脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『駆逐艦入門~水雷戦の花形徹底研究』

痛いニュース(ノ∀`) : 元女子サッカー選手「男と同じ努力してるのに女子選手の賃金が低いのはおかしい!」 - ライブドアブログ
マイナースポーツの宿命ですね。駄々こねてないものねだりしてないで、女子プロレスや女子ゴルフみたいに独自の魅力を確立しないと。丁度アメリカにはランジェリーフットボールって先駆者が(ゲス顔)


 ここ数日の強風と気温上昇で、花粉症持ちの友人同僚たちが阿鼻叫喚の地獄絵図。そんな繊細なアレルギー症状とは無縁山出しの田舎者は高みの見物決め込んでたんですが、ここ数日なんだか目がかゆいのと鼻づまりが・・・。うん、これはきっと風邪がぶり返したんだ。そうに違いない。

矢を番え追い駈ける標的は逃がさない

駆逐艦
 多様な作戦任務につく重装備・高速の水上戦闘艦。当初は主力艦を護衛して敵の水雷艇を駆逐するための大型水雷艇として登場したが、まもなく水雷艇の代わりにそれ自体が敵艦隊への水雷襲撃を行うようになり、また潜水艦に対する攻撃や偵察・哨戒、船団護衛など、多岐にわたる任務に酷使される便利な艦種に成長していった。
 駆逐艦は、艦隊、護送船団、戦闘群の中で大型艦船を護衛し、近距離からの強力な攻撃からの防御を提供することを目的とした、高速、機動性、耐久性に優れた軍艦である。もともとは、敵の水雷艇から味方の艦船を護衛するための「超水雷艇」たる水雷艇駆逐艦TBD)として登場したもので、イギリス海軍が1892年度計画で建造した「ハヴォック」と「デアリング」が端緒となった。まもなく、敵の水雷艇と交戦するだけでなく自らも水雷襲撃を担うようになっていき、1904日露戦争の頃には、このTBDは「他の水雷艇を破壊するために設計された、大きくて、速くて、強力な武装を持った水雷艇」となっていた。1892以降、海軍では「駆逐艦」という言葉が「TBD」や「水雷艇駆逐艦」と互換的に使用されていたが、第一次世界大戦までにほぼ全ての海軍で「水雷艇駆逐艦」という言葉が一般的に単に「駆逐艦」と短縮されていた。
 第二次世界大戦以前の駆逐艦は、単独で海洋活動を遂行するには耐久性に乏しい小型艦艇で、戦艦を頂点とする軍艦のピラミッド型秩序においては露払い程度の役回りでしかなかった[8]。しかし戦艦にかわって航空母艦が主力艦として台頭すると、高速の空母に随伴できるような巡洋艦駆逐艦のみで機動部隊が編成されるようになり、駆逐艦の地位も向上した[8]。また戦後になって本格的にミサイルが登場すると、軍艦の戦闘能力は大きさに比例するという大艦巨砲主義の前提は崩れた[8]。潜水艦の脅威が深刻化して巡洋艦も対潜戦に従事するようになったこともあって、巡洋艦フリゲート駆逐艦との境界の不明瞭化が進み、単に、搭載する戦闘システムの性能や兵装の多寡による区別としての性格が強くなっていった。
 この結果、運用当事者と外部観測筋で種別が一致しない場合も生じており、例えば中国人民解放軍海軍の055型駆逐艦は、その大きさと武装のために、アメリカ海軍の一部のレポートでは巡洋艦と表現されている[9]。一方、カナダ、フランス、スペイン、オランダ、ドイツなどのNATO海軍の中には、共同開発された艦が国ごとに「フリゲート」や「駆逐艦」と異なる艦種呼称を付される場合や、呼称では「フリゲート」としつつ記号は「駆逐艦」として扱う場合もあり、これも混乱の原因となっている。(wikipediaより修整引用)


 忙しい時は安定安心の光人社。今回は前回読んだ潜水艦入門に引き続いて駆逐艦入門に挑戦。駆逐艦の歴史や各艦の特徴の解説から実際の活躍まで網羅した非常に手厚い入門書なのですが、百数十隻にも及ぶ駆逐艦群をそれぞれ紹介するにはいかに分厚いとはいえ、文庫一冊でどうにかできるものでなし。どうしても全体的に駆け足で消化不良観の残る一冊となってしまっています。気になった艦や戦いがあったらそれに特化した戦記を読んでみるってカタログ的な読み方が吉なんじゃないかなあと思いました、まる。

不本意な現状を変えるのは戦う覚悟だ

 最近海軍系の戦記もの読むたびこれ書いてる気がしますが、やっぱり艦これは偉大だなあと。あのゲームに出てきた艦娘たちのおかげで、先の大戦の膨大な量の艦船群の識別がかなり容易になっています。提督引退して早数年ですがアズレンに負けずいつまでもそのミームを繋いで欲しいものです。


www.youtube.com