脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『王政復古〜慶応三年十二月九日の政変』

痛いニュース(ノ∀`) : マツコが暴言 「AKBは東京オリンピック開会式に出ないで。世界に恥を晒さないで」 - ライブドアブログ
初音ミクを(小声)


 行政書士試験結果報告。落ちました。性根を据えてもう一年頑張るぞ。


艦これ進捗

  • 中部海域中部海域哨戒線攻略中。第一艦隊旗艦:北上改二。

SRWZⅢ時獄篇進捗

  • 3周目第39話「レア・イグラー」アルテア軍襲来。トップエース:オットー=ミタス@ネェル・アーガマ

王政復古―慶応3年12月9日の政変 (中公新書)

王政復古―慶応3年12月9日の政変 (中公新書)

大事なもの失くしてくようで

王政復古
 幕末、武力倒幕派天皇*1を擁して幕府政治を廃止し、天皇親政を形式とする新政府を成立させた事件、また、その事件で掲げられたイデオロギーをいう。
 近世にも尊王論があり、反幕的な王政復古論は尊攘派真木保臣*2らが唱えたが、なお観念的であった。大政奉還構想も王政復古といえなくはないが、徳川家と雄藩の連合政権の構想で、摂関制と徳川中心の政治を否定する側面は弱い。倒幕を目指す王政復古は薩摩藩西郷隆盛*3大久保利通*4長州藩木戸孝允*5らの武力討伐派と岩倉具視*6ら朝廷内の革新派が、幕府と摂関制を廃止し、天皇親政の形式による国家構想を出したことで成立した。1868.1.3早暁討幕派は薩・土・芸・尾・越の5藩で御所を固め、天皇が「王政復古の大号令」を発して、幕府と摂関の廃絶、総裁・議定・参与の三職の創設、神武創業への復古、開化政策の採用などを宣言した。さらに武力倒幕派は、'68.1.3夜小御所会議で徳川慶喜*7の辞官納地を決定して慶喜を追い詰め、鳥羽・伏見の戦いで幕府側軍を破り、この戦争後、諸外国にも王政復古が宣言された。(『岩波日本史辞典』より引用)

 ペリー来航から王政復古の大号令までの激動の日々を、佐幕派と尊皇派、すなわち一会桑政権と雄藩連合との抗争を軸に描いた力作。時々刻々と移り変わる各フェイズにおいて、各陣営の立場と思惑とパワーバランスを精緻な史料分析とともに丁寧に解説してくれているので、新書とは思えない読み応えがあります。個人的には、幕府内においては雄藩連合の、雄藩連合においては幕府の意見代表として振る舞うことを権力の源泉としていた一橋慶喜が、将軍となってしまってからは、無責任で野党的な発言が封じられ、見る間に自縄自縛に陥っていく姿が新鮮でした。やっぱ調整者気取ってるやつは責任者になってしまうともろいもんですね。

互換性のない日々だったね

 ちょっと油断すると龍馬と新撰組だけで語られてしまいがちな幕末史。ですが、本来龍馬も新撰組も脇役の中でもモブに近いレベルの方々。草莽の志士の再評価という気運は本来喜ばしいことなんでしょうが、ちょっと度が過ぎちゃあいませんかねぇ。王道の幕府及び雄藩連合、その本物の傑物達の偉業とがっぷり四つに組むことこそが歴史学の本道だと信じます。

Sail away

Sail away

帰って来た今日の一行知識

倒幕の密勅は岩倉具視の偽造
後の軍部もそうですが、尊皇を掲げる奴らはどいつもこいつも天皇陛下本人の意志なんか一切考えないから困る。

*1:第122代天皇。諱は睦仁。父孝明天皇、母中山慶子諡号:明治。明治新政府の長として擁立され五箇条の御誓文の発布、大日本帝国憲法の制定、そして日清日露の両戦役の勝利などをとおして日本の近代化を成し遂げた。

*2:久留米藩士。和泉守。会沢正志斎に私淑し天保学を創始。九州における尊攘派の理論的指導者となる。寺田屋事件長州藩に接近し、八月一八日の政変で七卿落ちに同道。復権を目指し禁門の変を起こすも敗死。

*3:参議。陸軍大将。父吉兵衛隆盛。旧名:隆永。藩主島津斉彬に寵愛され累進するも死後久光に疎まれ逼塞。盟友大久保利通の奔走により復権すると、薩摩軍ひいては新政府軍の総司令として幕末の動乱を終焉に導き維新の三傑の一人に数えられる。新政府では参議として廃藩置県などに尽力するも明治六年の政変で失脚下野。不平士族らにかつがれ西南戦争を起こすも敗死。

*4:第1・3代内務卿。勲一等旭日大綬章。父利世、母(皆吉)福。藩主島津斉彬および久光の寵愛を受け藩政を牛耳る。幕末の動乱では薩長同盟締結や倒幕の密勅の降下などの陰謀に暗躍し王政復古を成し遂げ維新の三傑に数えられる。新政府でも事実上の首魁として、内政改革・反乱鎮圧などに大車輪の働きを見せるも紀尾井坂の変にて横死。

*5:第2代内務卿。勲一等旭日大綬章。父和田昌景、養父桂孝古。吉田松陰に師事し、尊攘思想に傾倒。禁門の変後事実上藩政を掌握し薩長同盟を締結、維新の三傑に数えられた。新政府でも重職を歴任し、専制に走る大久保と自由民権派や不平士族らの間を取り持った。

*6:第2代外務卿。大勲位菊花大綬章。父堀川康親、養父岩倉具慶。関白鷹司政通の知遇を得て公武合体派として頭角を顕すも、和宮降嫁の際に親幕的な態度を憎まれ失脚。尊攘派壊滅後復権し小御所会議を主導するなど王政復古の黒幕として暗躍。その功により新政府でも要職を歴任し岩倉使節団の代表を務めるなど精力的に活動した。

*7:徳川第15代将軍。内大臣。父水戸斉昭、母吉子女王、養父一橋昌丸→徳川家茂。家康の再来と謳われた英明により早くから将軍職に擬せられるも井伊直弼大老就任により失脚頓挫。桜田門外の変後は家茂の後見職として公武合体に尽力。家茂死後待望の将軍職に就任するも時勢には抗えず大政奉還に至った。