脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『陰の総理・仙谷由人VS小沢一郎』

今話題の『ビッグモーターの枯葉剤 散布疑惑』、ついに証拠とされる写真が出回り始めガチで終わるwww | やらおん!
損保ジャパン ビッグモーターに計37人も出向…保険金の不正請求が広がった時に修理担当部門を務めた人物も:ハムスター速報
【悲報】ビッグモーター、素手でトイレ掃除を強要していたwwwwwwww:哲学ニュースnwk
これだけ擦られてもまだまだ新ネタ出てくるのは本当にすごい。


 色々失態続きで糾弾大会になることを覚悟して出向いた会議でしたが、何故だか被害者ポジで同情されて色々助けてもらえることに。ひどい詰め方されたら最悪どうやってけつまくってやろうかと覚悟して行ったのに拍子抜けです。けど一度この味しめると色々油断して調子に乗っちゃいそうだなあ。世の中から弱者商売が無くならない理由が分かった気がします。

ごちそうじゃないけど主人公じゃないけど

菅直人第1次改造内閣
 衆議院議員民主党代表の菅直人*1が第94代内閣総理大臣に任命され、平成二十二(2010)年9月17日から平成二十三(2011)年1月14日まで続いた日本の内閣。
 改造前と同じく、国民新党との連立内閣である。2010.9.14任期満了に伴う民主党代表選挙を経て成立した。国会は7月に行われた第22回参議院議員通常選挙によって衆参ねじれ状態に陥っており、厳しい国会運営を強いられた。この内閣で臨んだ第176回国会は法案成立率が37.8%と、日本国憲法下の国会の中で最低を記録した。(wikipediaより修整引用)

 温故知新という訳で、暗黒古の民主党政権を振り返ってみようと当時の大下英治の政界実録シリーズ読んでみました。時期は2010年後半で、政権交代後初の参議院選から菅おろしのきな臭さが漂い始めるころまで。東日本大震災で日本が良くも悪くも生まれ変わる直前の時期なので、ほんの10年ちょっと前なのに前時代感が凄まじいです。メインイベントは小沢VS菅の代表選に、小沢強制起訴、尖閣諸島中国漁船衝突事件あたり。原口や枝野がポスト前原岡田を狙う若武者として初々しく活躍しているのが新鮮です。内容は菅直人改造内閣史と見せかけた仙谷由人伝で、前半はこれぞ国士のあるべき姿とでも言わんばかりによいしょしまくりなのに、尖閣事件あたりからコロッと手のひら返しの罵詈雑言に転じるので読んでて戸惑います。最初読んだ時絶対これ雑誌連載だと思った。あと、作者が小沢信者なのを隠しもしてないので、検察審査会への悪罵はひどいものがあります。「素人集団」だの「若造集めての人気取り」だの流石にもうちょっと何とかならなかったのでしょうか。という訳で、今となってはどれだけいるかは分かりませんが、仙谷や小沢のファンの方は是非ご一読を。なお、当事者能力皆無の菅首相の出番はほとんどありませんのでファンの方はご注意を。

皿の隅に追いやられノケモノのカイワレ

 リーマンショックの時も、今回のコロナも日本政府はカタストロフの後の世界的復興特需に乗るのが死ぬほど下手だなあと。片や民主党政権、方や時代錯誤の財務省の犬とここが肝心の大事な時期にトップに恵まれなかったせいで、見事日本は後進国に転落の憂き目に。イギリスかスペインに凋落の旧帝国としての身の振り方を教えてもらいに行かないといけませんね。


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*1:立憲民主党最高顧問。衆議院議員。父寿雄。大学紛争に際し東工大で全学改革推進会議を組織し、中核派にも民青にも体制派にも属さない独自路線を貫く。卒業後は弁理士として活躍し、市川房江女史の擁立運動を期に政治活動に傾倒。江田三郎に招聘され社会民主連合の立ち上げに参画し、衆議院議員に当選。社民連解散後は新党さきがけに合流し、橋本内閣で厚生大臣を務め、薬害エイズ問題などで国民的人気を獲得。鳩山由紀夫民主党立ち上げに賛同し共同代表。新進党の残党や自由党との合流を経て、党代表に当落選を繰り返しつつ、民主党を二大政党制の一角にまで育て上げた。政権交代後は鳩山おろしに伴い総理大臣に就任。小沢一郎との角逐やねじれ国会による苦しい政権運営を余儀なくされ、尖閣諸島中国漁船衝突事件福島第一原子力発電所事故でのお粗末な対応により人心は離反し退陣。民主党崩壊後も民進党立憲民主党で最高顧問を務める。