脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

日本橋

【悲報】マスコミさん、熊本の場所がわからない:暇つぶしニュース
見てましたが安住アナがガチ切れしてましたね。「他意はありません。無能なだけです」ってやたら強調してたあたり、この人絶対にネットの論調気にしてるな。


 祝三連休の中日に休日出勤。誰だ2月は端境期で暇なんてデマ流した奴は。


競馬成績・・・R2収支-16890

DQⅪ進捗

  • エスト「騎士の誇りを取り戻せ」クリア。称号:アイテム殿下

お江戸日本橋七つ立ち初上り

日本橋
 東京都中央区日本橋川に架かる国道の橋。
 現在の橋梁は1911完成し、国の重要文化財である。また、日本の道路元標があり、日本の道路網の始点となっている。日本橋の名の由来について、江戸時代の『府内備考』で「此橋江戸の中央にして諸国よりの行程もここより定められるゝ故、日本橋の名あり」との記載が見られる。
 現在の橋は20代目に当たるとされる。'03市区改正計画により、幅6間以上の橋梁は鉄橋もしくは石橋を架設することに定められたため、木造だった以前の橋(1872築)に替わり、大都市東京にふさわしい新たな橋として1908着工、'11完成。石造二連アーチ橋で、橋の長さ49m、幅27m、設計は米本晋一*1。橋柱の銘板にある「日本橋」の揮毫は徳川慶喜*2のもの。大正天皇*3は、現在の石橋に架け替えられた2年後に当たる'13作とされる漢詩日本橋」の中で、「日本橋」の名は日本の道路の起点として名に恥じぬふさわしい風格を備えているという意味の橋を賞賛する詩を詠んでいる。
 路面電車(後の都電)を通すことが決まっていた路面はわずかにアーチを描き、橋脚と橋台は山口県産の名石、側面は真壁石、アーチ部分と道路の表面は稲田石を使っている。内部は、最も荷重の掛かる両端がコンクリートで、さほど荷重の掛からない中央部分が煉瓦。推定寿命は1000年程度とされる。
 装飾顧問は妻木頼黄*4、装飾制作は東京美術学校、青銅像の原型製作は渡辺長男*5が担当した。西洋的な基本デザインに、麒麟と獅子の青銅像や一里塚を表す松や榎木を取り入れた柱模様など、日本的なモチーフを加えた和洋折衷の装飾になっている。麒麟像には日本の道路の起点となる日本橋から飛び立つというイメージから翼が付けられ、奈良県手向山八幡宮狛犬やヨーロッパのライオン像などを参考にした獅子像は東京市の紋章を手にしている。
 周辺の企業や住民が、名橋「日本橋」保存会を組織して、橋の清掃などを行っている。(wikipediaより修整引用)

 自他ともに認める田舎者で都会&人混み嫌いの私ですが、なんの因果か現在の主な客先が新橋だったり麻布だったり・・・。何が言いたいかというと、あんまり忙しいので仕事サボって近所の名所旧跡で現実逃避してしまいましたのコーナー。
 今回は日本の景観保護の意識の低さで悪名高い、旧日本の中心地日本橋へやってまいりました。酷い酷いとあまりに有名なのでがっかり名所を期待?覚悟?してきましたが、あにはからんやそこにあったのは日本の誇る、和洋折衷と「過去と現代の共存」の清華。上空を渡る高速道路がつや消しだと評判でしたが、中央の柱を避ける共存の知恵と努力が逆に胸を打ちます。つーか、高速なくったって周りに高層ビル乱立してて借景もへったくれもあったもんじゃあなし。欄干を飾る彫刻も、天使の代わりの獅子頭、ドラゴンの代わりの麒麟、そしてガーゴイルの代わりの東京市章を抱いた狛犬*6と西洋建築のセオリーに何とか日本の意匠を盛り込もうとした努力の跡が見て取れて素直に感動。観光地としてのポテンシャルを存分に秘めた近代化遺産を堪能できました。みなさんも三越高島屋でのセレブなお買い物のついでにどうぞ。

行列揃えてあらわいさのさ

 ゆく川の水の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。日本文化の全てを言い表す簡潔にして十全なる一文だと思います。野蛮な毛唐の価値基準におもねることなく、もっとこういった日本の過去と現在の折り合いの結果の産物をもっと大事にするべきだと思います。


( 日本国 民謡 ) 合唱曲 お江戸日本橋

帰ってきた今日の一行知識

現在国宝のうち2件と重要文化財147件が所在不明

鑑定団で「行方知れずになってた幻の作品が発見」ってよく見ますが、美術の世界では結構日常茶飯事だったんですね。

*1:東京市所属技師。

*2:徳川第15代将軍。内大臣。公爵。父水戸斉昭、母吉子女王、養父:一橋昌丸→徳川家茂。旧名:昭致。神君家康以来の英名を謳われ時期将軍に擬されるも将軍継嗣問題に敗北し、安政の大獄により失脚。桜田門外の変復権し、将軍後見職として雄藩との橋渡し役を担うも、将軍就任後は幕政改革の実が上がらぬまま、大政奉還に至る。鳥羽伏見の戦いでの敗戦後新政府に帰順し、駿河で余生を送った。

*3:第123代天皇。諱は嘉仁。父明治天皇、母柳原愛子。父の死により即位するも、生来の病弱と精薄により、早くから子の裕仁親王の摂政を受ける。その治世では第一次世界大戦の勝利により列強の座を確実にし、大正デモクラシー大正ロマンが花開いた。

*4:勲二等瑞宝章。父頼功。代表作:旧横浜正金銀行本店・旧醸造試験場第一工場・旧山口県庁舎(設計)他。

*5:父要蔵。代表作:日蓮聖人銅像明治天皇騎馬像・菅原道真像(彫像)他。

*6:きちんと阿吽の口してたのがとってもプリチー