脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『鍋島閑叟~蘭癖・佐賀藩主の幕末』

【炎上】女「寿司屋で大将に殴られかけたので撮りました」→臨場感がすごいと話題に:アニゲー速報
こんな下品な女を連れて来るような客層を選んだ店が悪い。


 最近ユニクロタートルネックTシャツを愛用してるんですが、利用者のお爺ちゃんがが全く同じ服を来ているのに遭遇。うん、老若男女に愛されるいいブランドだ。

今夜も冷めた時間に身を委ね

鍋島閑叟
 文化十一(1814)~明治四('71)年。幕末・維新期の佐賀藩主。鍋島斉直*1の長男。幼名:貞丸、旧名:斉正、諱:直正。
 1830家督をつぎ、藩政改革に着手。食性改革、均田制の断行とともに'45国産方を設け殖産興業につとめた。また反射炉製造、大砲・小銃製造、洋式艦船購入など軍事力強化につとめた。'63公武合体を斡旋。維新後新政府の議定、軍防事務局輔、制度事務局輔を兼任、さらに上局議長、開拓使長官などを歴任。また大隈重信*2江藤新平*3副島種臣*4らを新政府に送り込んだ(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)


 個性豊かな幕末の偉人たちの中でも名声の割には事績とキャラクターが今一謎な鍋島閑叟の伝記に挑戦。読んだ感想はとりあえず、事実と文献の羅列に終始して全く読ませる気のない、悪い意味での昔の学者先生の典型的な文章。日本史テーマでここまで読むの苦痛だったの久しぶりな気がする。更に肝心の閑叟翁も個人の事績としては文久の改革の真っただ中の辺りに上京して全く空気を読まず「長崎の防衛返上して京都守護やらせろ」って一切空気読まない発言して周りを困惑とぶちぎれさせてぐらいであとは藩全体としての政策紹介にとどまっているので、伝記としての面白さも皆無。という訳で、多士済々で良くも悪くもエピソードや属性過多な維新の英傑連の中ではそら地味にもなるわって心から感じさせてくれる一冊でした。

抱き合って眠れる様な少しだけ安らぎが欲しいの

 藩主を筆頭に大隈も江藤も副島も維新時には活躍らしい活躍もしてないのに人材の豊富さだけで何故か薩長土肥の四天王に名を連ねる佐賀藩。活躍しまくりだったのに内紛と粛清の所為で人材が残らなかった水戸藩とは好対照です。そう考えるとやっぱり教育への資本投下は大事ですね。

Z-HARD

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*1:肥前佐賀藩第9代藩主。肥前守。父治茂、母福岡氏。旧名:直懿。父の死により家督継承、藩財政の改善に取り組むもフェートン号事件などにより挫折。放埓な後半生を送った。

*2:第8・17代内閣総理大臣。侯爵。父信保、母三井子。井上馨の推薦により新政府に参画、大隈財政などで頭角を顕し、維新の三傑亡き後の主導権を巡って伊藤博文と角逐するも明治十四年の政変で失脚。その後も立憲改進党を設立するなど積極的に活動し、第3次伊藤内閣崩壊後憲政党に擁立され総理に就任するも旧進歩党と旧自由党の対立を制御できぬまま共和演説事件により瓦解。下野後は文化人活動に専念していたが、シーメンス事件による第一次山本内閣崩壊後加藤高明らに擁立され再度首相就任。第一次世界大戦に勝利するも対華二十一か条の要求などの禍根を残した。退陣時に加藤高明 への禅譲を画策するも失敗し隠棲。

*3:初代司法卿。父胤光、母浅子。旧名:胤雄。尊攘派の一員として早くから活動。その識見を高く評価され新政府に参画し、三権分立の推進など司法制度の改革に尽力し 後世「近代日本司法制度の父」と呼ばれる功績を挙げるも、明治六年の政変で失脚。佐賀の乱を起こし逮捕処刑。

*4:第一次松方内閣内務大臣。伯爵。父枝吉種彰、母(木原)喜勢、養父副島利忠。旧名:龍種。弘道館の教諭として大隈重信らの後進を育て、新政府でも外務卿などの要職を歴任するも明治六年の政変で失脚。下野後も愛国公党を設立し民撰議院設立建白書の作成を主導するなど活躍した。