トランプ大統領でおなじみ「Qアノン」について解説するで | 不思議.net
名前はよく聞いてましたが実態がこんなメタメタのグデグデだったとは。そら基地外の雑音扱いされるわ。
ハッピーバレンタイン!・・・ふんだ。
競馬成績・・・R3収支-5860
- 京都記念・・・本命ラヴズオンリーユー-190
- クイーンC・・・本命ククナ+140
- 共同通信杯・・・本命キングストンボーイ-300
- 大濠特別・・・本命オルダージュ+220
- 北九州短距離S・・・本命アンヴァル-100
- 洛陽S・・・本命アルジャンナ-100
けして平らな道ではなかったけれど確かに歩んで来た道だ
小山樋門
千葉県松戸市にある3連アーチ構造の煉瓦造水門である。1898坂川の逆流防止のため建設されたが、現在ではその役目を終えて坂川を渡る千葉県道5号松戸野田線の道路橋として利用されており、「レンガ橋」や「めがね橋」と呼ばれている。千葉県内に現存する煉瓦造りの水門でもっとも古いものである。
小山樋門は1898松戸市内を流れる坂川に、江戸川からの逆流防止のため建造されたレンガ作りの水門である。柳原水閘から松戸の市街地に向かい江戸川に並流する坂川を遡っていき、最も江戸川に接近するあたりに存在する。この樋門より目前には水戸藩最後の藩主で徳川慶喜*1の弟、徳川昭武*2の邸宅であった戸定邸や松戸市戸定歴史館のある丘が見える。1904の柳原水閘完成より6年古く、'08のレンガ橋の最古とされる東京の水元公園の大場川に現存する閘門より10年も古いものであり、通称、レンガ橋(小山レンガ橋)、めがね橋とも呼ばれているが樋門のため橋としての正式な名前はない。2016.11.14土木学会選奨土木遺産に登録された。河川改修の当初計画では、架け替えが予定されていた。取り壊し理由としては、大雨による洪水時に、幅が広い橋脚が水を堰き止めてしまうことが原因とされていた。しかし、1997坂川河川再生事業の中で橋の取り壊しが見直され、保存されることとなった。(wikipediaより修整引用)
今日も今日とてレッツ近くに行きたい。以前行った柳原水閘がとても良かったので、松戸に残る近代化遺産をという訳で松戸駅からほど近い小山樋門橋に行ってまいりました。うちに来る郵便物が局留めされる松戸郵便局がすぐ近く、松戸駅西口から6号に抜ける千葉県道5号松戸野田線にあるとあって、しょっちゅう通ってる場所なんですが、まさか下にこんな味わい深いレンガ橋があったなんて。近くには坂川に降りれる階段もあって、橋脚のすぐ近くまで接近することができて、そこから見る風景は首都圏とは思えないのどかな異世界を感じさせてくれます。水は流石に汚くて魚が泳いでないのがマイナスと言えばマイナスですが。なんにせよレンガ建築好きな方は是非一度お立ち寄りください。アクセスもしやすい穴場ですよ。
*1:徳川第15代将軍。内大臣。公爵。父水戸斉昭、母吉子女王、養父:一橋昌丸→徳川家茂。旧名:昭致。神君家康以来の英名を謳われ時期将軍に擬されるも将軍継嗣問題に敗北し、安政の大獄により失脚。桜田門外の変後復権し、将軍後見職として雄藩との橋渡し役を担うも、将軍就任後は幕政改革の実が上がらぬまま、大政奉還に至る。鳥羽伏見の戦いでの敗戦後新政府に帰順し、駿河で余生を送った。
*2:水戸藩第11代藩主。左近衛権少将。父斉昭、母(万里小路)睦子。旧名:昭徳。徳川慶喜の名代としてパリ万国博覧会に出張中に明治維新となり、懲罰的に隠居させられた水戸藩主の後を襲う。箱館戦争などに功有り、版籍奉還により水戸藩知事となった。引退後は松戸に隠棲した。