脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『田中角栄と政権抗争〜昭和の宰相 第7巻』

広島カープ、150km/hが出るマシンを買えずに135km/hのマシンを4m近いところに置いて練習 | 旧ぴろり速報2ちゃんねる
これは「わあ微笑ましい」で済ましていいのかしら。なんだか第二次山本政権末期の頃と同じ匂いが・・・。ブラウン監督カンバーック。


 秋の長雨もようやくやんで、気持ちのいい秋晴れの日々が帰ってきました。さあエンジンかけなおして頑張るぞー。

みんながいたからオレはここまで来れたんだ

田中角栄
 大正七(1918)〜平成五 ('93)年。戦後の政治家。新潟県刈羽郡二田村出身。
 小学校卒業後、建設設計業・土木建築請負業を営み、1943田中土建工業を設立。敗戦後、地方財界を地盤に'47新潟3区から衆院議員に当選。当初民主党に属していたが炭鉱国家管理問題で脱党。幣原喜重郎*1らと同志クラブを結成し、'48民自党に合流。'48不当財産取引調査委員会で昭電疑獄を取り上げ、民主党中間内閣追い落としの先鋒を担ったが、炭鉱住宅の建設で莫大な利益を受けていた企業側から炭管反対の為の多額の運動資金を貰っていたことが発覚し、炭管疑獄では逆に裁かれる立場となった。'50長岡鉄道社長、'53理研化学取締役、'60越後交通会長に就任、地方財界に勢力を拡大する一方で、'57第一次岸内閣郵政相、'61自民党政調会長を歴任。'62第二次池田内閣から'64第一次佐藤内閣まで蔵相を連続して勤め、高度経済成長下の財政政策を促進。その後、自民党幹事長、'71第三次佐藤内閣通産相を歴任。佐藤派の中心として、福田赳夫*2と共に閣内・党内で重きをなした。'72佐藤*3退陣後の総裁選では福田を破り、総裁に選出された。田中角栄内閣は「決断と実行」を掲げて発足したが、懸案の日中国交回復を果たしたのみで、「日本列島改造計画」も地価の高騰・インフレに拍車をかけた。田中金脈問題などで非難を浴び、'74内閣総辞職に追い込まれた。'76ロッキード事件で逮捕され、'83第一審で有罪判決、 '93上訴中に死去。(『コンサイス日本人名事典 改訂新版』より引用)

 長きに亙った昭和宰相列伝も遂に終幕。最終巻は田中戴冠から鈴木総理就任まで。要は三角大福の時代です。角福戦争、金脈問題、椎名裁定、ロッキード事件、三木おろし、大福密約、大福戦争、四十日抗争、ハプニング解散と息接ぐ間もなく繰り広げられる政局の嵐は、昭和政界のダイナミズムを感じさせてくれます。尤も政局に集中しすぎて、その間の治世に関しては大分ないがしろにされてる感がなきにしもあらずですが。後この頃になると、小泉世代の政治家たちが活きのいい若手としてモブで暴れているので、知り合いがエキストラで映画に出てるのを見るような気にもさせてくれます。
 三度の飯より政局が好きなんていう病膏肓に入った重病人の方は見逃すことのできない最良の時代をご堪能あれ。野合から騙し討ちまで、新政党と政策論議以外はひとしきりイベントが揃ってますよ。

力を貸してくれ戦いが終わるまで

 尖閣問題で混迷を深める菅内閣。岡田幹事長のいうように今は補正予算の成立による景気対策が急務なのは確かなのですが、民主党が二年前のリーマンショックの時に麻生政権に向かってやらかした所業の数々を考えれば、全く同情の余地はありません。とは言え、国会が空転ばかりしていると迷惑蒙るのは我々国民なのもまた事実。早いとこガラガラボンの政界再編やって、人心一新をと言いたいものです。その為には、三角大福のような実力者が必要なのですが、正直与野党共にそんな傑物は見当たりません。早期からの総裁候補養成と言った意味では、派閥ってのは必要悪だったのかもしれませんね。

RICA the BEST

RICA the BEST

帰ってきた今日の一行知識

「人命は地球より重い」のダッカ事件の頃は、ハイジャック事件ではテロリストの要求を呑んで政治犯を釈放するのが一般的な解決方法だった。
んですが、日本政府のあまりの無抵抗ぶりと日本赤軍の凶悪さに国際輿論が沸騰。続いて西ドイツで起きたルフトハンザ航空181便ハイジャック事件で特殊部隊による人質解放に成功。以後「テロリストには屈しない」が国際常識となったのでした。そう考えると福田首相の脳内お花畑発言も反面教師として非常にいい切欠になったのかもしれませんね。

*1:第44代内閣総理大臣。男爵。従一位勲一等。父新治郎。親英米派外交官として頭角を顕し、「幣原外交」を展開するも満州事変の事態収集に失敗し引退。戦後人材不足から首相に担ぎ出されるも、憲法制定に当ってGHQと対立し辞任。

*2:第67代内閣総理大臣。正二位大勲位。父善治。息子に康夫。大蔵官僚として頭角を顕すも、昭電疑獄に連座し退官。政界進出後は佐藤に寵愛を受け後継者に擬せられるも、三角大福の死闘の果て田中角栄に敗北。その後、大福密約により戴冠するも、第一次大福戦争に破れ下野。

*3:栄作。第61-63代内閣総理大臣従一位大勲位。父秀助、母茂世。兄に岸信介。鉄道・運輸官僚として戦中戦後を通して活躍。吉田茂に見出され政界進出。池田と共に吉田学校の双璧として累進。池田から禅譲され総理就任後は日韓条約締結・日米安保自動延長・沖縄返還などの外交課題に精力的に取り組みノーベル平和賞に輝いた。