脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

お竹堂

【悲報】日本ハム球団長年に渡り札幌市に不満と不信感を抱いていた: なんじぇいスタジアム@なんJまとめ
けつまくられて困る相手をなぶるからだバカ。


 上司が明らかに心労から来る自律神経失調症でダウン。ひょっとしなくてもこれって俺の所為かしら。


今日の仮想通貨

競馬成績・・・H30収支-3090

DQⅧ進捗

  • 深紅の巨竜撃破。主人公のスキル称号:「英雄の心」

見上げる空に東京タワー赤く赤く燃えるよ

お竹堂
 お竹如来像と流し板をまつる。秋田県能代市出身の神成志保*1氏により、1966一堂が建立され、2017これを再建した。
 寛平年間、江戸大伝馬町の名主佐久間勘解由家の見習子お竹*2は。庄内(山形県)出身にして生まれつき慈しみの心が深く、朝夕の自分の食事を貧しい人に施し、自らは水盤の隅に網をおいて、洗い流しの飯が溜まったものを食料とした。信仰厚く常に念仏を怠らず、大往生をとげたという。
 この話をきいた五代将軍綱吉*3の母・桂昌院*4は、心を動かされ金襴の布に包まれた箱にお竹の流し板をおさめて、増上寺別院であった心光院に寄進し、その徳をたたえられた。(現地案内板より修整引用)


 前回の善徳寺に引き続いて、お竹さん由来の地を訪ねて今回向かったのは東麻布にある心光寺。最寄駅の赤羽橋駅は東京タワーの最寄駅でもあり、ビルの合間に見える東京タワーを眺めながら、「東京スカイツリーの偉容を見慣れると東京タワーってちんまいな」なんて考えながらも目的に到着。そこに待っていたのは、あにはからんや、東京タワーの直下にたたずむ品のいい寺院。真下から見上げる東京タワーは抜けるような青空を借景に何とも名状しがたい爽洌な色気を漂わせておりました。その感動たるや、写真嫌いの自分が、内から湧き出る衝動に突き動かされてついつい写メを撮ってしまうほど。東京の人がなぜあれほどまでに東京タワーに愛着を覚えているのかが初めて少しわかった気がします。

はじめからそれは無理だと予感してた

 肝心のお竹堂は新築ほやほやの初々しい佇まい。中に鎮座ましますお竹大日如来も福々しいおっかさんといった感じで好感度大。しかし『お湯も、プロペラも、頭蓋骨も、みんな神様だった! 〜ニッポン珍神見聞録〜』のお竹大日如来堂跡地兼新築予定地の聖地探訪のつもりで行ったんですが、無事新築なってしまっていた場合、これは私、聖地探訪に成功したと言ってしまっていいのかしらん。

帰って来た今日の一行知識

東京タワーに倒された怪獣がいる
ウルトラQ』のケムール人がそう。東京タワーから照射されたXチャンネル光波を浴びて昇天。ゴジラガメラモスラに、と数多の怪獣たちに蹂躙されてきた彼も、やられてばっかではなかったんですね。

*1:代表作:『わたしの酒亭・新宿「秋田」』(エッセイ)他。

*2:佐久間家奉公人。その熱心な奉公ぶりと厚い信仰心から、大日如来の化身であるとされ、「生き仏」として尊崇を集めた。

*3:徳川5代将軍。右大臣。父徳川家光、母桂昌院、養父徳川家綱。兄家綱が継嗣なく没した為、将軍に就任。当初は堀田正俊の輔弼の下、天和の治と讃えられる文治主義方針の善政を敷くも、正俊没後は、側用人柳沢吉保の擡頭、荻原重秀による貨幣改鋳に伴う経済的混乱、そして生類憐みの令などにより悪評が目立った。

*4:藤原光子。徳川家光側室。従一位。父北小路宗正、母鍋田氏。通称:お玉。子に徳川綱吉