【文春砲】「松本人志さん、2019年にもヤっていた! SEX上納システム!新たに3人の女性が新証言!」「女衒役:M1王者、 接待役:米進出芸人」 | やらおん!
素人女との火遊びはもう完全に時限爆弾以外の何物でもないですねこれ。大人しく安心安全の玄人女と遊ぶようにしましょう。
我孫子駅前で立憲共産党民主党の市議さんが熱心に募金活動。「使途は1円残らず公開します」「全額間違いなく募金します」「振込証明もSNSで共有します」って連呼してて、ホント日本共産党は各方面に迷惑かけてるなあと。
「お前ら日本人なら『君が代』歌ってみろ」
福田村事件
大正十二(1923)年9月6日、関東大震災後の混乱および流言蜚語が生み出した社会不安の中で、香川県からの薬の行商団(配置薬販売業者)15名が千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀で地元の福田村および田中村(現柏市)それぞれの自警団に暴行され、9名が殺害された事件。
1923.3香川県を出発していた売薬行商団15人は、関西から各地を巡って群馬を経て'23.8千葉に入っていた。'23.9.1関東大震災直後、'23.9.4千葉県にも緊急勅令によって戒厳令の一部規定が適用され、同時に官民一体となって朝鮮人などを取り締まるために自警団が組織・強化され、村中を警戒していた。『柏市史』によれば「自警団を組織して警戒していた福田村を、男女15人の集団が通過しようとした。自警団の人々は彼らを止めて種々尋ねるがはっきりせず、警察署に連絡する。「ことあらばと待ち構えていたとしか考えられない」という状況だった。生き残った被害者の証言によると、関東大震災発生から5日後の'23.9.6昼ごろ、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀の利根川沿いで、「15円50銭」などと言わせ、休憩していた行商団のまわりを興奮状態の自警団200人ぐらいが囲んで「言葉がおかしい」「朝鮮人ではないか」などと次々と言葉を浴びせていた。福田村村長らが「日本人ではないか」と言っても群衆は聞かず、なかなか収まらないので駐在所の巡査が本署に問い合わせに行った。この直後に惨劇が起こり、現場にいた旧福田村住人の証言によれば「もう大混乱で誰が犯行に及んだかは分からない。メチャメチャな状態であった」。生き残った行商団員の手記によれば「棒やとび口を頭へぶち込んだ」「銃声が2発聞こえ」「バンザイの声が上がりました」。駐在の巡査が本署の部長と共に戻って事態を止めた時には、すでに15人中、子ども3人を含めて9名の命が絶たれており、その遺体は利根川に流されてしまい遺骨も残っていない。かけつけた本署(松戸警察署野田分署)の警察部長が、鉄の針金や太縄で縛られていた行商団員や川に投げ込まれていた行商団員を「殺すことはならん」「わしが保証するからまかせてくれ」と説得したことで、かろうじて6人の行商団員が生き残った。 (wikipediaより修整引用)
利用者さんのご友人の著書が映画化されたとのことで御祝儀がてらに購入および読了。隠す気のない進歩的スタンスが実に微笑ましいですが、それを除けば福田村事件本体にとどまらず、千葉県東葛地域における朝鮮人虐殺事件の記録集としてかなりの完成度。史料と史料の合間の感想文は無視しましょうw取り合えず、部落差別や国家ぐるみの朝鮮人弾圧って筋書につなげようって努力はすごく伝わってくるけど流石に無理筋だと思うの。
肝心の福田村事件の顛末は、映画ではヒーロー然としていた行商団の団長がそこそこのクズ。宿泊中の宿から「まだ治安が悪くて皆気が立ってるから余所者は出歩かない方がいい」って忠告を無視して出立するは、渡し船に無理目の要求と値切り交渉して切れさせるわと悪手ばっか。捕まってからの描写には乏しいですが、悪態つきまくってたんだろうなあってのは容易に想像がつきます。あとはやはり一番怖かったのは野次馬の無責任な煽り。拳の下ろしどころを探ってたのが、周りの狂騒にあてられて引っ込み付かなくなって暴発ってのは今でも十二分にありうるなあと。
以上、思想的バイアスがきつすぎて正直かなり癖がある一冊ですが、温故知新の為にも是非読むべき一冊だと思います。
おまえは夜眠れたのか、悪夢にうなされなかったのかおまえたちがしたことは謝ってすむことじゃない
先の能登半島地震で可視化されつつあるデマがどうやって広がり現地の方々の精神を荒廃させてしまうかのプロセス。関東大震災の時もこうやって集団狂気に陥ってたんだろうなあと天を仰ぎます。この話題になるとSNSばかりが悪者にされがちですが、マスコミの皆さんにも自重をお願いしたいものです。無責任なアジテーションは結構あっさり人を殺せるんですからね。
www.youtube.com