脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

『佐藤栄作と高度成長〜昭和の宰相 第6巻』

民主党「よう公明、連立するぞ。過去のことは水に流してやるからありがたく思え」 - 政経ch
我等が民主党の貫く大義はただ一つ。臨機応変


 元々不安定極まりない私のやる気ゲージが乱高下モードに突入。誰かスタビライザーになってください。

だからもう少しオレにもう少しだけ

佐藤栄作
 明治三十四(1901)〜昭和五十('75)年。戦後の政治家。岸信介*1実弟山口県熊毛郡出身。東京帝国大学法学部卒。
 鉄道省に入り、陸運監理官・監督局総務課長などを経て、1941監督局長。続いて、運輸省自動車局長・大阪鉄道局長・鉄道総務局長官を勤め、'47運輸次官就任。敗戦前後の軍需・資材輸送の実権を掌握した。'48退官して自由党に入党。第二次吉田内閣官房長官に起用され、池田勇人*2と並んで吉田*3の片腕としての地位を獲得。'49以来山口2区から連続当選。'49自由党政務調査会長、'50自由党幹事長、'51第三次吉田内閣郵政兼電気通信相、'52第四次吉田内閣建設相を歴任。'53幹事長に再任されたが、 '54造船疑獄にあたり、吉田首相の計らいで逮捕寸前に異例の指揮権発動により救われた。吉田引退後、吉田直系派閥を池田と二分。'58第二次岸内閣蔵相、'61第二次池田内閣通産相、'63科学技術庁長官。高度経済成長期の経済閣僚のポストを占め、自民党総裁・首相への足場を固めた。'64病気になった池田首相から後継総裁に指名されて以来、'72.7退陣まで4選を果たし、連続7年8ヶ月という史上最長政権を維持した。その間、'64ILO87号条約批准、 '65日韓条約締結、'69大学臨時措置法成立、'70日米安保条約自動延長、'72沖縄返還など、戦後外交事件の処理に当たった。'74日本人初のノーベル平和賞に輝くが、内外からその受賞に批判があった。(『コンサイス日本人名事典 改訂版』より引用)

 池田戴冠から佐藤辞任までを描く昭和の宰相シリーズ第6巻。二連続の長期安定政権に内政も高度成長真っ只中と、政局らしい政局もないまま過ぎた12年間。政争命の作者だけに、大分淡々と流されています。栄光と繁栄の'60年代の平和な空気がよくでているのではないでしょうか。その分読んでても多少退屈ですが。池田・佐藤両政権とも末期はかなりぐだぐだのよれよれになっているのが哀れを誘います。特に佐藤政権末期の田中無双と佐藤栄作の逆切れ染みた最後の足掻きは、熱しやすく醒めやすい日本人には長期政権は向いてないというのを痛感させるに充分。最後の最後まで影響力を保持し続けて勇退した小泉の怪物振りが際立ちます。
 その一方で外交面ではかなりの激動の時期だったはずなんですが、なんだか不思議と国民の熱が伝わってきません。本当に充実してる時期は国民は政治になんか興味を持たないという通説は結構信憑性高いのかも知れませんね。

がんばってるのは分かってる

 安倍→福田→麻生→鳩山→菅と毎年毎年替わる総理大臣の首。学級委員じゃないんだからもう少し腰を据えて政権運営してもらいたくはあるんですが、かといってそれだけを旗印に代表選を戦ったり、解散総選挙を先送りされたりしたら、それはそれでたまったもんじゃあありません。やはりここは賢者は歴史に学んで、幕府制度の復活なんていかがでしょう。将軍が無能であれば、老中連が運営を代行し、老中連が腐敗すれば強大な将軍権力で改革を断行する。将軍を直接選挙で選んだ大統領、老中を今と同じ国会に置き換えれば、意外と理に適ってる気はしませんか?少なくとも今の醜い揚げ足取り合戦よりはましだと思いますよ。

RICA the BEST

RICA the BEST

帰ってきた今日の一行知識

池田勇人は麦飯が大好物だった
そう聞くと「貧乏人は麦を喰え」の迷言の印象も少し変わってきますね。何にしても、マスコミが片言隻句の言葉尻をとらえて騒ぎ立てるのは昨日今日始まったもんじゃなかったんですね。

*1:第56・57代内閣総理大臣。正二位大勲位。父佐藤秀助、母茂世。孫に安倍晋三。通産官僚として満州経営で頭角を顕す。反東条英機を貫き辞表提出拒否により内閣瓦解の原因を作る。戦後公職追放解除後は日本再建連盟を結成し、自由党に合流するも吉田茂のワンマンに反発し除名。鳩山と日本民主党を結成し保守合同を主導。ポスト鳩山に擬せられるも総裁選で石橋湛山に敗北。その後石橋の病気引退に伴い総理就任。国民皆保険などの現在に続く社会保障制度を整備するも、安保闘争の激化により安保新条約の自然成立を待って退陣。

*2:第58-60代内閣総理大臣。正二位大勲位。父吾一郎、母うめ。戦前から大蔵官僚として活躍し、吉田茂に見出され政界進出。佐藤栄作と共に吉田学校の双璧として台頭。岸後継の総裁選に勝利し総理就任。所得倍増計画を打ち出し高度経済成長を牽引するも病魔に倒れ、東京オリンピックを花道に引退。

*3:茂。第45・48-51代内閣総理大臣従一位大勲位。父竹内綱、母瀧子、養父吉田健三。親英米外交官として戦前から活躍するも東条英機に憎まれ逼塞。それが幸いし追放を免れ、占領下日本の舵取りを任せられる。親米追従を貫きGHQの信任を得、空前のワンマン体制を確立し、サンフランシスコ平和条約締結などの功を挙げた。