの露出も見かけない良妻賢母の鑑(多分)。祇園の芸者衆全員の顔と名前が一致するとすら言われる太郎氏の夜遊び三昧を温かく見守るあたり、古き良き大和撫子の匂いがします。
 そんな二人の馴れ初めは赤十字の慈善会。四十を超えても身を固める気配もない放蕩息子を心配した田中六助氏の手引きで顔を合わせたのが最初のようです。流石の太郎氏も宏池会の大先輩の紹介を無碍に断る訳にも行かず大人しく年貢を納めました。因みに当時千賀子さんは33歳。「良家」のお嬢様にしては非常に遅い嫁入りです。こんなに婚期が遅れた理由は単純、成り上がり者の習性で娘をなんとしても歴史ある名家に嫁がそうと長々と画策した為です。まあ、結果ファーストレディになれたのだから、その努力も報われたと言ってもいいのではないでしょうか。

太郎さんの秘密 明解「麻生太郎」の基礎知識

太郎さんの秘密 明解「麻生太郎」の基礎知識

徳川家康+肖像

永遠のために君のために - 脱積読宣言

徳川家康
 天文十一(1542)〜元和二(1616)年。江戸幕府の初代将軍。三河国岡崎城松平広忠*10の長男、母は刈谷城主水野忠政*11の娘於大(伝通院)*12三河国岡崎出身。幼名竹千代、のち元信・元康、院号は安国院、諡号東照大権現
 1547尾張国織田信秀*13、次いで駿河国今川義元*14の下で人質となる。'57今川氏の重臣関口義弘*15の娘(築山殿)*16を妻とする。'60桶狭間の戦いで義元が戦死してから岡崎に帰り今川氏を離れる。'62織田信長*17と結び、'63.9-'64.3の三河一向一揆を鎮圧し、その勢力範囲を着々と拡大。本多作左衛門*18・高力左近*19・天野三郎兵衛*20らがこれを助けた。'68武田信玄*21との間に大井川を境に駿遠分割の議が出、家康は遠江を占領した。この頃勅許により松平を徳川氏と改める。'70居城を浜松に移し、信長の要請により援軍を送り、'70.4越前国朝倉義景*22を、'70.6近江国浅井長政*23姉川で破る。'72信玄と浜松城の北、三方ヶ原で交戦し大敗する。'73信玄が没すると信長と共に'75信玄の子勝頼*24長篠城外の設楽原で破り、'82.3信長と連合して甲州に入り勝頼を自殺せしめた。'82本能寺の変で信長が没した後、甲斐国を抑えて豊臣秀吉*25と対立していたが、'86和睦し、以後秀吉の全国統一に協力した。'90北条氏を小田原に攻めこれを滅ぼし、その功により関八州を与えられ武蔵国に入り、江戸を居城とした。秀吉の死後、1600関ヶ原の戦いで宇喜多・島津・長宗我部・石田・小西らの西軍を破り対抗勢力の一掃に成功。'03征夷大将軍に任じられたが、'05将軍職を子の秀忠*26に譲り大御所と呼ばれた。引退後は駿府に住した。'14-'15大坂の役で豊臣氏を滅ぼし天下統一に成功した。'16.3太政大臣となり、'16.4.14没した。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』より引用)

肖像
1似る。
2似すがた。人の顔や姿などを写した絵、または彫刻。肖象。
(『大漢語林』より引用)

 最初は近世の創造者徳川家康という日本史の大巨人の自分なり肖像を描こうかとも思ったのですが、そんな元気も時間もなかったので、徳川家康を描いた肖像画について解説。徳川家康の人物像と人生について知りたい人は最近完結したこれでも読んでみて下さい。「やる夫」シリーズはどれも非常にとっつきやすく分かりやすく纏められてるので大好きです。

 さて徳川家康の肖像で一番知られているのは↓でしょう。

これは現在対馬の万松院に保存されているもので、衣冠束帯の盛装した姿が印象的な一品です。制作時期は不明ながらも、南光坊天海の賛が加えられている辺り、恐らく家康死後秀忠の時代に追悼の為に書かれたものではなかろうかと推定されます。作者は『津島紀事』によると狩野探幽で、何故対馬にあるかは不明とのこと。

 次に有名なのは↓でしょうか。

 「三方原戦役像」、通称「しかめ像」。家康が三方が原の戦いで武田信玄に小便どころか糞までちびるほどの大敗をくらった際、その屈辱を忘れぬようにと書かせたもの。徳川家康の話題が出るたび、品川祐が自慢げに薀蓄垂れ流してる奴です。現在は名古屋市徳川美術館所蔵。作者は不明。しかし、家康もこんな屈辱の絵姿が死後数百年も残り、語り継がれる羽目になるとは思ってもみなかったでしょう。うかつに出世なんかするもんじゃあありません。

徳川家康―組織者の肖像 (中公新書 (17))

徳川家康―組織者の肖像 (中公新書 (17))

忘れなさい微笑みなさいおやすみなさい

 最近はバブルの頃の軽薄な色男へのカウンターカルチャーか、滝田洋二郎の『壬生義士伝』で描かれる吉村貫太郎のような泥臭い男が人気のようです。しかし、私はやはり徳川家康より伊達政宗織田信長のような颯爽とした男伊達の方に魅力を感じます。かっこ悪いがかっこいいというロジックも分かりますが、不細工な男の肖像を色々理屈並べて美化するのにはもうそろそろ疲れました。ひねくれずに素直にカッコいいことをカッコいいと言ってはいけないのでしょうか。その伝で行くと、次の衆院選、自民民主のどっちを応援すべきかは分かりやすくなってきます。吉田を祖父に鈴木善幸の愛娘麻生千賀子を妻に持つ貴種麻生太郎と、ザ極悪政治家小沢一郎比べるだけ野暮ってもんです。前原といい小泉といいやっぱり政治家は風貌も大事ですね。どうせ担ぐなら見栄えのいい方をってのが人情です。日本も欧米の下らない文化ばかり真似ないで、もうちょっとダンディズムの導入に熱心になってほしいものです。以上自他共に認める冴えない男の無いものねだりでした。

夢の飛礫 [MAXI]

夢の飛礫 [MAXI]

http://video.google.com/videoplay?docid=-4965815988943361255

帰ってきた今日の一行知識

ピンクが性風俗の象徴の色なのは日本だけ
他国では飽くまでピンクは「女性」の象徴にとどまるようです。日本でこうなっているのは回春薬としての桃からの連想でしょうね。こういった文化を伝えるためにも政治的に正しいおとぎ話*27の全廃を。

*1:代表作:『地熱』、『Last Dance 離婚式』、『GOING WEST 西へ…』(監督)他。

*2:代表作:『狂い咲き』(監督)、『トゥナイト!』(レポーター)、『ワイドスクランブル』(コメンテーター)他。

*3:代表作:『色くらべ 色布団』、『極道物語 花町一家四代目 竹田知佳』、『痴漢電車 途中下車』(監督)他。

*4:代表作:『十代の呻吟』、『新妻ハードONANIE』、『暴行地帯』(監督)他。

*5:代表作:『コミック雑誌なんかいらない!』(内田裕也共作)・『痴漢女教師』(脚本)、『6000フィートの夏』(小説)他。

*6:代表作:「ひとりぼっちのジョニー」・「アニー FOR A CHEEK TIME」(歌手)、YUYA(『魚からダイオキシン』)(俳優)他。

*7:ドリームビジョン所属。代表作:『私をスキーに連れてって』、『ショムニ』、『お受験』(脚本)他。

*8:第92代内閣総理大臣。父太賀吉、母(吉田)和子。サブカルチャーへの深い造詣と特亜への強硬姿勢によるネット世代の絶大な支持を背景に総理就任。「崩壊」目前の自民党リーマンショックに揺れる日本経済を救えるか。

*9:第70代内閣総理大臣。正二位大勲位菊花大綬章。大平総理の急死に伴い総理襲名。在任中にさしたる功績も無いが、「和の政治」を掲げ「三角大福」から中曽根政権への道筋をつけた。

*10:父清康、母青木守隆女。織田氏の圧迫に押され今川氏に臣従するも家臣団の分裂を招き、横死。松平氏の滅亡を招く。

*11:下野守。父清忠。旧名:妙茂。織田信秀の西三河進攻に協力。

*12:松平広忠久松俊勝。母於富。子に徳川家康松平康元・康俊・定勝、松平忠正夫人、松平康長夫人、松平家清夫人。

*13:尾張戦国大名三河守。父信定、母含笑院。息子に信長。通称:「尾張の虎」。尾張守護代の織田本家の奉行の地位から急速に勢力を拡大し、美濃の斎藤氏や三河の今川氏との軋轢を深め、後継争いの種を残したまま病死。

*14:駿河戦国大名。治部大輔。父氏親、母寿桂尼。今川仮名目録を制定。通称:「海道一の弓取り」。太原雪斎の補佐の下、領国経営と軍事両面に才覚を発揮し、東海道の覇権を確乎たるものとする。武田・後北条との三角同盟により後顧の憂いをなくし上洛を目指すも、その途上桶狭間の戦いにて敗死。

*15:親永。用宗城城主。義理の兄に今川義元

*16:瀬名。徳川家康正室。子に徳川信康、亀姫。信康の武田通謀疑惑に連座し処刑。通称「駿河御前」

*17:尾張美濃の戦国大名。右大臣。父信秀、母土田御前。第六天魔王を自称し、中世秩序を破壊。

*18:重次。父重正。三河三奉行が一。「日本一短い手紙」で有名。通称「鬼作左」

*19:清長。岩槻藩初代藩主。父安長。三河三奉行が一。通称「仏高力」。

*20:康景。興国寺藩々主。父景勝。三河三奉行が一。

*21:晴信。甲斐の戦国大名。大膳大夫。父信虎、母大井の方。通称「甲斐の虎」。父・子との血肉の争いを制し、甲信駿の大大名となる。足利義昭の檄に応じ、信長包囲網に参加するも、その上洛戦の途上で病死。

*22:越前国守護。左衛門督。父孝景、母高徳院。旧名:延景。京都の文化吸収に熱心なあまり、肝心の国力の減退を招き、織田氏の侵略を受け敗死。

*23:北近江の戦国大名備前守。父久政、母小野殿、妻お市の方。旧名:賢政。子に淀殿、小督の方、井頼。六角氏の支配化より脱し、織田信長との同盟により勢力拡大を図るも、朝倉氏との関係を断ち切りがたい家臣団に引きずられ、織田氏との抗争に発展し、妻と後世を騒がす三人娘を遺し敗死。

*24:甲斐の戦国大名。母諏訪御料人。旧姓:諏訪。通称:四郎。武田二十四将が一。信玄の急死により、子の信勝までの中継として家督を継ぐも、家中の人心を得られず武田氏の崩壊を招き、天目山の戦いにて敗死。

*25:関白。父弥右衛門、母大政所。旧姓:木下→羽柴。通称:藤吉郎、「豊太閤」。信長の後を襲い、中世から近世への橋渡し役を勤め、絢爛たる桃山文化を現出するも、最期は耄碌し、朝鮮侵略など無謀な暴走を続け、死後の徳川家康の台頭を許す。

*26:徳川第2代将軍。太政大臣。母宝台院。江戸幕府の諸制度の基礎を築く。

*27:ex.桃太郎は桃から生まれたのではなく、桃を食べて若返ったお爺さんお婆さんの愛の結晶。