脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

旧山崎家別邸

【日本共産党】志位和夫の独裁政治を批判した罪で共産党員が新たに粛清される…今年に入って二人目:ハムスター速報
共産主義なんて、経典を聖書から資本論変えただけの絶対王政なんですからそら逆らう者は吊るされますわな。火炙りや車裂きの刑に処せられなかっただけ感謝しましょう。


 タフネゴシエーション1個完了。ああしんどかった。

幾千も費やした人々の祈りを確かめている

旧山崎家別邸
 埼玉県川越市に所在する建築物。大正末期から昭和初期にかけての日本における住宅の近代化の過程を示す歴史的価値を有するとして、令和元(2019)年に母屋部分が重要文化財に指定された。
 1925市内の菓子商亀屋の五代目の山崎嘉七の隠居所として建てられた。保岡勝也*1が設計を手掛け、2階建の洋館の母屋に平屋の和館と2階建の土蔵が接続した造りをもつ。母屋は木造モルタル仕上げ洋風屋根葺で、1階外壁は吹付モルタル仕上げ、2階は細い横目地の磨き壁に仕上げており、和館との調和が図られている。嘉七の隠居所としてだけでなく川越の私的迎賓館としての性格を持ち、陸軍の演習を観閲に訪れた皇族が宿泊することもあった。館内は和風・洋風の接客室が機能的な動線で結ばれている。色鮮やかなステンドグラスも特徴の一つで、2階へと続く階段には小川三知*2の作品である「泰山木とブルージェ」、階下には水辺の植物が描かれている。各客室の窓のステンドグラスは別府七郎*3による図案である。保岡は、'28『茶室と茶庭』を著すほど日本庭園に造詣が深く、山崎家別邸でもその知識を発揮した。和室の畳廊下の南側には緩く高低差を付けた庭を見渡すことができ、石灯籠と四季の花がアクセントを添える。'24の図面によると、母屋の東側には芝生の児童遊技場、その北側には温室と花壇があり、茶室の位置は、現在とは若干異なっていた。
 川越伝統的建造物群保存地区の東側に位置し、2000主屋・茶室・腰掛待合が川越市指定有形文化財に指定された。'06建物が市に寄贈される。'11.2庭園が国の登録記念物に登録され、'19.9.30母屋が国重要文化財に指定された。館内は母屋2階や土蔵など一部を除き一般公開されている。 (wikipediaより修整引用)


 有名な観光地のマイナーなスポットへのコーナー。今回は地味に初訪問の川越へ。渋めの観光地でそんなに混んでもないだろうと高をくくっていたら、小春日和の日曜日とあってか凄まじい人出。バスは渋滞で動かないわ、食事処はどこも満員御礼だわと往生しました。そんな中辿りついた旧山崎家別邸は知る人ぞ知る穴場だったらしく適度にガラガラで人ごみ恐怖症の自分は一息付けました。建物自体の感想としては洋館と和風建築のキメラというべきいびつなもの。とは言え、これがオリジンでここから洗練淘汰されて自分たちの良く知る「昔の建物」に収斂していったのが肌で感じられる貴重な体験。間取りや庭に感動できる豊かな感受性を持たない自分でもなかなか楽しめて色々考えさせられた有意義な小旅行でした。

遥かなる時を超えてく思いが降りやまぬ雨に耐えうる強さが

 こうやって明治大正期の建築物見てると、本当に日本は外国産の文化を吸収するのが上手いよなあと。最初は舶来趣味バリバリで下品だったものが徐々に伝統と調和して新たな伝統になっていくのを見ると何とも言えない感慨が。最近の都心の下品でオサレな街並みも数十年後には令和レトロと称えられるんでしょうかね。

メヌエット(初回)

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*1:保岡勝也建築事務所代表。代表作:三菱8〜21号館・岩崎家深川別邸・旧第八十五銀行本店(設計)他。

*2:小川スツヂオ初代代表。父清斎。代表作:鳩山会館・黒沢ビル・小笠原伯爵邸(ステンドグラス)他。

*3:日本初のステンドグラス工房である宇野澤組ステインド硝子製作所の創設に参画。