脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『小泉純一郎とは何者だったのか』

風俗嬢さん、キャリアを積み技術を身に付けても何故か年収が下がってしまう:キニ速
風俗産業を非難する意見で唯一納得がいったのはこれですね。一部の例外を除いて、経験を積むことがマイナスのインセンティブに働くせいで、「熟練工」になればなるほど給料が逓減するからキャリア形成によるライフステージの上昇が絶望的と。まあ若さの切り売りって意味ではスポーツ選手とかアイドルも全く同じ病理抱えてると思いますが。


 現場を任せた方が有能すぎて口出しも手出しもする隙間が無くてなんだかとっても寂しい件。ああもっと小姑みたくグチグチネチネチやりたかったのにw

もう独りで歩けないときの風が強すぎて

小泉純一郎
 昭和十七(1942)年~。日本の政治家。内閣総理大臣(第87・88・89代)、農林水産大臣(第37代)、外務大臣(第127代)、厚生大臣(第69・70・81代)、年金問題担当大臣(竹下改造内閣)、郵政大臣(第55代)、大蔵政務次官(第2次大平内閣)、衆議院大蔵委員長、衆議院議員(12期)、自由民主党総裁(第20代)などを歴任した。
 福田赳夫*1の秘書を経て、1972第33回衆議院議員総選挙で初当選し、以来12期連続当選。自由民主党では清和会(福田派、安倍派、三塚派森派)に所属した。また、山崎拓*2加藤紘一*3と「YKK」を結成し、経世会支配からの脱却や党の世代交代を訴え「グループ・新世紀」を旗揚げした。竹下政権にて厚生大臣として初入閣、宇野政権、橋本政権でも厚生大臣を務め、宮澤政権では郵政大臣を務めた。森喜朗*4の後任として自由民主党総裁に選出され、2001.4内閣総理大臣に就任した。内閣総理大臣の在任期間は1980日で、第二次世界大戦後の内閣総理大臣としては安倍晋三*5佐藤栄作*6吉田茂*7に次ぐ第4位。平成においては安倍晋三に次ぐ第2位の長期政権である。'09第45回衆議院議員総選挙には立候補せず、二男の進次郎*8を後継に指名し政界を引退した。引退後は奥田碩*9田中直毅*10らとシンクタンク「国際公共政策研究センター」を設立し、その顧問を務めた。公益財団法人日本尊厳死協会の顧問を務めている。 (wikipediaより修整引用)


 個人的に戸川猪佐武の次くらいに大好きな浅川博忠氏の小泉純一郎伝。小泉本人との親交も信頼も厚かった氏の筆になるその姿は、理想論と現実主義を併せ持ち、大目標の貫徹の為には変節や裏切りすらも厭わない英雄の姿。また「悪役」も多士済々で英雄譚としては完璧。問題はただ一つ、この時行われた無理な民営化や公共事業の拙速な削減などの過度な緊縮財政路線が現代日本の低迷の原因となっていること。稀代の英雄による快刀乱麻の大活躍の結果招かれる大惨事というなかなかに斬新な物語として現代アート的な酩酊感を楽しめる一冊となっています。昭和の残滓を残す平成の大政治陰謀劇を是非ご堪能あれ。昨今の小粒な小悪党どもとは一線を画す大スケールの争いは必見です。

傷つくことなんて慣れたはずだけど今は

 自民党をぶっ潰すと高らかに宣言し、拉致被害者を一部とはいえ帰国させ、靖国神社に参拝し、親中派を政権から駆逐したその姿は、世紀末の閉塞感で政治に半ば絶望しかけていた身としてはまごうことなき英雄でした。それがたった十数年でこうなっちゃうんだもんなあ諸行無常を感じます。

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*1:第67代内閣総理大臣。正二位大勲位。父善治。財務官僚として累進するも昭電疑獄に連座し下野。無所属議員として政治家に転身。後に自由党に入党し、岸の側近として頭角を顕す。党風刷新連盟を結成し池田と対立するも、続く佐藤内閣では厚遇され後継者の座を争い田中角栄と角逐。角福戦争には敗北するも三木おろしを主導し首相就任。任期満了に伴う総裁選では、福田ドクトリンや日中平和友好条約の締結などアジア外交での功績を掲げ、大福密約を反故にし再選を図るも敗北下野。以降も二階堂擁立構想などで暗躍し政界の長老としての存在感を保った。

*2:かねひで総合研究所名誉顧問。宮沢内閣建設大臣。父進。福岡県会議員を経て、中曽根の引きにより中央政界進出。YKKの一員として頭角を顕すも、加藤の乱連座し逼塞。盟友の小泉純一郎の首相戴冠に伴い幹事長に就任。ポスト小泉に擬せられるも愛人スキャンダルで失脚。以降も山崎派を率いハト派として活動するも大きな活躍のできぬまま石原伸晃禅譲引退。

*3:宮沢内閣官房長官正三位旭日大綬章。父精三。外務官僚として活躍したのち父の地盤を継いで政界進出。中曽根や宮沢に重用され累進。自社さ政権では三役を歴任し、「宏池会のプリンス」として次期首相に擬されるも、加藤の乱で失脚。秘書給与疑惑などで宏池会会長の座も失い逼塞。

*4:日本ラグビーフットボール協会名誉会長。第85・86代内閣総理大臣。父茂喜、母薫。早稲田雄弁会から今松治郎の秘書を経て政界進出。文教族として頭角を顕し、安倍派四天王に名を連ね、党三役を歴任し、小渕総理急死後「五人組」に擁立され首相就任。その不透明な戴冠経緯と放言癖から人気は低迷し、加藤の乱えひめ丸事故などにより人心は離反し任期満了に伴い退陣。下野後も派内から小泉・安倍・福田と総理を輩出し隠然たる実力を誇る。政界引退後もオリンピック実行委員長をも放言により辞任を余儀なくされた。

*5:第90・96-98代内閣総理大臣従一位大勲位。父晋太郎、母(岸)洋子。父晋太郎の秘書を経て政界進出。小泉純一郎に重用され北朝鮮拉致被害者帰国問題で頭角を顕し、麻垣康三のポスト小泉の争いを制し首相就任。郵政造反組復党問題や相次ぐ閣僚のスキャンダルにより人心は離反し健康問題を理由に下野。続く福田麻生政権の迷走と民主党政権への失望から求心力を取り戻し自民党総裁に再当選。政権奪還を成し遂げ首相に再登板。アメリカとの関係改善やアベノミクスにより民主党政権負の遺産を払拭し、モリカケ問題等を乗り越え長期政権を樹立するも、コロナ禍による心労からか健康問題により退陣。下野後も自民党保守派の旗頭として求心力を維持するも、統一教会との関係を疑われ暗殺。

*6:第61-63代内閣総理大臣従一位大勲位。父(岸)秀助、母茂世。鉄道省のちの運輸省の官僚として累進。吉田茂の推薦により政界進出。池田勇人と共に吉田学校の双璧としてその名を轟かし、池田裁定により総理就任。高度経済成長の陰でないがしろにされていた外交分野に辣腕を揮い、日韓基本条約批准や沖縄返還非核三原則宣言などを実現し、ノーベル平和賞に輝いた。

*7:第45・48-51代内閣総理大臣従一位大勲位。父竹内綱、養父吉田健三。親米派外務官僚として活躍するも、東条英機に睨まれ逼塞。戦後公職追放を免れ首相就任するも総選挙で日本社会党に敗れ下野。昭電疑獄により芦田内閣崩壊後民自党を率い再度首相就任。GHQと是々非々で角逐しつつサンフランシスコ講和条約を締結し再独立を達成。長期政権を樹立するも、造船疑獄やワンマン体制により人心は離反、不信任案可決を招き下野。

*8:自由民主党国会対策副委員長。第四次安倍第二次改造内閣環境大臣。父小泉純一郎、母(宮本)佳代子。父の政界引退に伴い地盤を引き継ぎ政界進出。父を彷彿とさせる雄弁とルックスで国民的人気を獲得し、戦後男性最年少で大臣となるも、実力が露呈し迷走中。

*9:日本経済団体連合会名誉会長。トヨタ自動車第3代社長。トヨタ自動車豊田章一郎に重用され累進。日米自動車協議での 日米貿易摩擦問題解決の功で社長就任。プリウスの開発など積極的な経営でトヨタの躍進を導き、経団連代表に就任。失われた十年からの再起を経済界から後押しした。

*10:国際公共政策研究センター理事長。代表作:『グローバル・エコノミー』・『埋没する国家』・『マネーが止まった』(著書)他。