脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

松戸市西端

【物理演算】難しいことはわからないがこのロンスカミクさんはすごい:ハムスター速報
日本はまだまだ職人の国です。溢れる才能の無駄遣いに乾杯。


 前の職場の源泉徴収票をどこにしまい込んだか忘れて休日返上で大捜索大会。何とか押入れの段ボールの奥底から発掘されましたが、とりあえず半年前の俺の馬鹿野郎。ふんだ、大掃除できたからいいもん。


競馬成績・・・R2収支-2020

  • 日経新春杯・・・本命タイセイトレイル-700
  • 京成杯・・・本命ヒュッゲ-200
  • 巌流島特別・・・本命メイショウキョウジ+40

DQⅪS進捗

  • 王の仕事代行完了。称号:著名な大金持ち。

風の言葉がとどいていますか

松戸市
 千葉県北西部の東葛地域に位置する人口約49万人の市。健康都市連合加盟都市。江戸時代には水戸街道の宿場町・松戸宿として栄え、徳川将軍家ゆかりの地としての歴史をもつ。千葉県内では市川市に次いで第4位の人口規模である。
 松戸は水戸街道の宿場町としての歴史をもつ。このため江戸や水戸との関わりが深く、松戸神社は徳川光圀*1水戸黄門)と縁があり、旧徳川家住宅松戸戸定邸は元水戸藩主の徳川昭武*2が明治時代に暮らしていた邸宅である。松戸には徳川将軍が鷹狩りをするために度々訪れていた記録もある。
 江戸川は古くから水運が盛んで船底の浅い高瀬舟が野菜を満載して、農村地域の河岸と江戸の日本橋の青物河岸を行き来していた。松戸にも河岸が置かれ農産物の集散地として賑わった。明治になると蒸気船が登場し内国通運*3日本橋を起点に、茨城県の古河や栃木県の小山を結ぶ定期航路を開設した。矢切の渡しでも有名である。
 通勤五方面作戦により複々線化を行った常磐線沿線に位置する松戸駅の西口に位置した旧宿場は、古くから商業拠点としてにぎわい、現在も集客力のある駅として松戸市中心市街地および市内随一繁華街を形成する単独商圏都市となっている。1960年代から大規模住宅団地が市内各地に造成され、住宅開発が進むと常磐線新京成線の鉄道駅周辺が商業施設などの集まる市街地として発展した。また、幹線道路の整備・拡幅に伴い、ロードサイド型店舗が沿線に立地しているほか、小金や馬橋には昔からの商店街も残っている。
 江戸川を挟んで東京都(葛飾区、江戸川区)に接し、東京都市圏(東京都区部)のベッドタウンとしての性質が強い。東京都特別区部への通勤率は37.3%*4。宅地化が進んだのは戦後であり、近年では上野東京ラインが開業した影響により、東京都心へのアクセス*5の良さや都市再開発が進み、全国共働き子育てしやすい街第1位を記録するなど、制度・施設が充実した街としてファミリー層を中心に支持を受けている。(wikipediaより修整引用)


 自分の住んでる街をよく知ろうのコーナー。という訳で、今回は我らが松戸市の西の果てまで行ってまいりました。場所は国道6号が江戸川を渡る新葛飾橋。ちーばくんでいうと上唇のあたりになるでしょうか。江戸川が大きく蛇行している関係上ここだけ大きく西側にボコッと飛び出しております。
 普段から職場や自宅から車で都心に出る際の一番渋滞スポットでイライラとしながら通ることの多いポイントですが、無目的に徒歩で散策してみると眼下に広がる広大な江戸川の河川敷と彼方に見える高層マンション群、そしてすぐ北側を併走するJR常磐線と実に風情溢れるロケーションでした。歩道の幅が狭い割に結構自転車通るのでボォっと景色眺めてると轢かれそうで怖いですけど。

花の願いがときめいていますか

 気づけば松戸市民になって早半年。のどかで静かで駅前だったら定食屋にも事欠かず比較的文化的施設(=本屋)が充実している実に住みやすい街なのですが、問題点がただ一つ。車社会に片足突っ込んでる割には交通インフラが劣悪。右折レーンがまともに整備されてなくてどこの交差点も大渋滞の温床ってのは流石にいただけません。松戸駅前経由の路線バスの時刻表が一切用をなしてないのは当初かなり頭を抱えました。地価高騰と成田闘争の残党で再開発が非常に困難なのは百も承知ですが、何とか改善を図ってもらいたいものです。それさえ叶えば今まで以上の発展も夢じゃないと思うけどなあ。


松戸市民の歌「美しい時間の中で」 桃音モモ【UTAUカバー】

帰ってきた今日の一行知識

松戸市江戸川区は隣接している

柳原水閘のあたりでホンの数十メートルだけ接してるんですね。最初ゼンリンの地図で発見した時は地味に驚きました。

*1:水戸藩第2代藩主。権中納言。父徳川頼房、母久昌院。旧名:光国。『大日本史』を編纂するなどし水戸学を基礎を築く。藩主就任後は領内に善政を布き、天下の副将軍として将軍綱吉らの暴走を掣肘。その声望は高く後世「水戸黄門」に擬せられた。

*2:水戸藩第11代藩主。左近衛権少将。父斉昭、母(万里小路)睦子。旧名:昭徳。徳川慶喜の名代としてパリ万国博覧会に出張中に明治維新となり、懲罰的に隠居させられた水戸藩主を後を襲う。箱館戦争などに功有り、版籍奉還により水戸藩知事となった。引退後は松戸に隠棲した。

*3:日本通運の前身

*4:平成22年国勢調査

*5:東京駅までは最短で約24分