脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

薔薇獄乙女の歌詞と鈴木さちと江戸時代の紀年法について

http://wiredvision.jp/news/200805/2008053021.html
猪突猛進傍若無人の猛牛の歩み。それでこそオトコノコの永遠の憧れ。


 毎日毎日革靴履きっ放しだと、なんだか外反母趾の気が出てきました。ハイヒール履いてる女の子ってすげーな。

金鵄輝く日本の輝く光身にうけていまこそ祝えこの朝

薔薇獄乙女+歌詞

時のパズル - 脱積読宣言
Over the Rainbow - 脱積読宣言

薔薇獄乙女
TBS系TVスペシャルアニメ『Rozen Maiden ouvertüre』オープニング主題歌
唄:ALI PROJECT、作詞:宝野アリカ*1、作編曲:片倉三起也*2
初出:『薔薇獄乙女』(2006.12.6)
収録:『薔薇獄乙女』、『薔薇架刑
歌詞はこちら

歌詞
1詩歌の言葉。歌う言葉。
2和歌で多く用いる言葉。
3歌うように節付けされた言葉。歌謡曲の文句。
(『大漢語林』より引用)

 一昨年のクリスマスに放映されたスペシャルアニメ『ローゼンメイデンオーベルテューレ』の主題歌。「主人公」水銀燈の心情を謳った名曲。ジャンクたる自分へのコンプレックスと狂気とすら呼びたくなるほどのローゼンへの倒錯した愛情。歌詞としてではなく一篇の詩としても非常によい出来なのではないでしょうか。耽美な狂気を描かせたら宝のアリカ嬢に勝るはありません。

薔薇獄乙女(期間限定生産)(DVD付)

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鈴木善幸+妻

CHA-LA HEAD-CHA-LA - 脱積読宣言

鈴木善幸
 明治四十四(1911)〜平成十六(2004)年。戦後の政治家。岩手県下閉伊郡出身。水産講習所卒。全国漁業組合連合会主事、中央水産業会企画部次長、日本協同組合同盟中央委員などをつとめ水産業会に地歩を築き、戦後、岩手県から衆院議員に当選。社会党から社会革新党へ、更に自民党へ移った。この間、自治政務次官、1960第一次池田内閣の郵政相、第三次池田内閣の官房長官、'65第一次佐藤内閣の厚相、自民党総務会長を歴任。'72田中角栄内閣成立の際に田中-大平連合の橋渡しの役割を果たし、再び総務会長に起用された。'76福田内閣の農相、'80大平正芳*3急死後、首相(〜'82)。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』より引用。)

qi(一声・四声)
一、つま。夫の配偶者。
二、めあわす。嫁にやる。嫁がせる。
国、つま。料理の添え物。
(『大漢語林』より引用)

 余り知られてない鈴木善幸夫人は鈴木さち旧姓萩原。初代函館水産学校校長萩原茂の長女の彼女ですが、「家庭寮」と呼ばれる花嫁学校出身で、外にあっては沈黙を守る古き良き良妻賢母のお嬢様の典型です。アッキーナだなんだと「ファーストレディ」が大きくクローズアップされるようになったのはつい最近のことで、良くも悪くも夫を立て一切出しゃばらないその存在感の無さは、鈴木善幸の自叙伝にもほとんど姿をあらわさないくらい。恩師に押し付けられた結婚というさち夫人の自嘲じみた述懐があまり冗談に聞こえません。

紀年法+江戸時代

優しい悲劇 - 脱積読宣言

紀年法
 歴史上の一定の年からの年数を数える方法。基準の年の設定、年数の数え方により以下のような方法がある。①十干と十二支の組み合わせによる干支紀年法、②主権者の即位の年を基準とする即位紀年法、③政治的あるいは宗教上の特定の年を以って紀元とするもの、④年号によるもの。日本では5世紀後半に①の干支年が用いられていたことが稲荷山古墳鉄剣銘の「辛亥年」によって確認される。また同じワカタケル大王(雄略天皇*4の時代の江田船山古墳大刀銘に見える「治天下…大王世」*5の冒頭表現も、年数は記していないが②の即位紀年法の前蹤ともいえる。大宝以前の同時代史料は総て干支年を用い、古事記天皇の没年を干支で記す。日本書紀神武天皇*6即位以前に干支年を用いるが、それ以後は各天皇の即位年数を記す。以上の①②の紀年法の延長上に中国の制をうけて用いられたのが④の年号である。年号が連続して用いられるのは大宝以後であり、大宝・養老律令の規定により、公文書には年号を記すこととなった。(『岩波日本史辞典』より引用)

江戸時代
 1603徳川家康*7征夷大将軍に任じられて以降、1867第15代徳川慶喜*8大政奉還するまでの265年間、もしくは1600関が原の戦い以降1868王政復古までの269年間を指す。この間中央権力である幕府が江戸に置かれたことにより江戸時代と呼ばれ、また幕府を掌握した徳川氏に因んで徳川時代とも称される。禁中並公家諸法度や寺院法度によって朝廷・公家・寺社に統制を加え、将軍と大名の主従関係を軸に幕府と藩による武家政治が展開された。外交面では、当初積極的な善隣外交を推進したが、キリシタン禁制と貿易・海外情報の独占を意図して鎖国政策が1854開国まで採られた。社会体制は、武士を支配身分とし百姓・町人を被支配身分とする身分制社会であった。経済面では江戸・大坂・京都の三都を核とした全国市場が形成され、活発な商業活動が見られた。こうした動きと対応して西廻り・東廻りの海運や、五街道などの陸上交通網も発達した。文化面では、上方中心の元禄文化、江戸中心の化政文化が都市を中心に花開いた。(『岩波日本史辞典』より引用)

 紀年法と言っても耳なじみの無い言葉で、分かりづらいでしょうから、上記の辞書的説明を現代に当てはめて説明。
 まず①の干支紀年法は文字通り「子丑寅卯辰巳…」の干支。現在では十干の方は殆ど使われず、十二支オンリーになってしまっています。今年をこれで表すと「戊子」もしくは「ちのえね」の年。
 ②の即位紀年法は最近では流石に余り見かけなくなりましたが、強権的な独裁君主や古代祭祀王などカリスマ制を必要とする王者が良く使っていますね。日本でも大宝以前はこれで年を数えています。因みに中世中国や現代日本元号は形式上は後述の元号紀年法ですが、実質は一世一元で固定されているので、実質的にはこちらタイプになります。今年を無理やり表せば、「平成二十年」もしくは「福田二年」。
 ③の紀元紀年法は現在一番ポピュラーな西暦や昔懐かしの皇紀が当てはまります。今年を表せばそれぞれ「西暦2008年」「皇紀2668年」。
 ④の元号紀年法も文字通り説明不要の元号。今年は「平成二十年」。小渕官房長官がこの元号を掲げてからもう20年になるんですね。昭和は遠くになりにけり。


 さて本題。江戸時代の紀年法ですが、結論から言えば、干支紀年法元号紀年法の複合。具体例で言えば「寛保三亥年」(1743)や「享保六年丑」(1721)など。元号の致命的欠陥たる改元またぎの年数計算の難しさを干支で補っています。なお本来この目的で使うには十二支だけでなく、きちんと十干十二支で数えた方が利便性が高く*9、実際戦国期までは「大永五乙酉年」(1525)のような紀年法が用いられてますが、江戸の頃には面倒臭くなったか現在と同じように十二支だけの用例が定着*10しています。
 なお、もう一つの元号のほうですが、500年強に亙る心の底からややこしい公武の権力争いの綱引きの結果、江戸時代には幕府がほぼ制定権を手中におさめてます。ここら辺掘り下げれば何処まででも深くなりますが、筆者にそんな知識も根性も無いので省略。

「日本」とは何か (講談社現代新書)

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荒ぶ世界に唯一つゆるがぬ御代に生立ちし感謝は清き火と燃えて

 結婚しないしようとしない男が増えている。と火のないところに烽火を上げるのが仕事のマスコミの皆さんは喚きたてますが、世を見渡せば、鈴木善幸の奥さんのような古式ゆかしい良妻賢母はもはや絶滅危惧種で、「夫はいらんが家政婦が欲しい」とのたまう独立心旺盛な女傑や「今日は○○君とあってからX回目の記念日はぁと」と独自の紀年法を打ち立てんばかりのスイーツに薔薇獄乙女の歌詞を地で行く地雷女と中々に難儀な皆さんばかりで、妻に迎えるにはどうしても二の足を踏んでしまいます。個人的には江戸時代のかかあ天下こそが日本人の理想の結婚生活だと思うんですが、これでは頑張って結婚資金を溜めようなんて気もおきません。世の識者の皆さんも男にばかり少子化の責任を押し付けず女性陣にも猛省を促して欲しいもんです。
 以上非モテの女性恐怖症の負け犬の遠吠えでした。

「NHK 國民歌謡?われらのうた?國民合唱」を歌う

「NHK 國民歌謡?われらのうた?國民合唱」を歌う

*1:ALI PROJECT作詞・ボーカル担当。代表作:「月のことば」「さくら咲いたよ」(作詞)、「少女貴族」(デザイン・プロデュース)他。

*2:ALI PROJECT作編曲・キーボード担当。代表作:「おとめの反乱」「螺旋のプロローグ」(作曲)、『怪物王女』(音楽)他。

*3:第68・69代内閣総理大臣。正二位大勲位。父利吉、妻志げ子。「三角大福」が一。血で血を洗う派内抗争の果て宏池会を継承、福田赳夫との死闘の果て組閣するも、ハプニング解散後の総選挙中に急死。

*4:第21代天皇。諱は大泊瀬幼武尊。父允恭天皇、母忍坂大中姫命。「倭の五王」が一。通称:「大悪天皇」。武力を以って国内を統一、新羅遠征を行う。

*5:「台天下獲【三字欠】鹵大王世…」意味:天下を治めておられる雄略天皇の御世に…

*6:初代天皇。諱は狭野。父彦波激武鸕【茲鳥】草葺不合尊、母玉依姫命。日向から東征を行い国内を平定、日本の基礎を築く。

*7:徳川初代将軍。太政大臣。父松平広忠、母於大の方。旧名:元信・元康。通称:「海道一の弓取り」。織豊政権の基本路線を継承し、江戸幕府を設立。近世の扉を開く。

*8:内大臣。公爵。父水戸斉昭、母吉子女王、養父一橋昌丸→徳川家茂。権現様と再来とさえ称えられ、末期の徳川幕府の再興を託されるも、時勢には抗えず大政を奉還。

*9:十二支では12年で一巡するが十干十二支だと60年まで重複なく遡れる。

*10:大福帳のような長年保管されて、正確な年代把握が必要なものには、流石にきちんと十干も使用されてます。