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この件に関しましては立場は色々ありましょうが、自分は一方の当事者の相沢智子が『ビブリア古書堂の事件手帖』の脚本担当って知った時点で陣営を決めました。あいつらだけは許さん。
コロナ禍以来初の5日連続飲み会。40代がこれやるとどんなことになるのか身をもって味わえました。うん、下戸の家系なんだから自重しようよ自分。
華やかな舞台に彩られて天使のように踊る君を見つけた
ロック座
東京都台東区浅草二丁目10番12号にあるストリップ劇場。昭和二十二(1947)年8月15日創立。客席数129席。運営は東興業株式会社。現存するストリップ劇場では最大手にして最古である。全国に同名のストリップ劇場が存在していたが、当劇場の系列店がほとんどであった。そのため、当劇場も浅草ロック座と称している。
東宝の副社長であった秦豊吉*1にストリップショウの有望性を説かれた宇都宮の実業家・草野稲穂*2と、浅草六区にある映画館である三友館の支配人であった松倉宇七*3が、1947国華興業株式会社を設立し、秦を顧問に迎えて開館した。'48松倉が草野から経営の全般を引き継ぎ社長に就任し、東洋興業株式会社の経営となった。第二次世界大戦後の浅草では中心的な娯楽施設となり、特に浅草のストリップ興行は東洋興業と中映がしのぎを削って発展させた。しかしながら1960年代に入ると、東京の繁華街は新宿や渋谷へ移り、浅草の人通りは減少し始めた。'55年には約30人を数えた踊り子も、敬遠されて新人が入らなかったことから、'69年には5人にまで減った。また、関西発祥の猥雑なショーがストリップ興行の主流となり、興業の継続が難しくなったことから、東洋興業はストリップ興行からの撤退を決意し、浅草・新宿・池袋の各フランス座を閉館させた。'71ストリッパーの東八千代*4こと斎藤智恵子と歩興行の契約を結び、ロック座も事実上手放した。'72正式に斎藤に譲渡されている。以降は斎藤が設立した東興業が経営に当たり、斎藤が築いたロック座チェーンの旗艦劇場となった。'84改築のためにいったん閉館し、'85ビルを新築して営業を再開した。 (wikipediaより修整引用)
前述の国立新美術館へのお遣いまで都心で少し時間が空いたので格調高くストリップ鑑賞で小旅行を楽しむことに。開場30分前に到着の時点で既に劇場外まではみ出す長蛇の列に唖然。しかも昔ながらの小汚いおっちゃんや自分みたいなオタクだけでなく、気合の入った女性陣やカップルに小綺麗な若者も多かったのでこれまたびっくり。ホントに客層変わったなあとしみじみ。公演『浪』自体は前回見に行ったの『まつろわぬもの』と違う演出の方っぽかったのが少し残念ですが、それでも安心安定の出来栄えで非常に楽しみました。特に印象的だったのは第2景の花井しずく嬢。顔の表情だけで愛情・絶望・狂気とコロコロ移り変わる感情を表現しきってて感服。最高の一日を過ごさせてもらいました。周りに座った北関東弁丸出しのアンちゃんたちが切れたり注意したりするかしないか迷うギリギリの不快な騒ぎ方だったのだけは残念。クラブ的なノリで飲んで騒いで盛り上げようって思ってるだけで悪気はないのは伝わって来たんですが・・・。間口を広く取るとこういう異物も混じりこむから厄介ですね。
見上げる星空は願いを届けるには狭すぎる
10年前の上京以来ちょこちょこ通ってたのですが、改めてここ数年の無茶苦茶な客入りにはいい意味で開いた口がふさがりません。ド平日の昼間でほぼ大入り満員ってどないなこっちゃと。深く静かに広がりつつあるストリップブーム。女性や外国人も客層に取り込み今後どんな発展を見せてくれるのでしょうか。一ファンとして素直に楽しみです。
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*1:東京宝塚劇場第3代社長。父鐐次郎。ドイツ文学の翻訳で頭角を顕し、エロティック随筆で一世を風靡した。その高名を買われ東京宝塚劇場に転職すると、日劇ダンシングチームを育成するなどの功を挙げ累進。東宝本社の役員にまで上り詰めるも、敗戦時に公職追放。在野でも額縁ショーを発案し、ストリップショーの濫觴を浮かべるなどの才覚を見せ、東宝役員に復帰。代表作:『西部戦線異状なし』・『ファウスト』(翻訳)、『半処女』(小説)他。
*2:ロック座初代社長。浅草六区の映画館万世座の再建を託された際、秦豊吉の示唆によりストリップ 劇場に業種転換。日本のストリップの祖となった。
*3:ロック座第2代社長。共同経営者の草野の勇退によりロック座社長に就任。ストリップショーだけではなく演劇や演芸も併演し、数々の芸人や俳優を輩出するも、ピンク映画の全盛により社運は衰退。ストリッパーの東八千代に後を託し引退。
*4:斎藤智恵子。ロック座第3代社長。子に恒久。旅一座の座長に一目惚れし結婚。離婚後振付師としてストリップに関わったのが縁で踊り子転向。自身で地方の小劇場を購入するなど経営者としても頭角を顕し、事業を拡大。ロック座を買収後は、AV女優など若く美形の踊り子の採用方針で人気を博し、ロック座を一大ブランドに成長させた。