脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

誕生寺

「新語・流行語大賞」に「令和」など30のことばがノミネート : ガハろぐNewsヽ(・ω・)/ズコー
「上級国民」に一票。まあ絶対戴冠は無理でしょうけど。


 祝プレミア12開幕。今度こそは雪辱の栄冠を

憧れじゃ届かない気ままなあなたに

誕生寺
 千葉県鴨川市小湊にある、日蓮宗大本山山号は小湊山。日蓮*1の誕生を記念して出身地に建立された。
 1276.10日蓮の弟子の日家*2日蓮の生家跡に高光山日蓮誕生寺として建立。しかし1498明応地震、1703元禄地震と2度の大地震、大津波により現在地に移転された。現在、生家跡伝承地は沖合いの海中にある。
 その後、26代日孝が水戸光圀*3の外護を得て七堂伽藍を再興し、小湊山誕生寺と改称したが、'58仁王門を残して焼失し、1842四十九代日闡が現存する祖師堂を再建した。
 近代に入り、大正天皇*4の病気平癒の廟所が建立された。その後、昭和から平成にかけて、50万人講を発願して諸堂を復興、1992.5落慶法要が行われた。2001.10「誕生寺の線香と磯風」がかおり風景100選に選定されている。
 江戸時代の不受不施派(悲田宗)禁政のため幕命により天台宗に改宗するところだったが身延山日蓮誕生地の由緒で貰いうけ一本山に格下げ*5。1946大本山に復帰。現住は84世石川日命貫首*6。潮師法縁。(wikipediaより修整引用)


 地味に多忙な日々に倦んじ果て、現実逃避の外房線の旅へ。今回の目的地は日蓮上人生誕の地誕生寺へ。最寄りの安房小湊駅降りたらすぐに内浦湾が望め、寺域も小湊漁港に隣接と、日蓮上人って鄙びた漁村の生まれって本当だったんだと実感できるロケーション。やっぱりフィールドワークは大事ですね。
 お寺自体はそこそこの田舎町にありながらも非常に綺麗に整備されていて流石日蓮宗金儲けが上手い信者の方が信心深いなあと感心。寂寞たる聖域に響き渡る賑やかでリズミカルな声明も実に日蓮宗系寺院で風情があります。とは言え、ここの白眉は小道を外れて上った高台に佇む太田堂。目の前をトンビが過ぎゆくような絶好のロケーションは長閑な港町の風情を堪能するのに最適。かなりの急坂上がったところにあるのと、参道からもろ外れてるのとで人気が一切ないのも◎。何にもしないっていう最高に贅沢な時間の使い方ができました。

気まぐれを着飾って外に出ようよ今すぐ

 と、存分に休日を堪能して帰ろうとNAVITIMEの案内に従って最寄りのバス停行ってみると時刻表に2019年10月1日改定の無情の一文が。数時間に一本しかない特急の時間に遅れまじと片道30分弱を爆走する羽目になりました。これだから田舎は嫌いだ。

VINTAGE A

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私にハッピーバースデイ (PARA PARA BEST MAX Disc 2)

帰ってきた今日の一行知識

小湊鉄道の終点は誕生寺の予定だった

それで小湊の名前がついてんですね。当初計画通り横断鉄道がもう一本通ってたら房総半島ももう少しましな発展できてたんでしょうか

*1:父三国大夫、母梅菊。貧賤の家に生まれ口減らしの為出家。早くからその学才で頭角を顕し各地に遊学し、法華経を至高とする日蓮宗を創始。折伏を是とする攻撃的な布教方法や過激な幕府批判から弾圧され、流浪の生涯を送った。代表作:『立正安国論』、『開目抄』、『報恩抄』(宗論)他。

*2:小湊誕生寺開基。父佐久間重吉。幼名:竹寿麿。興津の領主であった父が日蓮に帰依した為自身も日蓮の弟子となり、父の領内にあった日蓮の生家跡に誕生寺を開創した。

*3:水戸藩第2代藩主。権中納言。父徳川頼房、母久昌院。旧名:光国。『大日本史』を編纂するなどし水戸学を基礎を築く。藩主就任後は領内に善政を布き、天下の副将軍として将軍綱吉らの暴走を掣肘。その声望は高く後世「水戸黄門」に擬せられた。

*4:第123代天皇。諱は嘉仁。父明治天皇、母柳原愛子。父の死により即位するも、生来の病弱と精薄により、早くから子の裕仁親王の摂政を受ける。その治世では第一次世界大戦の勝利により列強の座を確実にし、大正デモクラシー大正ロマンが花開いた。

*5:悲田宗張本寺の谷中感応寺、碑文谷法華寺天台宗に改宗された。現谷中天王寺、碑文谷円融寺

*6:本山水戸久昌寺より晋山