脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『明治・大正の宰相2〜山県有朋と富国強兵のリーダー』

http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51490523.html

プレステ以外大概マイナーですな。次買うのはWiiXbox360か。


 入社からそろそろ一年。嬉し恥ずかし有休をとらせていただいたのはいいのですが、連休の予定がいつの間にかずらされて、見事な飛び石連休に。そうですよね。新人が連休だなんておこがましいですよね。


SRW AP進捗

どんな場面も投げ出さないぜ

山県有朋
 天保九(1838)〜大正十一(1922)年。明治大正期の陸軍軍人(元帥)・政治家。長門国阿武郡川島村出身。通称:小輔→狂介。
 松下村塾に学び、藩命によって京都・江戸・鹿児島等を巡り、各藩の尊攘派志士と交わった。1863奇兵隊の軍監となり、'64奇兵隊を率いて藩内の俗論党と戦い、更には第二次征長の役に際し幕軍と戦った。戊辰戦争に際しては北陸鎮撫総督兼会津征討越後国総督の参謀として転戦。維新後ヨーロッパに派遣され、帰国後、兵部少輔・同大輔・陸軍大輔となり、軍制の確立、徴兵令の制定などに当たった。'73陸軍卿となり、西南戦争には征討参軍となる。その後、大久保利通*1木戸孝允*2の死、板垣退助*3大隈重信*4らの失脚によって伊藤博文*5と共に明治政府の最高指導者となる。'82参謀本部長から現職のまま参事院議長に転じ、'83内務卿、'85内閣制度による最初の内相となり、'86農商務相を兼ね、この間、地方制度の制定を通じて内務官僚の支配権を確立した。'88第一次内閣を組織し、その後陸軍大将に進み、'93枢密院議長。'93ロシアに赴きロバノフ*6と日露協定を結ぶ。'94日清戦争に際しては第一軍司令官、大本営監軍兼陸相。'98元帥府に列せられ、第二次内閣を組織し、文官任用令改正。軍部大臣現役武官制を実現した。日露戦争には参謀総長となる。1907公爵。以後は表面に出ず、元老として政界を操縦した。大正期に入ると藩閥勢力に対する批判は厳しく、その絶対的な権力も揺るぎ始め、'21皇太子妃選定問題(宮中某重大事件)によって右翼方面からも攻撃を受け、失意の内に死んだ。終生政党を嫌悪し、官僚政治の保守に努めた典型的な藩閥政治家であった。(『コンサイス日本人名事典』より引用)

 鹿鳴館時代から第一次松方内閣崩壊まで。日清戦争前の日本が発展途上国だった時代のお話。汚職の海に、政変の嵐、ついでに先進国連中の理不尽な介入と、立派な「二等国」の苦悩を否が応にも堪能させられます。そりゃあこんなしっちゃかめっちゃかじゃあ、文化も人権も民主主義もあったもんじゃあありませんし、これぞという英雄の出番もありませんので、物語としては少しストレスが溜まる展開が続きます。
 しかし、そんな中でもやるべき仕事はきっちり果たすのが偉人の偉人たる所以。前巻から引き続いての活躍の伊藤博文が、単なる批判勢力で終わらない「政党政治」の樹立を目指して奔走すれば、今巻の主人公山県有朋は官僚制度を完成させ、来る20世紀の日本の躍進の基盤を築きます。
 全体的に迷走状態のいわゆる鬱展開の十年ですが、しゃがむのは大きく羽ばたく為の準備。来る日清日露の戦役での大日本帝国の栄光の半世紀への船出はもうすぐです。さあみなさんもご一緒にその歓喜の刻を堪能しましょう。

 

僕らの夢をセットオン セットオン

 伊藤さんちの博文さんに比べれば、非常に影の薄く人気のない元老中の元老山県有朋閣下。上述の通り官僚制度を完成させ、陸軍軍制整備にも大きく貢献した彼の功績は伊藤閣下に勝るとも劣るものではないでしょう。超然主義に徹し政党・共産主義を徹底的に弾圧した所為で、マスコミ・学者・政治家の風当たりが非常に強くなってしまうのはいかんともしがたいのですが、せめて官僚の皆さん位は自身の生みの親の顕彰活動したげてもいいんでないでしょうか。

Get over the Border!~JAM Project BEST COLLECTION VI~

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帰ってきた今日の一行知識

ノルマントン号沈没事件で日本人乗客は避難命令を無視して艦に残っていた。
クルーが避難する際、日本人乗客に幾ら手招きしても従わなかったとのこと。シャレにならない危機に直面すると現実逃避のフリーズしてしまうのは、日本人の悪い癖ですね。

*1:第1・3・5代内務卿。従一位勲一等旭日大綬章。父利世、母(皆吉)福。久光の寵を受け、討幕派の中心人物として活躍。維新後は「維新の三傑」の筆頭として新体制の確立に尽力するも、志半ばで紀尾井坂にて暗殺。

*2:第2代内務卿。正二位。父和田昌景、養父桂九郎兵衛。薩長連合の成立に功あり、高杉ら松蔭門下の高弟らの早死も伴い、長州の代表として新政府に参画。維新の三傑の一人として明治初年度の外交内政に活躍。西南戦争を前に内乱の続く日本の今後を憂いつつ病死。

*3:第一次大隈内閣内務大臣。伯爵。父乾栄六。土佐の武闘派の筆頭として維新回天に活躍。新政府にても当初は重職を占めるも、明治六年の政変に敗れて下野。以後は自由民権運動の旗手として活動。自由党を建党し後の政党政治の礎を築き、立憲政友会の創立を置き土産に政界引退。

*4:第8・17代内閣総理大臣。侯爵。父信保、母三井子。佐賀藩の代表都市として、新政府に参画するも、明治六年の政変にて下野。板垣と共に自由民権運動を展開するも、藩閥との妥協を重ね、隈板内閣の成立にこぎつけるも、内紛により瓦解。一旦政界を引退し、早稲田大学設立など教育者として活躍。第一次護憲運動により政界復帰後、山本の後を暫定内閣として襲うも、第一次世界大戦の勃発により期せずして長期内閣に。戦勝国となり、欧州の疲弊に乗じて、名実共に列強の仲間入りを果たす。

*5:第1・5・7・10代内閣総理大臣。公爵。父林十蔵、養父伊藤直右衛門。数々の渡欧経験を武器に、維新の三傑以後の明治政界をリード。憲法制定・内閣制度確立・日清戦争勝捷などの赫々たる功績により、維新の元勲の名声を欲しい儘にする。初代韓国統監となったのを逆恨みされ、ハルピンにて暗殺。

*6:Апексей Борисович Лобанов-Ростовский。各国公使を歴任し、外相就任。三国干渉や山県-ロバノフ協定などでロシアの極東権益拡大に尽力。