脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『京都守護職始末~旧会津藩老臣の手記 1』

【東京終わる】東京都で新たに201人のコロナ感染確認 ついに大台超え!! 終息しそうにねぇ | やらおん!
昨日一昨日の新規患者数前週比減で広がりつつあった楽観ムードに思いっきりの冷や水。こうなったらもう四十万人の死者は覚悟の上でノーガード戦法に突入しましょう(暴論)


 先週はもろ休日出勤だったので実にほぼ半月ぶりの休みな週末。この年になっての十数連勤はきつい。

私の髪に口づけをして「かわいいやつ」と私に言った

京都守護職
 幕末の幕府の職名。
 1862.閏8設置、'67廃止。役高5万石。ほぼ会津藩松平容保*1が任じられ、京都所司代大坂城代などの上にあって、近国大名の指揮権も持ち、京都・畿内の治安の維持にあたり、京都の政局に重きをなした。(『岩波日本史辞典』より引用)


 みんな大好き幕末の名敵役松平容保さんの奮闘記。第一巻目たる本巻は京都守護職設置から文久の改革を経て八月一八日の政変まで。京都守護職時代の容保に側近として仕えた会津藩山川浩の筆になる後年の回想録というだけあって、超一級品の二次史料となっております。一読の感想としては、長州藩って孝明天皇と仲悪かったんだなあとか、一橋慶喜って口だけの弱腰野郎って見られてたんだなあとか、薩摩というか久光が無茶苦茶頼りになる重鎮だったんだなあとか。まとめると、徳川慶喜が将軍就任してその裏で薩長同盟なんか結ばれた日には容保というか佐幕派にとっては完全に詰んでるとしか言いようがない情勢だったんだなあと。後知恵でどうしても頑迷固陋な佐幕派ってイメージになりがちですが、暴力革命に最後まで抗った気骨の保守派として容保を再評価するにはうってつけの一冊だと思います。

京都の町はそれほどいいのこの私の愛よりも

 といった具合に内容自体は非常に面白いんですが、いかんせん肝心の訳文が実に稚拙&中途半端。明治後期に書かれた本なんだからおとなしくそのまま原文刊行してよと、人後に落ちない擬古文フェチのわたくしは思うのでした。


なのにあなたは京都へゆくの 1971

帰ってきた今日の一行知識

当初京都守護職島津久光が拝命する予定だった

長州土佐両藩の厳重な抗議により撤回されたとのことですが、そっちの世界線も見てみたかったなあ

*1:会津藩第9代藩主。左近衛権中将。父義建、母千代、養父容敬。桜田門外の変の事後処理で頭角を顕し、京都守護職として松平春嶽らと共に文久の改革を主導。薩摩藩と提携し八月十八日の政変を起こし尊攘派を駆逐するも、薩長同盟などにより形勢は逆転。会津戦争に敗北し永蟄居となる。