脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

明治丸

【青森5人死亡火災】放火した92歳老人 村八分されていた「氏神の祟りが起こった」「食べてはいけない時期に四つ足の動物を食べたせい」:ハムスター速報
「十文字家」って字面でもう横溝系の怪奇ミステリーの臭いしかしない。


 全く笑えないけどギリギリ笑えるトラブルシリーズ蛇足の追加。弁護士先生の車に同乗して打ち合わせ先へ。時間が差し迫っていたので、裏道を案内していたところ。脱輪して前輪がバースト。奇跡的に車体に派手な損傷もなく同乗者一同無傷だったので、ここにギリギリ書けてるんですが、それにしたってまぁ。口は災いの元とはよく言ったもんですね。

海を拓き海から学ぶ自由の心と我慢の二文字

明治丸
 日本の船舶。灯台巡視船として日本政府がイギリスに発注し、天皇の乗る御召し船や練習船としても使用された。国の重要文化財に指定されている。
 明治初頭、洋式灯台の建設に伴って、その測量やメンテナンスのために灯台巡視船が日本にも登場した。灯台の増加により新鋭船が必要となったため、日本政府はイギリスのグラスゴーにあるネピア造船所に本船を発注した。本船は1874.9.26進水し、'74.11.24竣工している。「明治丸」と命名された本船は、'75.2.20横浜港に到着し、灯台巡視船の任に就いた。
 「明治丸」は、当時の日本国内における最優秀船であったため、通常の灯台見回り業務の他にも様々な活動を行い、日本の近現代史に業績を残している。日本に回航された'76イギリスとの間で小笠原諸島の領有問題が生じたため、'76.11.21日本政府調査団を乗せて横浜港を出航し、'76.11.24父島に入港した。新鋭船で船足が速く、'76.11.22同じく横浜を出航した英国軍艦「カーリュー」より2日早く着き、調査を進められたため、日本の小笠原諸島領有の基礎を固めることができたとされている。また、御召し船としても用いられており、特に、'76明治天皇*1の北海道・東北地方への巡幸に供され、'76.7.20横浜に無事帰港した事を記念して1941この日が『海の記念日』*2に制定された。1875.3.5軍艦「清輝」の進水式の際にも明治天皇は乗船している。また'79琉球処分の際には尚泰*3を乗せて東京まで航海し、'87横尾東作*4東京府知事高崎五六*5らによる硫黄列島への探検航海に用いられるなどした。
 その後、海軍省から譲渡された「新発電丸」が後任に就くと、「明治丸」は'97.9商船学校(現・東京海洋大学)に貸与された。さらに'97.11同校に移管され、係留練習船として操帆訓練などに用いられた。1901.12.25現在の東京海洋大学越中島キャンパスに移動し、'11・'17台風や高潮でバウスプリットが折れるなどの被害を受けつつ、'23関東大震災や'45東京大空襲の際には数千人の罹災者を収容している。'45.9学校とともに進駐アメリカ軍に接収され、酒保になっていた。その後'51係船地で座礁したのを契機に接収が解除され、'52浮揚させて上甲板などの修理が行われたが、'54老朽化のため練習船の任務を解除された。その後も'75頃までは結索実習などに船内が使われ、'78.5.31船として初めて国の重要文化財に指定されている。'88.1.29保存修理工事を終え、'89.5.16-2009.1一般に公開されていた。
 1988修理後、経年劣化により再度大規模修復が必要となり、大学と文化庁との間で協議が行われ、明治丸修復計画が策定されている。この修復計画を基に、周辺の環境整備や海事技術資料の収集、次世代の海事産業を担う青少年への海事意識啓発活動を行う「明治丸海事ミュージアム事業」が進行中である。東京海洋大学では2009年度から修復事業等の費用に充てるため、「明治丸海事ミュージアム事業募金」を設置し募金を呼びかけていた。2013.12本学と文化庁により大規模修復工事が行われていたが'15.3竣工。'15.7.19明治丸修復完工記念式典を挙行し、'15.7.20船内を含む特別公開を実施した。 (wikipediaより修整引用)


 そぼ降る雨に打たれながらも東京海洋大学越中島キャンパスへ。お目当ては蒸気帆船明治丸。外観眺めて併設の記念館ちょっと見て帰るべえかと気楽に行きましたら、ボランティアの案内員の方につかまって一緒に船内を案内してもらうことに。正直最初は少し鬱陶しいかなくらいにしか思ってなかったんですが、実際一緒に回ってみると、話も上手いし感じもいいしで滅茶苦茶楽しめました。「ずっと認可されなかった修繕計画が、天皇陛下*6の巡幸あった直後に予算が下りた」*7って話なんか鉄板の滑らない話って感じで実にほっこり。今後は驕りや人見知りを捨てて素直にボランティアの方の案内を頼んでみようかなと思わせてくれる最高の体験でした。   

海から世界へはばたこう若者よ集まれ

 で、明治丸自体の感想は本やなんかで半端に聞きかじってる蒸気帆船の構造が実際にはどうなってるのかを実地で見れて実に楽しめました。特に感心したのが、甲板や帆柱を縦横無尽に走り回るロープの群れ、船舶免許取るときにあれだけみっちりロープワークをやかましく言われた理由がよく分かった気がします。という訳で、母方の島民の血がちょっとふつふつと滾る音を感じた素敵な小旅行でした。


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*1:第122代天皇。諱は睦仁。父孝明天皇、母中山慶子。父孝明天皇の急死に伴い岩倉具視らに擁立され即位。維新の元勲や元老の輔弼を得て、新政府設立、文明開化、そして日清日露両戦役の勝利と日本を近代国家へと導いた。

*2:現在の海の日

*3:第二尚氏琉球第19代国王。侯爵。父育、母向元貞 。父の死に伴い即位。米仏蘭と修好条約を調印するなど独自外交を展開するも、琉球処分により日本に併呑。以降は華族として東京に暮らした。

*4:警視庁沿革史編纂委員長。福沢諭吉に師事し、戊辰戦争では仙台藩の外国交渉窓口として活躍。維新後新政府に出仕し、南進論を建白。硫黄島探検を実施し同島の日本領土編入の実績を作った。

*5:東京府第10代知事。男爵。幕末動乱期に精忠組の一員として奔走。維新後は大久保利通に重用され累進、東京府知事などの要職を歴任した。

*6:上皇陛下

*7:若い頃に一度見学に来たことがあってそこそこ思い入れがあった明治丸が、ボロボロになっていたのに心を痛めて「勅命」でもおりたのではとのこと